昨日は、某協会の新年交歓会、N君がブログをみてくれているとのことで、地道にやっているこのブログも見ていただいている人がいることに、ものすごく励みになり、本当に感謝感謝です。
さて、昨日は、うちの息子が、スキーを学校に持ってきてくれ!といったが、それは会社を出発する5分前ぐらいだったので、じいさまに頼めとあっさり断った。
夜の食卓でじいさまが、学校にかぎがかかっていて、どっから入っていいのか分からなく、その場に出くわした女性職員に、お願いしたとのことだった。
いま小学校の現場では、学校がはじまると学校の門を閉ざすところや、うちの学校のように、玄関にカギをかけてしまうところなどが、ほとんどだと聞く。
これは、自分が理解するに、2001年に池田市でおきた無差別の殺傷事件があってからだったと思う。
日本は本当に危険な場所になった…そんなことを思う本当に衝撃的な事件であったが、それ以降学校側が安全の確保という観点から、門を閉ざすようになってしまった。
しかし私はあえていいたい。
教育委員会や、学校側の子どもを守っていく責任ということは分かる…。しかし、学校は本来地域に開かれたものでなくてはないはずだ。
うちの中学校でもそうだったが、学校が統合をするとき、必ず反対運動がおこる。それは学校が単なる学び舎というだけではなく、地域にとってのこころのよりどころであるにほかならないからである。
つまり自分たちの原点でもあるのだ。だからあえてオープンスクールなどといってやらなくても、自分達の子どもたち、あるいは地域の人にとっての後輩たちが学ぶ姿をいつでも訪れることができるようなそういう雰囲気が私は大事だと思う。
地域の人がそんなにしょちゅう訪れるわけではないが、しかし、学校にあえてかぎをかけて世間と隔離するようなそういうことはぜったいにしてほしくないのだ。
そのような先にどういうことがおきるのか、おそらく子どもたちは学校の門を閉ざすことが「普通」だと思い、それがいずれスタンダードになってしまい、そういう基準でものごとをみるようになるのではないかと思う。
私たちがなすべきことは、あの学校の門をとじることのないように、人が人の本来備わっている秩序や社会的規範を信頼できるような社会をつくっていくことだ。
人は本来、手をつながなくてはどだい生きていけない存在である。だから、人が社会を信頼できなくてどうして、明るい社会がつくれるというのだろうか。