時代を変革するためには、過去の否定から入ることはよくあります。
私もたまに使ったりして、しまったーと思ってしまうのですが、過去においてはそれが、正義であり、またそれによって多くの人が喜びや幸せを実感していったはずで、それを一方的に否定されると、そのときに尽力された方にとっては、腹立たしいものでしかありません。
以前にも出した一例をあげると、石炭、重工業、土建を中心とした公共事業
これらのものは、過去においては、人々の生活を潤し、喜びを多くの人に分け与えてきました。
だからこそ、いまの繁栄、いまの幸せを手にいれることができているわけです。
しかし、時代が変わり、技術が進歩し、人々の価値観が変化してくると、そういうものから次代が求めるものに変化し、受け入れがたい状況になってきたりします。
いまを見て過去がそうであったりして過去を否定したり、ましてや個人を非難するのでなく、むしろ次の新しい代替えのものが台頭してきたとみるほうがいい、
そうすれば、過去がんばった人々の心情を傷つけられることなく、いっしょに手を携えて、次の時代へ向かうことができるのでないかと思います。
いまはなにかこう新しい時代を築いていかなければいけないことは必然であるのに、単にその感情のぶつかりあいがそれを邪魔をして、ブレーキがかかっている、そういうことなのではないかという気がします。
人と意図的に傷つけたりすることや、単に個人だけがのしあがろうとするのでなければ、すべての人が賞賛され、全ての人が必然であったと思います。
新しい時代は常に起こっています。自分たちが気づかないだけで、ふと10年を振り返ると、やっぱり進歩しています。
ならば、受身になるのでなく、積極的に自分たちが創り上げるものでありたい。
そう思います。