ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 
 
昨年辺りからずっと気になっていた長野に本社がある山翠舎さんに視察をやっと行うことができた。
 
私が所属するある会を通じて、視察をお願いしていたのだが、何度もリスケして、ほぼ1年越しの視察となった。
 
世の中にはモノがあふれまくっている。人口が減ってもなお、モノをつくりまくっている感じだ。
 
そんな中、今現にあるものを最大限に活かして行く取り組みがあちこちでも見られるようになった。
 
先日、日南町で訪れた白谷工房さんもそうだが、今回の山翠舎さんも、間違いなくサーキュラーエコノミーの雄と言って間違いない。
 
 
 
 
山翠舎さんでは、古い建物解体されたときに出る柱や梁などの材料を丁寧に保管し、それらを住宅の店舗などに再利用して活用する事業を展開されている。
 
ご存知の通り、そういった古い木材は、生活の跡が染み付いていて、ほぞ穴があったり、加工後が残っていたり、さらには、生活で使われた際に出る傷なども残っていたりする。
 
しかし、何十年、時には何百年経っている木材たちはまるで生き物のように個性を持っている。
 
何より、昔の普請は今とは比べ物にならないぐらいいい材料を作っていたりする。
そんなモノたちを丁寧に再利用していくのは、理にかなっている。

というより、むしろそれこそが本質なのではとも思ったりする。

 やっていることは、割とシンプルだけど、ここまでのストックを行って事業やり切るのは難しい。

我々が真似してできるものでもない。

どんな事業もそうだが、マネできそうなことだと思っても、それをやり切るには哲学が必要だ。

自分の信じたことを愚直にやり切る。
人間これが、本当に正しいのか…途中迷ったりするものだ。

だけれど、それをやりきってこそ、見える世界がある。

自分は果たして哲学があるとだろうか…


 

ここ何日か 近所のタナベさんが玄関先にとれたての野菜を置いてくれている。
 
いつもは自分たちがいない時にそっと置いて帰っていくのだけれど、今日はたまたま 玄関にちょうど 居合わせたため 、
 
 
「いつも美味しい野菜を届けてくれてありがとうございます」
とお礼を述べた。
 
タナベさんは
「夫婦以外いないから取れすぎて困ってるんだよね」
と笑いながら 答えてくれた。
 
何かではお返ししたいとは考えているけれども さっそく何かっていうわけにはいかない…
 
いずれ 近いうちの店で焼いているパンでも届けようと思う。
 
先日、スーパーマーケットに行ってきゅうりを購入しようとしたら3本で300円だった。
 
今日届けていただいた野菜を店で購入すると、おそらく 7~800円ぐらいはするんじゃないかと思う。
 
実にありがたい。
 
スーパーで買う野菜もきっと農家の人が丹精込めて作ったものには違いないけれども、こうやって実際に作った人が手元に届けてくれて、野菜の向こうにその人の苦労の姿が思い浮かぶ。
 
先日もナスを頂いたが 夫婦で ありがたくいただいた。
 
みずみずしく、そしてとろけるような触感。うまかった。
 
ここには貨幣経済 以外の物々交換の経済というものが存在する。
 
何かを作るのが得意な人がいて、そして自分たちも得意な何かが届けられているはずだ。
 
本来、経済 っていうのはそうやって自分にはないもの自分にあるもの、そして相手にあって、相手にないものを交換しながら社会がうまく回るようにできているはずなのだが、幸か不幸か、貨幣というとても便利な道具によって、作り手の顔であったり、自分たちの気持ちが相手に届いたり、相手の気持ちが届けられたりということを感じにくくなっているように思う。
 
本来、経済というのは、そこにハートが乗っかているものだ。
 
玄関先におかれた野菜を見ながら、ふとそんなことを考えた。
 

 建設業をしていることもあり、日常の会話の中にしょっちゅうインフラという言葉が登場する。

 

インフラストラクチャーについて辞書で調べる。

 

 

 

「社会や経済の活動を支えるための基本的な施設や設備、サービス」

とある。

 

我々が通常言うインフラとは、道路、橋、下水道などで、最近では、携帯などのモバイルサービスネットワークもそうなのだろう…。

 

先日長野に行くことがあって、いつもは車でいくのだけれど、時間を節約しようということで、北陸新幹線を利用することとした。

 

乗車場所は敦賀駅。


2024年に新幹線駅が開業したまだピカピカの駅である。

 

駅周辺には、ホテル、飲食店などが立ち並んでいた。

人の動きは少なめに感じたけど、都市機能がそこにドンとできた感じだった。

 

敦賀周辺の人にとっては待ち望んでいたモノなのだろう。都市はやはり人を飲み込む。

 

新幹線駅も各地にあるが、東海道新幹線や山陽新幹線は、もうすでに何十年も経っているので、駅舎はどことなく古びた印象も受ける。


しかし、敦賀の新駅は、ピカピカすぎるぐらいだ。


今のところ、敦賀以西のルートは決まっておらず、思い切り政争の具だ。


湖西ルート、湖東ルート、それらが通るか否かで、経済的な影響がまるで変わるわけだからそれも当然のことだ。


地元で多少、山陰新幹線構想などの話がフツフツと出てきたりもするけど、相当現実的でないから、ハナっから期待もしていない。

 

しかし、ふと足元をみれば、僕らのマチムラにも偉大なるインフラがある。

そう、田んぼと畑だ。

 

田んぼや畑は日本人の食を支える強力なインフラだ。

しかし、それは今どうなっているのか…

 

うちの村の多くは耕作放棄地となり、ボロボロの状態といっていいだろう。


しかも、この人口減少の昨今

到底復活できると語れるものでもない。


放棄地になって、インフラとしての機能を果たせなくなっているのが、景観を損なっていることだ。


優れた景観は、インフラの重要な要素といって差し支えない。

 

都市というインフラは、年数を経ると老朽化し、みすぼらしさが増していく。


もちろんメンテナンスを行えばいつでも新鮮な都市を維持することができるが、限界がある。


一方、地方の景観を形作る田畑は、磨けば磨くほど、つまりは手をかければかけるほど美しさが増していく。


田畑は食料生産の根本ではあるが、それ以外にも、水を蓄える滋養的作用、地方が地方たるアイデンティティを放つ存在でもある。


新たなインフラの整備以上に今あるインフラを最大限活かすことが何より大事だ。

 

 インフラインフラと声高に叫ぶならば、政治家も我々も、もっとそこら辺を見なければなるまい。

 

 

 
『まちづくり長野』さんに、研修をお願いし、長野市のまちづくりについてお話を聞く機会を得た。
 
まちづくり長野さんで行っている9軒長屋の廃屋群を再生し、商業施設に再生した案件などについて説明をいただいた。
 
今、全国中空き家問題はあり、長野市も例外ではない。
 
 
さまざまな工夫やご努力で、その廃屋群は今は元気に商業施設としてのにぎわいを取り戻していた。
 
二つ印象に残ったことがある。
 
一つは、まちの再生には、地域に住む人が、どういうマチをつくりたいのかという明確な意思をもつ必要がある
ということ。
 
9軒長屋を復活させるにあたり、苦労したことの一つがそのエリアを旗振る人がいなかったことらしい。
 
まちづくりの再生においては、建築士や、大工などのいわゆる物理的な仕事をする人は大勢いる。
 
しかし、彼らには、自分たちがこの建物をどうしたいのか、コノマチをどうしたいのか…という意思は通常もたない。

というより、もてないといったほうがいい。
 
やはりそこは、建物オーナーや、地域住民の意思というものが必要だ。
 
昔、農耕が中心だったころは、封建的な社会だった。そこを納める大名がいて、その中に小作人がいたが、大名は、自分たちの納める場所をこんな場所にしたいという強いリーダーシップがあったがために、その人の旗のもとに、まちづくりが強力にすすめることができたという一面もあったという。
 
民主主義社会になり、誰もが平等なチャンスを得たとしても、このマチをどうしたいのかというリーダーがいなければ、逆に誰もこのマチに責任をとらないという事態がおきていく。
 
だから、旗を振る強力なリーダーがそこに必要なのだ。
 
もう一つ。

まもなく長野では郊外に巨大なショッピングモールが誕生するらしい。
 
どの地方もそうなのだが、やはり、大きなショッピングモールの存在は強大で、経済はかなりそこに吸い取られ、中心市街地は必ずダメージを受けるという。
 
ショッピングモールを展開する大資本も、自分たちのプレゼンスを強力に発揮し、本気で顧客を取りに行く。

当たり前と言えば当たり前だ。
 
しかも、そこは素人の烏合の衆ではなく、百戦錬磨の兵(つわもの)ときている。
 
ここ10年ぐらいは、そちらに顧客が流れをとめることはできないだろう。
そんな彼らに普通に戦ったとて勝てるわけがない。
それは必然の理としても、ではそれでもとうやって戦っていくのか。
 
それは、歴史と文化を紡ぎ、丁寧に一つづつ作り込んでいくしかないのだそうだ。
 
 
ある意味、地方での戦いの定石であり、結局、戦いかたにそんな目新しさはないということだ。
 
ただ、その定石どおり忠実に愚直に行っているかどうか、そこはその人やマチの本気度が問われる。歴史と文化を紡げるのは、やはり地元の人間しかいないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
3人の子供が夏休み自宅にいたのだが、2人はすでにそれぞれの場所に散っていき、残りは1人となった。
 
僕自身めったにない何もない休日、どこかに出かけたくなり、あまり期待はしてなかったが息子に提案すると、行くという。
 
ついでに(というと叱られるだろうが…)母も誘ってみると行くという。
 
母、私、次男の3人で出かける。
 
あるポッドキャストで島の暮らしについて語った番組を聞いたのがなんとなく耳に残っていたのが、記憶の片隅に残っていたのだろう。
 
ふいと瀬戸内に出かけることを思いつく。
昔、娘がまだ小学生の低学年の頃、二人きりで芸術の島、直島に行ったことがある。
 
直島の周辺にはそれ以外にもいくつかの島があり、同じようにアートが楽しめる場所がある。
 
そうだ!
なんか天井にぽっかり穴の空いた場所があったはず…。
 
調べてみると豊島美術館らしい。
今回のターゲットはそこに決まった。
 
夏休み期間で人が多いだろうと早めに行動するのが私流。
 
暗がりの中家を出る。
豊島には9時ぐらいに着く。
 
美術館は10時オープンでそのタイミングで入ろうと思った。
ところがそこで気づく。
美術館は予約が必要で、しかも専用アプリをダウンロードしなくてはならなかった。
 
こう見えて、アート巡りは結構好きだ。というより正確に言うと、アートがあるマチの成り立ちに思い巡らせるのが好きというか、そこに最大の関心があるというのが正解だ。
 
職業病に近い。つまり、どうやったらマチのにぎわいって生まれるのだろうとまちづくり文脈で美術館を巡って、あーこうやって人寄せしてるんだーとか、こーやって、まちづくりしてるんだーと勝手に想像を膨らませながら、自分の仕事に何とか置き換えようとする行為に突き動かされているだけなのだ。
 
だから、実はアートそのものは見てるようであんまり見てないかもしれない…
 
そもそも、絵心がない。
でも、やはり、アートで心揺さぶられるものはあるからその気持ちだけは大切にしている。
 
さて、内藤礼の作品である。
 
 
 
何百メートルかの通路があり、美術館スタッフの誘導に従って歩く。
 
芝地を過ぎ、森に入ってしばらくするとスカッと森が切り取られ、海が一望できる場所にたどり着く。
 
 
 
瀬戸内の海の中に防波堤が一文字に見える。
これも作者の意図なのだろう。
 
防波堤はアートの一部に見えた。
 
そうして、イントロダクションを終えた先に、内藤礼の作品がある。
 
そこは写真撮影禁止だし、ネタバラシをすると面白くないので、そこで見たものはここでは割愛する。
 
しかし、不思議な空間と、不思議な仕掛けに翻弄されて、あー、これがアートなのだとわからないなりに解釈をした。
 
さて、今日のブログは、瀬戸内芸術祭で見た私なりのb面(ゲイジュツそのもの以外)の話である。
 
それは何かということなのだが、自然とアートが一体となるところにここのゲイジュツの、妙味がある気がした。
 
滝や、岩など、自然の造形美もある意味アート的なのだが、ここは、海や島などの瀬戸内本来の自然と、人の手によって作られた里地里山と、そして人為的であるアート作品が融合することによって多くの感動を呼びおこすところだと思った。
 
しかし、少し残念だったのは、芝地には雑草が生え、作品のある場所は棚田の場所だが多くが耕作放棄地になっているところだった。
 
なので、その部分は少しがっかりとした。

絵画や彫刻物などは、作品が完成されてから手を加えるようなことはないのが普通だが、ここのアートがアートとして成り立つには、日常の暮らし、つまり人の営みがなによりも大事だと思った。
 
日本の風景は、やはりそこにくらしがあってこそ美しい。
豊島は、それに加え、ゲイジュツカのインスピレーションがあってなお際立つものだと思う。
 
ご多分に漏れずこの島も、過疎化の波にのまれ、人口減少にあえいでいるという。
 
ここに訪れる半分ぐらいの人は外国人だった。

日本以上に多くの人に紹介され、また口コミで広がっている場所なのだろう。
 
瀬戸ゲーが、これからも瀬戸ゲーとして世界を魅了するために、島の暮らしが、脈々と生き続けることを願う。