先日、とある経営者の方とお話をしていて、その方曰く
『自分にはいまのことは一生懸命を考えているけれど、その先がどうなるかなんてわからない…』
とおっしゃっておられました。
たしかに…。
私自身、こんなふうになるのではないかと考えている未来も、よくよく考えて見れば、それは新聞の受け売りであったり、評論家のまねごとであったりと、その根拠というものは、けっこうあいまいなものだとその言葉を聞いて思いました。
私自身は経済評論家でもなんでもないので、正しい見方がどうかはわかりませんが、今後予想される社会のありようの根拠というのは、現在の人口構造から推定されることが多いのではないかと思います。
先日も、国勢調査がありましたが、その結果が出るのは、もうまもなくだとは思いますが、そのときに、人口の構成が明らかになり、10年、15年といった中期的年数を経た先の、生産人口だとかそういったものはある程度、見通しがたてられるわけですから、そこにそういう10年先未来を予測する根拠としているのではないかと思います。
それ以外は、概ね人の希望的観測によるものではないかと思います。
10年後にはこんな未来があることが望ましい…みたいなことを多くの人が共有することで、世論がその方向に動いていく、だから未来を予想するというのは、実は自分たちがこうありたいと願う気持ちがそこに向かっていくのではないかと思います。
例えば新聞一つをとってみても、日々さまざまな出来事がおきている中で、トップ記事としてとりあげるものというのは、新聞社がこういう未来であってほしいという意思から選択されるものであって、読者がそれに引きづられこれが日本にとって重大なことなんだみたいなことを思っているのだと思います。
であるなら、人が決めていく未来にのっかるのではなく、自分がその未来を創っていく側に回ればいいではないでしょうか。
未来は予想できないことではなく、自分たちの意思そのもの
ではないでしょうか。