先日、テレビをつけて偶然やっていた番組が無縁仏の課題がについて報道の特集でした。
全国で、独居老人などが、孤独死をしたあと、身内との連絡がとれないとか、身内に連絡をとれても、身内が引取りを拒否するなどの事案が増えているとのことでした。
また、老人自らが、家族との関係を絶ち、死んだあとの自分自身の有り様をそういうサービスに依頼しているなどの例も増えているともありました。
報道の中で、核家族化の進行がそういうことが進む原因なのではないかと分析もされていましたが、そういう現実がこの世の中にあることを知って、非常に複雑な気持ちになってしまいました。
私の村では、お葬式は、村ですることになっています。葬儀委員長は区長が務めることになっていて、但馬の村々では、そのような形態をとっていることが多いと思います。
なぜ村で送り出しをするのかということについて、村の人と話をしたことはないですが、どういう方であれ、村のために少なからず貢献をしていただいたという感謝の念でそうしているのだと私は思っています。
村ではさまざまな行事があります。道路周辺の草刈、空き缶拾い、またそれを推進するための、会議や打ち合わせ…村で生きていくためには、自分のこと以外のことにも関わらなかくてはいけません。というかそれが、都会であっても、ひとりで生きられるということは決してありえないわけであり、そういうつながりを意識できているかできていないかの違いだと思います。
私たちができることは限られていますが、無縁仏をつくらないためにも、今の仕組みの意義を今一度考えることは大事なことだと思います。