ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

ちょうど、今年は我が家にとっては卒業ラッシュの年となってしまった。

 

次男が、カナダの高校を卒業するので、長男に引き続き、出向くことにした。

 

長男のときもそうだったのだが、次男のときも、入学から卒業に至るまでまったく関わりをもたなかった。

 

入学に至るまでの手続き関係は、妻が留学エージェントを通じてサポートをしていたので、どういう流れだったのかも恥ずかしながらまったく無知だった。

 

なので、まったく現地に赴くこともなく、息子が卒業ともなると、なんとも親としての責任を果たしたことになるのか…という自責の念も感じるところがあり、行くことを決意した。

 

僕が覚えていないだけなのだろうが、自分が高校や大学を卒業するときに、親がいるという認識にも欠けていたので、自分がまあ行くこともないかと、つい直前まで思っていたのが本音だ。

 

だが、長男の卒業のときに、自分の考えがいかにグローバル視点でいうと、欠落しているかを思い知ったので、ここは行くべしと決意したのだった。

 

ただ、あとでも述べていこうと思っているが、卒業式に参加できて心の底からよかったと思っているし、また今回の旅を通じて、自分自身の気づきや学びもたくさんあったので、忘備の意味も込めてここにツラツラと書き記していこうと思う。

 

 

先も述べたのが、次男の卒業式に参加を決意したのは、5月連休の直後だった。

 

5月連休に長男の卒業式があって、夫婦で参加してきた。

今はずいぶんと感覚も異なってきていると思うが、僕らが学生だった頃、親が卒業式に参加するというのは、今ほどなかったように思う。むしろ、いい大人にもなってるんだから、別に親が卒業式に行くこともなかろう…というのが、僕らが学生のころの感覚だったし、そんなふうにも思っていた。

 

だが、昨今、親が子供の行事に参加するのは当然という雰囲気に変わりつつある中、気持ち的には超前のめりというわけでなかったのが正直なところだった。

 

だが、長男の卒業式に参加して、その考えがまったくもって時代錯誤であり、また、グローバル感覚(というか欧米的考えと言ったほうが正しいか…)だと、こどもの卒業式を盛大に祝うのは、むしろ当然のことだということを思い知った。

 

息子の卒業式inColorado

 

親も、祖父母も、みんなが大挙して子供の卒業を盛大に祝うのが、普通のことだったからだ。

 

なので、帰国して急いでカナダ行きのチケットを手配した。

建設ネイチャーポジティブ これからの土木・建築ビジネスの必須教養を読む。

 

これもまた、安宅本の一つだ。

 

建設業の我々が読むべき必読書と感じる。

ネイチャ―ポジティブというのは、活動を通して、生物多様性を発展させる取り組みをいう。

 

建設業を通して行われるインフラ整備で、人々の暮らしは向上したが、同時に、動植物には相当なダメージを与えてきた。

 

気候変動が、人為的な活動によってもたらされていることがはっきりしている今、世界は2050年のカーボンニュートラル実現に向けてシャカリキに取り組んでいるが、それと同様に、様々な便益を提供している自然の損失を食い止めていかねばならないという世論が高まってきた。

 

そういった背景で、建設業もその活動を通じて、生物多様性の回復を目指していかなければいけないとなってきた。

 

山奥のどん詰まりに住む我々からしてみると、なんとも人間社会のご都合主義なようにも見えないことはないが、しかし、そういう社会の空気が醸成されていることは喜ぶべきとも思う。

 

この本の中では、建設と生物多様性の融合についての概念を幅広く理解するには良書と思えた。

 

一つ印象的に感じたのが、ぺージの中に『金融』というか、その事業をすすめていくための資金調達についての記述もあったことだ。

 

皆さんも周知のとおり、今日本は、国や地方自治体の財政はかなり厳しい状況に置かれている。

 

高市政権は積極財政推進派であり、公共投資を通じて、経済を回し、そしてそこから得た利益を社会にさらに還元していくということである。

 

しかし、自治体をはじめ多くのところが、あまりに膨らんだ借金の償還を最優先に考えなくてはいけなくなり、公共事業投資もどちらかというと抑制しなくてはいけない方向にある。

 

私は、兵庫県民だが、まさに兵庫県は斎藤知事がこれを最優先事項として進めていて、多くの建設業者は、現在の公共事業の少なさに相当に知事への批判を強めているところだ。

 

この本の中では、その点には触れてはいないが、民側がファンドなどを通じて民間資金を集めて事業をすすめていく手法についも触れていて、お上が決めた事業に群がるのではなく、本当にネイチャーポジティブをすすめていきたいのであれば、我々民間が知恵を出し、資金を集め、そして公共に成り代わってすすめていくというこれからの社会のありようを示している。

 

私のような頭の悪さでは、ウルトラCをひねり出していくということを考えるのは相当に厳しい気がするが、それがこれから私たちに求められることなのだと、改めて肝に銘じるのだ。



 

6月5日

 

美方青年会議所45周年、記念式典、祝賀会が開催された。

 

 

会場は『うづかの森』

 

私が経営する、廃校を利用した宿泊施設の体育館である。

 

理事長のスピーチは魂が震えるほどの、気迫こもった素晴らしいスピーチだった。

 

それぞれの運営も素晴らしかった。

きっとメンバーは何度も何度も議論を重ね、そして準備をし、また練習も重ねてきたことなのだろう。

 

 

 

うづかの森は、十数年前に廃校になった中学校跡地である。

うちが所有する施設のハジをさらすようでもあるが、ステージの幕は所々が破れているし、体育館の壁のクロスもはがれかかっているところも多数で、一般的に行われる市民ホールなどに比べるとはるかに見劣りのするものだ。

 

理事長のニシタニタイガくんの母校でもあり、自分が理事長としてふさわしい場所はここしかないと思ったに違いない。

 

施設はオンボロだったけれど、それを彼らの気迫のこもった運営がいい意味ですべて吹き飛ばしてくれた。

 

そして、式典の後の懇親会は、ハチ北の野間ゲレンデ。

これもまた、理事長のおひざもとであり、周年としては異例の屋外開催であった。

 

台風がつい数日前に過ぎ去ったばかり。

そして、これもまた数日前に梅雨入りしたばかりで、朝も渋々と雨が降っていたが、彼らの気迫が、晴れを呼び込んできたのだろう。

 

むしろ、暑すぎず過ごしやすい一日だった。

 

 

思いおこせば、僕が入会して数年たったときに開催された20周年。

当時の北村先輩が、浜坂漁港の上屋をメイン会場に、式典、祝賀会が開催された。

 

式典と、祝賀会の合間には、参加者に遊覧船で浜坂クルーズというこれまた例のないアトラクションも用意された。

 

 

これまで、式典は、ホールやホテルで行うもの、という常識を覆し、美方らしい自然を活用した周年をやってきた。

 

美方には、山があり、海があり、そういった地域の資源を最大限生かした設えをしてきた。

 

今回も兵庫県各地から来た現役のメンバーは、美方らしさを存分に味わったに違いない。

 

祝賀会のメニューも美方の食材がふんだんにふるまわれた。

 

私自身は、青年会議所活動に22歳で入会した。僕が卒業を間近に控え、次の組織をつくろうにもみんなが次々と辞めていくという事態に遭遇。

 

私はOBの皆さんを前に、JCを続けることができないことにお詫びをしたことを覚えている。

 

しかし、それを聞いた兵庫の仲間たちが次々に手を差し伸べてくれて、そしてまた全国からも多くの仲間たちが存続に向けて、本当に多くの人が協力をしてくれた。

 

40歳を迎えたものの、異例の43歳まで、暫定のメンバーとして会に居残り、次の世代が入会を果たしてくれ、今に至っている。

 

今年は、なんと15名もの精鋭たちによって、この式典も開催してくれた。

 

なんかそんなことが次々と頭をめぐって、私は理事長のスピーチを聞きながら、涙が止まらなかった。

 

今、地域は本当に厳しい時代を迎えている。

しかし、若き青年たちが、その中でも歯を食いしばり、この地域を未来あるものとするため、頑張ってくれている。

 

僕らも彼らに負けず、この地域に住まう人々に明るい希望をもたらせるよう頑張らねばと思う…。

 

青年会議所にいた約20年間。地域とはどういうものなのかということを本当に勉強させていただいた。

 

今の私の思考は、JCを通じて形づくられたものだ。

JCを経験してきた数多くの先輩、同輩、後輩とのつながりで、今ここにいられることを本当に感謝と誇りに思う。

 

次の50年、100年の未来に向けて、若者が未来を切り開いてくれることを切に願う。

 

うちの集落ではないのだが、とある集落に若い夫婦が引っ越してきたという話を聞いたことがあった。

 

カフェを経営するといううわさ話もあって、ちょっと気になっていたのだ。

 

たまたまその地区に住む知人の方に、その人の生活ぶりを聞いてみた。

 

セルフリノベーションで、建物を改修し、そのカフェを経営するために着々と準備はすすめているのだという。

 

そこで『その人は地域になじんでいるのか』という質問を投げてみた。

 

すると、その人たちは、集落の付き合いができていないとのことだった。

 

なぜなじんでいないのかという理由を尋ねてみた。

その人曰く、総事(いわゆる地区の奉仕作業のこと)に行ったときに、若いからという理由で、かなり大変なことをさせられてしまい、どうやら辟易しているということだった。

 

 

杞憂に終わればいいのだが、そんな場合、地域での暮らしが頓挫することが多いような気がするので、なんとなく気がかりだ。

 

 

移住者が地域で楽しく暮らす必須条件は、やはり地域コミュニティの輪の中に溶け込むことだ。

 

うちのムラでも総事はかなり多く、草刈りなどは年に4回は出役しなければならない。

 

自然豊かな場所に暮らしたいと夢見る人は多いが、田舎のコミュニティではそれは必須項目であり、煩わしい行事を避けて暮らすことはできない。

 

一般的にはそれらを経験すると単なる負担しか感じない。

 

しかし、実は、その先にこそ田舎で生きる楽しむがあるのではと思う。

 

田舎あるあるだが、近所の人が、採れ過ぎた野菜が、家の玄関先においてあるというあの美談は、実は、そういう煩わしさの先にか存在はしない。

 

採れ過ぎた野菜をもってきてくれる人にとって、得体のしれないよそ者に野菜をあげるほど、実はそんなにお人よしではない。

 

それは、その人のなりが分かり、ある程度信頼できる人であるからに他ならない。

 

そういう信頼感を醸成するのが、総事の場でもあったりするのだ。

 

お金にならない奉仕作業を一生懸命できるかどうか、そういった姿を地域の人はよく見ている。

 

そういう形で、試されているのだ。

それを乗り越えたからこそ、地域の仲間として受け入れてくれるのである。

 

田舎でハッピーに暮らす術の一つとして、それは身に着けておくべきものだ。

 

今、SNS全盛の中にあり、自分たちの趣味趣向のあるコミュニティは無限にあり、その中にいることはとても心地よいものだ。

 

それはあくまでバーチャルの世界でもある。

 

都市のフィジカルな世界は、金ですべてを解決する世界でもあり、お金さえあれば、あらゆるものが手に入るので、食料、エネルギー、娯楽などそういったものにコミュニティを必要としない。

 

一方、そんな貨幣経済一辺倒の世の中に疑問を呈し、人と人とが交わるそんなコミュニティを求めて、わざわざ不便なところを選んで住む人たちもいる。

 

人と人とが交わる以上、ときに、うざさ、めんどくささ、煩わしさはある。

 

しかし、そういったものも受入れ、前向きなエネルギーに変換することで、その人もしなやかに成長できる。

 

ある意味、そういうネガティブなものは、そっと受け流し、いいところだけに集中するという処世もまた必要である。

 

とにかく、住めば都。

ここにいることの幸せ感を、自ら創り出していってほしいものだ。

 

 

 

私は熱狂的安宅和人さんのファンである。

 

安宅さんの著書『風の谷という希望』は、私のもはやバイブルだ。

 

2回通読したが、死ぬまでには、100回は読んでみようと思っている(笑)

 

 

 

 

さて、安宅さんが、日経Bookプラスという記事の中で、読んでおくべき著書を30冊ぐらいピックアップしていたので、とりあえず、その中から10冊ほどを購入してみたが、なにぶんそれぞれの本の中身も相当に濃く、なかなか一冊読みきるには時間もエネルギーもいる。

 

●成長の限界 ローマクラブ『人類の危機』レポート(メドウズ他)
●発展する地域 衰退する地域 地域が自立するための経済学(ジェインジェイコブズ)
●アースダイバー (中沢新一)

●大阪アースダイバー(中沢新一)
●脱「学校」論 誰も取り残されない教育をつくる(白井智子)
●社会的共通資本(宇沢弘文)

 

以前に読んだものが上記のとおりで、このたび、ようやく7冊目を終えた。

 

『植物と人間  生物社会のバランス(宮脇昭)』だ。

 

自然が危機に瀕していると言われ久しい。

この著書が最初にかかれたのが、1967年とあり、私が73年生まれだから、実にその6年も前に書かれた著書である。

 

植物がどういう過程を経て、自然を形成していくかというプロセスを示してくれている一方で、人間社会が自然資源を過剰に、あるいは、自然の摂理をある意味無視して、開発(都市開発、国土開発など)を続けた結果、人間が生きていくために必要な自然をも破壊している状況を憂いている。

 

2026年の現在、『生物多様性』について、あらゆる分野でとりあげられているが、60年前から、自然環境に対し、社会はそのような警鐘を鳴らされ続けているにもかかわらず、そのことにしっかりと向き合わずに、今に至っているのか…ということに気づかされる。

 

著書の中で、

『地球上の生物社会の主役は実は緑の植物である』

『そして我々人間は、地球という大舞台の生物社会劇の最後の幕合いに、やっと間に合って出演し、主役である植物のまわりでわずかな時間と空間を与えられて、とくとくと大得意で役柄以上のコッケイな所作で、すぐ幕が下りるとも知らず踊っている一端役にすぎない』

と述べている。

 

よく、我々は『地球環境を守らなければならない…』と、自身が主役であるようにふるまう。

しかし、自然環境の形成は人間社会が登場するはるか前から存在し、また、もし仮に、地球環境の変化に対応しきれず、人間がこの世からいなくなったとしても、自然は、何らかの形で残り、そして今後も継承されていくと説く。

 

私たちは、自らが存続するために、この自然を利用させていただいている受け身の立場であることを認識し、自然を『保護』(保護してやっている)するという上から目線ではなく、利用させていただいているのだ、お借りしているのだとして、きちんと利息を付けて返さねばならない立場なのだ。

 

私が住む村岡という地域を見渡してみると、四方は森に囲まれ、さも自然がたくさんある地域だと思ってしまっている。

 

しかし、よくよく目を凝らしてみると、その多くは植林された杉やヒノキの林が半分を占めていて、またそれ以外の植生を見ても、それは過去からずっと引き続いてきたものではなく、まだ森の歴史はそれほど年がたっていないもの(つまりは100年以上ということなのだが)ばかりである。

 

日本は、植物が生育するに最も適した気候のなかの一つであり、人間が勝手に表土をはがし、土をむき出しにしたとしても、そのうち勝手に草が生え、そして100年単位でみれば、やがてそれは森に返っていくという。

 

だから、私たちは祖先も含め、相当、森を過剰に使い倒しきているが、自然の回復は、それ以上だっただけだと言ってもいいすぎではない。

 

これからも、私たち疎空間に暮らす我々は、森とともに生きていく。

 

そのためには、森が形つくられるプロセスを理解し、自分たち飲身の丈を理解した上で、森を利用させていただくことが求められる。