私がこれまでもっとも印象に残っている講演会の一つのお話しをします。
私はある団体に所属していて(すぐにバレますが、あえて団体名は伏しておきます)、月例会ありました。
講師は、同じ会のメンバーが勤めてくれました。
彼は、僧侶なのですが、その日の例会では、その講師である彼のお寺に行って、「写経」をするというものです。
前後のことはあまり覚えていませんが、この写経の目的についての大した説明もなく、「でははじめてくださいという合図と共に、始まったと思います。
そして終わったあとにも、特に何かを説明をするわけでもなく、終わりました。
最後に、例会で何を感じましたかいう投げかけのあと
「ひとそれぞれによって、この例会を感じ方は違います。」と言って終わりました。
十数名のメンバーがいて、居眠りをするもの、(正座をしながらやっていましたので)足がしびれたと不満を漏らすもの…さまざまです。
講師であるそのメンバーは、あまり例会に積極的に出席して来なかった人だったので、そういう不満めいたものもあるのでしょう、終わったあとも「いったい何がやりたかったんだい」と不満を漏らすものもいました。
でも、私はそこで一つ大きな気づきを得ました。
それは、そこにいた十数名が同じ時間を共有したにも関わらず、感じたことがさまざまだったということです。
ある人は、不満をいう一方で、同じ時間を学びに変えた人間もいるということです。
時間はもっとも大切なものの一つ…価値ある人生にするかどうかは、そこに意識ああるかどうかだと思います。