引き続き、「学習する組織(ピーターセンゲ)」を読んでいます。
なにせ、500ページを超える著書ですので、もうそれだけで、拒否るところですが、ここは、じっと向き合ってます。
おそらく、1回では頭の中で消化しきれないので、何度か読んでみないといけないなーと思っています。
さて、その中で、京セラのの経営理念である言葉にひっかかかりました。
「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」
そこでまた、ふと疑問がわきます。
京セラの稲森氏が、「全従業員の幸福を」とせずに、「全従業員の”物心両面”の幸福を」とした意味というのはなんだろうと思ったわけです。
私は、最近GNHという言葉が台頭し始めてから、幸福の定義は、心の問題と思っていたのですが、稲森氏が物も満たされての幸福としたということは、やはり物質的な富も得ないと、幸福にはなれないのかなと少し思い直しました。
京セラはそれこそ、稲森氏一代で築きあげた会社です。
創業からこれまで、時代の変遷にあってもどどまることなく、成長し続けてこれた源は、単に幸福を心の問題だけにとどめず、物質的な豊かさも追い求めたからだと思いました。
よくよく考えてみると、仏教が、すべてのものが無だと唱えていても、やはり有名な仏閣には、壮大なスケールの建物であったり、きらびやかさが伴っているものです。
となると、やはり物質的にみえる富というものも得ないと人というのは、幸福にはいたらないのではないか…そんなふうに思いました。
哲学的なお話しになってしまいましたが、稲森氏が追い求めている幸福の意味…、みなさまはどうとらえますか?