ダブルフル100キロを走っている途中、特別な体験をしました。
73キロに地点に射添会館というチェックポイントがあり、そこを15時までに通過しなければいけなく、14時30分ごろなんとか、そこはクリアーしました。
しかし、その時点で、もうかなり体は限界を感じていました。
その後さらに7キロほどののぼりが続いていくのですが、78キロ地点ぐらいから、右膝に激痛が走りはじめてきました。
80キロのエイドを通過したあたりから、自分ではもうほんとに限界と感じるぐらいの激痛が走り、リタイヤしようかと思いました。
しかし、次のチェックポイントまで約1時間半後の17時30分、そして距離は約10キロあったので、とりあえず、次の制限時間までは次をめざしてみようとだましだまし走っていました。
すると、不思議なことに、痛みは感じるものの、激痛から歩けないくらいの状態は切り抜けて、だんだんとまた体が動くようになってきました。
ペースももどり、なんとか着実な距離を重ねることができました。
91キロ地点の、17時30分のチェックポイントには、10分前にすべりこみで入りました。残りの区間にもう3キロののぼりがありましたが、残り9キロえあれば、歩いてもなんとかなると思いながら、走りと歩きを繰り返し、18時40分ごろゴール。
終わった瞬間に、また体に激痛が走り、ほんとうに歩くのもやっとの状況でした。
大会が終わってから、2日経ちましたが、足の痛みはひどく、いまも両膝は腫れています。歩くのも少し厳しい状況です。
あの80キロ地点、何度も何度もやめたいと思いました。本当にあのときの激痛は、耐えれないぐらい厳しかったはずなのに、なぜか、そのあと、体が楽になるというか動ける瞬間がありました。
自分には到底そんな力は残っているはずはないと思っているのに…自分の限界はとっくのとうにこえていたはずなのに…です。
よく、人間は潜在能力の30%しか使っていないといいます。
極限の状況から、あとの20キロがなせた業というのは、いま考えても、あれは「自分」ではなかったようなきがします。
あれがいわゆるその潜在能力を越えた部分の力だったのかな…と今思います。
あの80キロの時点で、ゴールにたどりつこうという気持ちは吹き飛んでしまいました。ただ、ゲームの終は未だ告げられていないのだから、終わりが告げられるまでは、一歩だけでも先に進もう…
それしか考えなかったです。
あのときの自分自身の対話、それが今回のダブルフル100キロので一番の経験でした。