私が小さなころは情報といえば、新聞かテレビぐらいで、情報の入手できるルートというのは、特に限られていた。
そして、そういった情報というのは、公正な情報であると信じて疑っていなかった。
しかし、最近、そういう情報というのが、どうも公正でないということがわかってきた。
こうやって、ブログに流している私の情報というものも、ニシムラマサキというフィルターを通したものであるから、自分が得た知識と経験からしか判断できていない情報であって、自分では正しいとは思っていても、これはやはり一側面からしかみていない情報ということであることは否めない。
ましてや、いわゆる報道各社というのは、情報を正しく届けることがまず第一義の責務であるはずだから、そこに、私情がはさみこまれると、誤った情報が届いてしまう可能性があるのだ。だが、人間でアル以上は、そうなってしまうのはやむをえないことかもしれない。
そこで、重要なのが、その情報を読み取る側の客観的な見方である。もちろん情報を読み取る中で、うれしいことや悲しいこといろんな感情がでてくるもの、それも人間の性であるからしかたのないことなのだが、それであっても、この情報の真意というものを自分なりに公正な立場でジャッジしていくことが重要になってきているのだ。
ましてや、携帯端末やインターネットを操ることが自在にできるようになった今日、よりその重要性が増している。
客観的な事実をとらえ、客観的に冷静にジャッジしていくためには、それを受け止めたら、どれだけ幸せな人が増えるようにできるのかそういう読み方が大事なのだと思う。
ある地域で殺人事件がおきた。こういう事実に対して、だから、その地域は物騒だと思うのか、だから、子どもたちを保護して、守ることをももっとしていくようにしようと思うのか。犯罪が起きないように、日ごろの声かけを大事にしていこうというふうにおもうのか。
殺人事件がおきたから、あいつは悪いやつだと決めつけるだけではあまりに短絡的ではないか。
その裏側にある事実をしっかりととらまえていくことが大事なんだと思う。