世の中には多くの雑用がある…と一般的には言われている。
本業があって、その主流の流れから外れる仕事はすべて雑用…
ということであろう。
私も一瞬、その言葉をある意味納得し、やりすごそうとした。
しかし、よくよく考えてみるに、果たしてそれはそうなのか…と思いなおした。
掃除などがその典型だろう。
掃除は一般的には、本業の傍らでやるものであるから、それは雑用の一つと言われることが多い。
では、精密機械を扱うような現場における清掃というものはどうだろう。
精密機械にとって、埃や塵などが、その機械に混入することは、製品上もっとも避けなければならないことになる。
精密機械を製造するために、工場内をきれいに保つ掃除が、雑用にしかならないのであれば、それらがもし、粗雑にやられたならば、品質上に大きな欠陥を生むことになるだろう。
となれば、それは雑用ではなく、重要な『仕事』となる。
コピーをとるような作業はどうだろう…
まあ最近では、コピーをとることの行為そのものが減っているので、それを例にすることも今となっては、死に絶えつつあるけれど、コピーをとることも、とった書類が必要だからとるのであり、もし、それが雑用でしかないのなら、辞めればいいことである気もする。
結局、その仕事が雑用であるかどうかは、その人がその行為をどうとらえ、どう取り組んだ結果なのかによるのだということだ。
コピーも、必要な人に必要な数のものが整っているからこそ、それをみて行う行為は価値あるものになる。
つまり、雑用としか思えないのは、その人の心の問題だ。
安易に雑用という言葉は使わないようにしたいと思う。