3つの町が合併し、香美町となって、7年目に突入しました。
いろいろと紆余曲折があったにせよ、いまは香美町としての歴史を刻んでいるわけです。
ちまたでは、いまだにそれぞれの地域性に対しての意地の張り合いみたいなものがみられるようです。
最初、確かに自分の中でも合併に対しての違和感みたいなものがあったのは事実です。
いまも、心の奥底では、なりきれていない自分がいるかもしれません。
でも、自分の中では明らかに7年とは違う感覚がでてきて、香住の海を眺めながら、おらがふるさとの海と思えるようにもなってきました。
私には、8歳、4歳、2歳のこどもたちがいますが、上の子を除いては、最初っから香美町民として生を受けています。
おそらく彼らが大人になったときには、何の違和感もなく香美町を受けいれているはずです。
そもそものパラダイムが異なっているので、いまだ旧区のパラダイムを持ち出して話をしていると笑われるのがおちでしょう。
まして、我が旧区さえ繁栄すればいいとおもうのはどだい間違っている話です。
確かに、重点配分とか、そういったことも必要にはなることもありましょうが、それとて、全体の最適化から導きだせる重点配分でなくてはいけません。
全体への波及効果を産むために特定のところに集中的に、投資をしていくということはありです。
私たち大人たちが、わけのわからないパラダイムで世の中をつくろうとしたときに犠牲になるのは、わたしたちの子供であり、孫です。
そこらへんをよくよく肝に命じておきたいものです。