ウルトラを人生に生かせるか? | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

ウルトラマラソンに出ると、自分でもアホやなーと思う。

なんであんな苦しいことをわざわざ高い金払ってやっちゃうんだろうみたいな…。


確かに、ゴールしたときの達成感は、なににも変えがたいものがある。でも、それだけはもったいないような気がして…。


いろいろ自分なりに考えてみた。


実は走りながらも、ただ走ることだけというわけにはいかないので、景色を楽しんだり、食べ物や酒のことを考えたり、エイドの人温かさや地域の文化とかとにかくいろいろ考えるわけだ。


その中で今回改めて気づいたことは、よく人生はマラソンにたとえられるというけれど、まさにそうに違いないと思ったことだ。


100kmとなると、ゴールは果てしなく遠くにある。朝4時30分にスタートしても、自分の実力からすると、半日後がゴールになるわけである。


だから、ゴールを思い描いても、まず目の前の1km、1歩を考えなくてはいけない。


つまり、ゴールというのが、長期目標だとすれば、中期目標、短期目標と数々の目標をその中にいくつも設定して、それを一つ一つクリアしていくのだ。


他の人は、違うスタイルもあるかもわからないが、少なくとも自分はそういうふうにしながら、一歩一歩を刻んできた。


特に100kmマラソンの場合は、エイドと呼ばれる給水ポイントが5km間隔ごとに設定されていて、50kmを走り終えたころには、もう体はだいぶボロボロになっているもんだから、とにかく、次のエイドまで行こうとしか考えないわけだ。それを20回繰り返すような感じなのだ。



そして、あたりまえだが、ペースをあげてみても、たかだか500mぐらいしか続かず、結局たんたんと地道に距離を刻んでいくほうが、結果的にはいいタイムをたたきだすことができるし、痙攣や、体の不調を訴えることが少ない。


また、相手がたくさん走っているので、その人のペースに頼って走ることもある。どうしても自分だけでは、ペースもつくれないし、モチベーションもさがってしまう。そんなときには、比較的ペースが安定して走っている人の後ろについて、走るとけっこう自分自身も安定して走れるのだ。(実は、年配者がこういうのはうまく、たいがい走っている人の中で年配者をみつけるとうまくいく)




こういう100kmをうまく走りきるコツはすなわち、人生にもいくつもあてはまるのではないか…、そんな気がしてならない。


こうして得た経験というのをやはり日ごろの生活の中で活かせることができれば、体の苦痛も、15000円もそのゴールの達成感以上のことに活かせるんじゃないかそんなふうに思っている。