ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

変態活動2025の集大成は、Chiang Mai by UTMBで締めくくることとした。

 

UTMB(Ultra Trail Du Mont Blanc)というトレイルランニングのTop of Topの大会がある。ヨーロッパアルプス最高峰モンブランの周囲をぐるっと一周する100マイルレースだ。

 

その姉妹レースである約100キロのCCC(courmayeur、champex-lac、chamonix)を走ったのが2022年。

 

UTMBには出場資格が必要で、当時、それにエントリーする資格がなかった。そこで、選んだのが、同時期に開催されるCCCだった。

 

コースは、UTMBの後半2/3である。

 

全コースではないとはいえ、UTMBの一端を垣間見ることがきて、あのときの感動は今でも忘れらない。

それから僕の中では、UTMBは完走したい目標となった。

 

世界から約2,500名のランナーが集う。

 

UTMBを頂点として、世界で64の予選レースがある。

各地で開催される予選レースで上位になれば、出場資格を得られるが、単に実力上位だけではなく、一般のランナーにもある一定の枠が開放されていて、それを目指すことができるのが、UTMBのユニークなところだ。

 

おそらく、全体の8割ぐらいは、一般ランナーだと思う。

ただ、一般ランナーがUTMBに出るためには、少なくともUTMBが主催するワールドシリーズ(つまり予選レース)に1レースは出場し完走していることが必要だ。そして、その各レースには完走したときに得点(ランニングストーンと呼ばれている)が付され、その得点の合計がその人の抽選の倍率になるというものだ。

 

 

例えば、ある国のレースで完走し、3ランニングストーンが付されると、その人は抽選で3倍の当選確率があがるということになる。倍率をあげるためには、複数のレースに出場し、完走してストーンを集めておく必要がある。仮に6ストーンを持っていれば、6倍、12ストーンを集めれば、12倍とそんな具合だ。

 

だから、1ストーンでも抽選に当たれば、出場は可能となるが、そこは世界中の人の憧れの大会である。年間に何度も予選レースに出場し、ポイントをためている人がたくさんいる中では、やはり確率は下がり、当選の確率は下がっていくことになる。

 

今回2025年の締めくくりとして選んだChiang Maiは、『UTMB Major』というUTMBの予選レースAsia のトップランクに位置づけられているもので、世界でも4つしかないレースであり、、完走すればランニングストーン8ポイントを得られる大会となっている。

 

(続く)

昨今、再エネへのシフトが言われて久しい。

 

化石燃料の使用は、大気中のCO2を増加させ、気候変動によるさまざまな影響を社会に及ぼすことが明らかになってきた。

 

なので、国際公約として2050年に日本は排出量をゼロにすることを掲げている。

 

だが一方で、再エネ設備の普及に伴った弊害(たとえば、メガソーラーが景観を壊すとかいったようなもの)も指摘されるようになってきた。

 

以前、会社で小水力発電プラントの建設に携わった。

小水力などの水力発電は、ある川の水系から水を取水し、それを一時的に迂回させ、その落差を利用して発電し、また、河川に戻される。

 

その迂回させた一時区間は、どうしても水量が少なくなってしまい、その区間においては、水生生物がすみにくい環境となり、生態系に影響が及ぶことになる。

 

なので、水力発電もすべてにおいてパーフェクトというわけではない。

 

今、当社では、ある電力会社を通じて、その建設工事に携わらせていただいた小水力発電プラントの電気を購入し、昨年は、会社で使用するすべての電力を再エネ由来のものに替えた。だから、電力を利用する局面においては、CO2を一切排出していない。

 

だが、先にも述べたように、我々がエネルギーを利用するということは、結局、環境への負荷ゼロなしということは一切あり得ないのだ。

 

私たちが生きることはすなわち環境への負荷がかかっていることを意味する。

 

であるがゆえに、日常の生活においては、できる限り環境負荷を減らしていくことが大事だ。

 

特に地方の人間にとって、自然との共存があるからこその生活であることを決して忘れてはならない。


そして、電源立地の犠牲の上に立ってエネルギーを利用していると言うつもりは全くないが、私たちが自らエネルギー自給できる立場にないわけで、エネルギーのその先の向こう側にある何らかの影響を常にイメージすることが必要だろう。


対価として金を払っているので、それ以上の文句を言われる筋合いはないという意見も聞こえてきそうだ。


しかし、どんな形でエネルギーが生み出されているのか、その影響はどう及んでいるのか


私たちはもっと賢い消費者にならねばと思う。

 

 

 

 

 

私が住む地元香美町では本年度多くの公共建築物を解体する工事の発注があり、今まさに 解体工事が至るところで進んでいる。

 

日頃の行いが悪いせいで当社は1件もその工事に預かることはできなかった。

 

さて私自身、建築物を施工する立場にあるものとして、しかしこの解体工事が続く状況を非常に苦々しく思っている。

 

おそらく解体される建築物を建設する当時、地域の人々は夢や希望を膨らませながら、この世に生み出されたにもかかわらず、この昨今の少子高齢化の波に飲まれて、使われなくなった建物は次々と 取り壊されていく状況だ。

 

建物はいずれ 朽ち果てていく。将来にわたってずっと同じ形をとどめておくことは 延々にはできないわけだが、しかし使われなくなったとて、やはりそれぞれの建物が取り壊されていくものはとても悲しい。

 

 私自身はそういった建物になんとか次の命を吹き込むべく、遊休公共建築物を購入したり、はたまた民間建築物も前のオーナーから引き受けて事業を継続したりしているけれども、さりとて、私自身の資金の限界や実力がおいついていないことも、全ての建物を活かしきることなどできず、これもまた苦々しく思っているところである。

 

人口のサイズに合わせて、淘汰することはある程度やむを得ない部分もあるだろう。

 

しかし 一人一人が前向きに生きていく という活動そのものが失われていくものであってはならない。

 

昭和30年代 、40年代、50年代と成長を続ける世の中にあっては、そういった住民サービスの向上に資する多くの物件が生まれてくることは、地域の希望であり、未来に満ち溢れるものだったはずだ。

 

しかし毎日のように連呼される過疎化、少子化という言葉に我々は翻弄されて、未来を明るく生きていくことに希望が持てなくなっているような気もする。

 

いくら人口減少になっても今生きている人々、そしてこれから生まれて来るであろう人たち一人一人が希望を持ち続けていくことは必要なのだ。

 

 

 

氷ノ山山頂より鉢伏山を望む
 
 
ちょうど、このあたりは、標高600~800あたりが、紅葉のピークを迎えている。
 
ハチ北スキー場のピークである鉢伏山は、標高1221mだが、頂上付近は葉っぱもかなり落ちてしまって、これから紅葉のピークがだんだんと標高の低い方へ移っていくのだろう。
 
スカッと晴れた先週土曜日、例のごとく、山行をして、たまらなく美しい紅葉に、心振るわせられた。
 

 

 

10月半ば、青森に行く予定があり、十和田湖からはじまって、奥入瀬渓流、八甲田山と、青森を代表する自然景観に圧倒されて帰ってきたのだが、鉢伏山界隈も、その青森屈指の資源景観に負けず劣らないと確信した。

 

戦中戦後の物資不足で、森林資源が必要となり、各地では伐採がすすんだ。

 

その後、杉、ヒノキといった樹種に置き換わり、各地の山は単純林となったが、高度経済成長の中で、山の適切な資源管理ができなかったがゆえ、各地の山はずいぶんと貧相になってしまった。

 

氷ノ山の山頂に登って周りを見渡してみれば、そういった植林に置き換わったところは深緑が広がり、一方奥地すぎてなのだろう人の手が入らなかったところは、赤や黄色の鮮やかな色彩をはなっているので、秋はそのコントラストをはっきりと見ることができる。

 

昭和20年代、30年代は生きることに必死できっと生態系のことなどはおかまいなしにならざるを得なかったというのが正直なところなのだろう。

 

今、社会がずいぶんと豊かになり、心に余裕ができてきているということもあるのだろうが、そのころに、もう少し先の見通しをもっていれば、山頂から見える景色も随分と変わったものだったに違いない。

 

しかし、人々はこれからも生きていく。僕らが死んでも次の世代は確実にこの世に生まれ出てくる。

 

そのとき目にするものは、私たちが意思決定し、行動してできあがったものだ。

 

山と共に生きる私たちは、そういった50年、100年後の未来も少し意識していかねばならないと思う。

 

山頂にあがって、山を見渡すとき、私たちもまた自然の中の一部なのだと強く意識する。

 

マチにでれば、目にするものは人々がつくりあげていったものばかりだが、山に入れば、相当多くのものが私たち人間以外のもの、つまり自然が成長し、競争し、また協創しながらつくりあげられたものがほとんどである。

 

人間は、自然を支配し続けてきているが、やはり自然の圧倒的な力に僕らはひれ伏すしかないのである。

 
 

今年も地元開催のトレイルランニング大会kami100が終了した。

 

昨年まで使用していたコースに若干の修正が加えられた。

 

昨年までは、1週37キロを3周する大会だったので、100キロというタイトルがついているものの、実際には、111キロであったが、今年はほぼ100キロコースとなった。

 

スタートは午前8時で、トップ選手でも12時間はゆうに超える長丁場で夜に突入することは必至、僕のようなレベルでは夜中走ることは避けられない。

 

トップランナーをはじめ、多くのランナーは、夜通し走り続けることのできる人も多いのだが、過去何度トライしても、あの睡魔には勝てない。

 

今年は距離が少し短くなったこともあり、なんとか気合で乗り切ろうと思ったが、やはり3周目にどおしようもない睡魔が襲ってきた。

 

コースは最初の6キロで標高差約500mをひたすら直登するのだが、そのあたりから、猛烈な睡魔が襲ってきた。

 

前後に選手がいるのだが、ボンボン抜かされていく…。

 

そうだ、ここは、寝ながら走ろう…と意識モウロウとうつろうつろすることを受け入れて歩いた。

 

おそらく、ホントに寝ながら走っていたのだと思う。

1か所目のエイドがある10キロ地点ぐらいまで、ずっとそんな状況が続いて歩き続けるしかなかった。

 

しかし、もう眠気に勝てず、第1エイドのある『とちのき村』でさすがにたまりかねて、横になって寝ることにした。

 

仮眠10分と決めて意識は完全にすっ飛んで眠りについた。

わずか10分の睡眠だったが、これが驚くほど効果的だった。

 

頭はさえ、体もよく動いた。

前半10キロで抜かされていった選手にも、その後あっさりと抜き返し、割とよく走れた。

 

僕自身は少しの睡眠をとるほうが、どうやらパフォーマンスはよいようだ。そこで失った10分程度なら、この長丁場では取り戻すことは割と容易だ。トレイルランニングのレースは距離にもよるが、大会の内容によっては2夜を超す大会もある。

 

コース途中にはエイドステーションが設けられ、選手たちは水分や栄養を補給し、また椅子に座ったり、横になったり、休むこともレースタイムに含まれていて、どう休むかも重要な戦略の一つとなっている。

 

人によってさまざまなスタイルがある。

先に述べたように、トップランナーたちは、そのわずかな休憩もレースタイムのロスにつながるから、ほとんど休息はとならないが、それも含めてのレース戦略である。

 

私自身はトップランナーでもなく、時間内に完走できえばいいだけなので、休息時間もそれなりにとっているが、自分にあった休息を見出すことはやはり重要なのだと思った。

 

これはきっと、レースだけの話ではなく、生活全般にいえることなのだろう。

 

人間24時間ずっと戦い続けることはできない。

必ず休息は必要だ。

 

その休息をどう使うのかは人それぞれだろうと思うが、自分なりのベストな休息方法を見付け、実践することで、日々のパフォーマンスを最大限に発揮できるようにしたいものだ。