米フォーブス誌に冬季オリンピックに出場した選手の稼ぎの記事が掲載されていました。
一位はスノーボードのショーンホワイト選手と、キムヨナ選手の8億円、
三位はアルペンスキーの女子選手リンジーヴァン選手と続きます。
アメリカ人の好きそうな記事でした。
ここには、日本人はまったくはいっていませんでした。
先日、とある方と韓国と日本のメダルの量の差について話をする機会があり、その方曰く、韓国では、メダルに対しての報奨金が違うことが、その原因ではないか?と語っておられました。
また、オリンピック選手に対する強化費も違い、国家として、メダル獲得に対しての執念が違うとも話しておられました。
今回の事業仕分けでも、こういったスポーツ選手に対しての強化費雅削減されるということも出ていましたが、確かにそういう一面はあるのではと思います。
選手として、できうる限りの努力をする中にあって、やはり練習環境を整えていくには、お金がかかります。特にアマチュアスポーツの場合は、選手自身が稼ぎをもつことはないわけですから、それをサポートできる体制を整えていくということはとても重要だと思います。
ただ、報奨金に関しては、あまり日本人になじむものではないし、韓国や中国のように、金メダルを獲得できた選手が多額の報奨金で生活が補償されるというのは、それこそスポーツの理念にそぐうものではないような気がします。
プロスポーツの選手もそうですが、プロで活躍し、多額の年棒を受け取ることは子どもたちに憧れや夢を与えるものだと思います。
ただ、プロとしてなぜ多額の報酬を受け取ることができるのかということをしっかりとみつめなくてはいけないと思います。
私が思うに、例えばプロ野球選手の報酬というのは、単に3割打てるとか、いくつ三振が取れるとかというそういう数字に対して払われるのではなく、選手が人間性という価値がどれだけあるかということに対して報酬の額というのが決定されると思うからです。
つまり、選手の言動や、努力する姿勢とかがあって、その人の活躍に感動を与えてもらい、心動かされた分だけ、観戦するためにチケットを購入したり、商品を購入したりするという行為があって、その結果選手に報酬というものがもたらされるのだと思うのです。
だから、報奨金によって選手にインセンティブを引き出すのではなく、そういうものは自然とあとからついてくるものだと思うのです。
マイナースポーツとよばれるものであっても、そこに選手の魅力があれば、おのずと注目されるようになり、そこになんらかの金銭的価値も伴ってくると思います。
例えば、以前はマイナーな存在であったノルディック複合も荻原兄弟や、河野選手などのような人が登場することによって日本の中でもメジャーな存在になりました。
おそらく、荻原兄弟がCMなどで起用してブランドイメージを向上させようとした企業があったでしょうし、また講演活動などで、人が話を聞くということもあったに違いありません。
選手は競技人生よりもはるかに長い人生があります。選手をやめたそのあとから、その人がどれだけの影響力を社会に与えてくれるのか、選手の金銭的な価値もそこが重要だと思います。