ことがあったときに、「無理!」って決めてしまうのか、「できる」と思うのかは、イマジネーションの問題だと思います。
無理と諦めた瞬間に、絶対にそのことは成就しません。
イマジネーションを膨らまし、「無理」と言っているもう一人の自分に、
「こんな責め方はどうだろう」「ここなら、少しはましになるんじゃないか」
そんなことを考えつつ、「無理」とたちはだかる鉄扉をこじあけていくということがだいじなんじゃないかと思います。
ウルトラマラソンでこんな経験があります。
地元で100キロのマラソンがあるのですが、3度めの正直で、やっと完走できたわけですが、
最初の2回は、自分の頭の中で猛烈にブレーキをかけて、もう無理と悟ったら、ほんとに体が動かなくなるんですね。で、そこで、ゲーム終了…。
3度目、2度めとたいして、状況は変わらなく、やはりある時点で、もう無理なんじゃないか、諦めようと思い立って、たちどまったわけですが、
「やーまたリタイヤして、来年もう一回こんな苦しいスタートにたつのはいやだなーと」思い、どうなるかわからないけど、とりあえず次のエイドまではいってみようと思いました。
ゴールするのは無理かもしれないけど、次の地点までなら、なんとかたどりつけるだろうと…。
あの時の感覚っていま思っても不思議ですが、体の状態的にはとっくのとうに限界を超えていましたが、無理だとあきらめなかったら、なんとか体が動くもんなんですね。
過去2回目のときと、3回目で何が違うかといえば、もうそれだけなんです。
体のコンディションは、そうたいしてかわらないと思います。
ただ、そのとき、諦めたか諦めなかったか、それだけの違いなんですね。
でもその差はものすごく大きい、
諦めたか諦めなかったかというとゼロか百かみたいに思われるかもしれませんが、とりあえず100m進むという1なのか0.5なのかしらないけど、とにかくゼロではないといのが可能性の扉を切り開いていくんじゃないかと思います。
「ゼロでない」という感覚も大事じゃないかと思います。そのゼロでない、可能性を見ることができれば、なんとか切り開いていけるものなのかもしれません。