いま、子どもをまもろうということで、見回り隊的なものが各地でつくられ、市民ボランティアが子どもの登下校を見守っている。
ただ、その見守り隊が、過保護と表裏一体なのではないかと点で、心配しているのだ。
子どもとて、一つの人格をもち、自分の命を自分で守っていかなくてはいけない責務を負っている。そういう危険を自分で守っていくんだという気概をもたなくては、この厳しい世の中を本当に生きていけないのではないと思う。だ。
田舎は電気もない、獣も出る。でも、そうだからといって、道端に次々と、電灯をつくっていって明るさを確保していくとかいっても実際割りにあわないし、本当に子どもたちの安全を守ることとして有益なことなのかどうか、疑問に思う。
それよりも、たくましく生き抜いていく処世術を教えていくということが必要だし、子どもを連れ去ってしまう悪い人がこの世にいないようにする、あるいは地域がそういうものを監視抑制できる雰囲気をかもし出していくということがもっとも必要なのではないかと思うのだ。
●崖に臨んで虎兕(こじ)を看る(虎は子を千尋の谷に落とし、這い上がってきた子だけを育てる)
●かわいい子には旅をさせろ
昔から、こちらが一方的に何かをしてあげることだけはなく、それなりのリスクあるところに、身をおかせることで、子の成長というものを促すということはよく言われていることだ。
子どものために、親や地域が何かをしてあげることで、子どもがダメになってしまうこともあるのだ。