3月4日に書いたブログが中途半端に終わってました。(書きながら寝てました)
なので、続きを書きます。
最終滑走者になったMくんを前にして、またガスがかかり、レースは中断。
競技会ですから、全員が滑って、そのレースは成立する。
だから、最後の一人でも滑れなければ、レースとしては成立しないという局面。
とうに、リフトの営業時間は終わっているので、延長はもう既にできないという中での、レース中断。
Mくんは、自分がこのレースで滑走をあきらめれば、レースは成立するということだったので、彼は役員に、申し出てキャンセルしますと告げていたらしいです。
しかし、逆に、レースの最高責任者であるTD(技術代表)は最後まで全員が滑りきらないとあきらめずに天候の回復を待っていました。
5時15分を最終の判断をしようとレース関係者は考えていたようです。
しかし<TDは決してレースを中断することをよしとしなかった。
5時15分は過ぎたけれど、5時20分、奇跡的にコースの視界は良好になり、Mくんも無事に滑り降りることができ、レースが成立しました。
レースだから、勝敗が決まるんですが、このレースだけは、誰もが勝者で、もう選手たちも感謝の言葉しかなかったといいます。
滑らせてもらえる、役員がそれに応えようと最後まであきらめない、選手と役員が一体となったレースだったそうです。
その日に立ち会えなかったのはとても残念ですが、これでハチ北にもう一つ新たな伝説が生まれました。