サッカーのスーパースター、キングカズこと、カズさんは、演歌とか歌謡曲がお好きなんだそうです。
おそらくみなさんも意外に思われたことでしょう。私も実は、常に日本の先端を走り続けた人ですから、R&Bとかヒップホップとか聴いているのかなと思っていたのですが、意外や意外です。
ただ、カズさんが語っておられたのですが、サッカーで志をたてようと、単身でブラジルにのりこんだとき、サッカーのできない人のことを「日本人」とあだ名がつけられるほど、蔑まされていたそうです。そういう環境の中、日系ブラジル人もがんばっておられて、そういう日系の人たちの周囲に歌謡曲があふれていたのが、自分がそういう音楽が好きな理由なんではないかというふうに話をしていました。
世間一般では、いまの流行があり、そういう風を多くの人が感じ取り、流行を自分のスタンダードにおいているところがあると思います。
例えば、アメリカ的成果主義などがそうでしょう。また音楽、スポーツ、芸能、政治、いつの間にか多数派が占めていくとそれをスタンダードとして、そして自分の中でもそれを基準としてしまうと思います。
そして、そういう時代の流れに乗り遅れてたり、そこからはずれていたりすると、KYとかいわれたりしています。
KYという言葉が生まれるぐらいですから、若い人を中心に、そういう全体が作り出す流行に乗り遅れてしまうとどうしても奇異な目でみられがちです。
スタンダードといえど、流行から生まれるものは、いつしか時代の変化とともに、変わっていくものです。
だから、自分の基準があわないからといって、それを奇異な目でみるということがあってはならないのだと思います。
カズさんが演歌好きである背景には、少年という多感な時期を異国の地に身をおく中で、数少ない安心できる日本のものということだったのかもしれません。とすれば、たとえ演歌が最近の歌の本流でなかったとしても(演歌ファンの方すいません…)カズさんにとっては、自分の心のよりどころとなっているものなのではないでしょうか。
周りに合わせることも大事ですが、自分にとってのスタンダードもあわせもっておく必要があります。
そして、周りがなんといおうともこうだというものがあっていいと思います。
また、自分以外のものは、やはり他人であり、まったく同じ思想などありようはずもありません。同じようにみえても、ど固化の部分で価値感は違うものです。
自分以外であるからこそ、その人の声に耳を傾け、相手をおもいやり尊重する、そんなことがいまさらに大事なんだと思います。