ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

レースを終え、しばらくゴール付近での余韻を楽しんだあと、ホテルに戻った。
疲れをいやす間もなく、帰り支度を整え、ジュネーブへのバスに乗り込んだ。
 
本当はもう少し長くいたいと思っていたかったが、すでにバスは予約し、ジュネーブでのホテルも予約していたので、そそくさとシャモニーをあとにする。
 
今回、レースに出ることは決めていたが、それにプラスして、さらに数日の休みをとるという気持ちの余裕はなかった。
 
そうは言っても、一週間会社を開けることになった。ヨーロッパに来るのは初めてではなかったが、初めて訪れる場所ということを考え、トランジット間の行程は少し幅を持たせていたので、その中でできる観光も楽しめたと思う。
 
レースでは、自分の持てる力は出し切ったのだろうと思う。
ただ、7月のコロナによる一時的なロックダウンからの回復は、思うようにできなかった感もあるし、今回の旅程についても、もう少し余裕をもっていたら、結果ももう少し違ったのかもしれないが、それはやはりタラレバの話だ。
 
レース終了の夕方にはすでに、ジュネーブのホテルにいた。
ジュネーブのナイトライフを少しぐらいは堪能できるかと最初は思っていたが、レース後の疲れで、結局夜通し寝ていた。
 
そのまま次の朝を迎えた。
 
8月28日7時30分
 
チェックアウトして、ジュネーブ駅から電車に乗り込み空港へ向かう。
行きとは異なり、少しだけ地理も頭に叩き込めたので、迷うことなく空港へ直行する。
 
 
 

 

 
 
駅のプラットホーム、
自転車の乗る人が目の前を通り過ぎていった(笑)
 
8時30分、ジュネーブ空港着。
あとは普段通り、チェックインを済ませ、飛行機に乗り込んで帰路についた。
 
ジュネーブ→アブダビ→成田
 
と乗り継ぐ。
 
8月29日13時00分 成田着
そして18時過ぎには関空
家に到着したのは、21時過ぎだったと思う。
 
これが今回のCCCのすべてだ。
 
レースリポートというより、単なる旅行記になってしまった。
今回、UTMBの出場は果たせなかったが、CCCに出れたことで、UTMBの雰囲気は十二分に味わうことができた。
 
これまで100キロレースには何度か出場してきたが、今回ほど、過酷な100キロはなかったように思う。
 
さすが、UTMBシリーズ…そう思った。
 
そして、次なる目標はすでに定まった。
UTMB本選への出場である。
 
『その1』でも述べたが、来年からレースの出場方法が変更になる。
これまでは、国内のレースで完走し、ポイント稼げばUTMBに出ることは可能だった。
 
しかし、新ルールでは、UTMBが定めるUTMBワールドシリーズと呼ばれる予選レースに出場し、完走することが最低条件になる。残念ながら、日本ではそのシリーズ戦はなく、必ずどこかの国のレースに出なければならない。
 
よわい49歳
トレイルランニングの世界では、50代の現役も相当多く出場しているので、まだまだ先はあるのかも…という期待もある。
 
しかし、やはり年齢を重ねるのに、これまで以上に体力が向上していくということはあまり考えられない。
 
1年1年が残り少ない現役生活の勝負年なのだ。
 
次の出場は順調に行っても、2024年になるだろう。
そのときまでに、体力が落ちないように努め、そしてワールドシリーズを経て、またあの大舞台シャモニーの地に戻れるようひたすら精進していきたい。
 
 

12時50分ごろ 

planpincieux付近、森林限界を超えたあたりなのだろう、木々はまばらにしか生えておらず、多くの場所が、牛の放牧地になっていた。コース上に牛糞を多量にみかけた。

 

 

 
Refuge Bortoneエイド到着
テント張りのエイドはかなり選手でごった返していた。
 
15時15分ごろ、おそらく最も急坂な場所、人が小さな豆粒で見える。
 
 
16時すぎ、 Grand Col Ferret このコース最高標高地点。そしてまた、ここはイタリアとスイスの国境でもある。
 
19時20分ごろ、スイス Praz de Fort 逆に最もこのコースで低い標高地点、それでも1000mぐらいの標高はある場所だ。
 
このモンブラン周辺は、フランスにしろ、スイスにしろ、イタリアにしろ、建物は木造の古びたようなものばかりだったが、アルプスの少女ハイジに出てきそうな建物と、そして、芝生や、牛を放牧している場所が絶妙にマッチしていて、素晴らしい景観をつくりだしていた。
 
20時50分   champex-lac 到着。ここは、CCCの真ん中の文字Cであるchampex-lacで、エイドの大きさや規模も最大級だった。
ここでは、熱々のパスタなども食べられたりして、かなり休息をとってしまった。
 
UTMFの時は、エイドに仮眠所なども設けられたりしていたが、UTMBはそういう場所がなかったので、椅子に座り、机に突っ伏して寝るしかなかった。おそらく30分ぐらいは仮眠をとっただろうか…。
 
これ以降は、ひたすら暗闇を走るばかりだったので、写真はほとんどとれていない。
そしてまた、暗闇の中を走っていて聞こえるのは、時折聞こえるカウベルの音だった。
 
おそらく、昼間の風景と同様に、牧草地帯を進んでいったのだろうが、ひたすら自分と向き合って走るしかなかった。
 
 
6時すぎ、Col des Montets から Tête aux Ventsへ
 
主催者は、実に粋なはからいをするなぁ
素直にそう思った。
 
このあたりは95キロ地点ぐらいで、ほぼレースの終盤ともいえる場所だ。
col des montets から、またえげつない坂道をひたすら登ってきたあとには、絶景が待っていた。
 
私の走行時間がもしかしたらこの最高な景色を見れる最高の行程だったかもしれないと思うぐらいだった。
 
ちょうど朝が開け、朝日に照らされたモンブランは最高に美しかった。
 
しかも、前日とは打って変わって、雲一つない青空。
言葉を失う美しさだった。
 
 
 
 
 
 
9時すぎ、
シャモニーにたどりつく。
シャモニーの町中には、朝早くから、多くの人が声援を送ってくれていた。
コースはちょうどひとだかりができそうな場所をめがけて設定され、最後のところに来て、これだけの声援をいただくと、本当のこの長丁場の疲れがが吹っ飛んで行った。
 
 
そしてfinish
速報タイムは、24時間7分53秒、ちょうど1日回ったところだった。
 
続く
 
UTMBは、メインレースであるモンブラン山麓を1周するレースのほかに
CCC(Courmayour-Chanpex-Chamonix) 101.1km
 累積標高差6,092m 制限時間26時間30分
OCC(Orsieres - Champex - Chamonix) 52.4km
 累積標高差3,322m 制限時間14時間
PTL (La Petite Trotte a Leon) 300km
 累積標高差25,000m以上 制限時間152時間30分
TDS(Sur Les Traces des Ducs de Savoie)
 119.1km 累積標高差7,338m 制限時間33時間
といったレースの集合体になっていて、UTMBのフィニッシュをクライマックスとする約1週間、シャモニーはトレイルランニング一色になる。
 
ちょうど、この日は、OCCレースをやっている最中で、選手が次々とゴールに飛び込んでくる姿が見えた。
 

 
 
家族や関係者、そしてこれからレースを迎える人、終えた人、またトレイル関係者とはまったく無縁の単にバカンスをシャモニーで過ごしたい人などなどさまざまだろうが、とにかく人でごったがえすまさにトレイルランニングのお祭りなのだ。
 
ちなみに、この時期ヨーロッパでは、マスク着用義務はすでに解かれていた。
 
写真には納めなかったのだが、今日のメインは受付を済ませることだ。
日本でも多くのレースがそうなのだが、受付はだいたいレース本番の前日であり、このUTMBシリーズも御多分に漏れず、前日受付。
 
選手は、ほぼ、宿泊をしなくてならないわけだが、いかに地元にお金をおとしてもらうかというのが、かなり重要であることには、変わりない。
 
 
ホテルの前
ちょうど、Argentièreは、エイドの場所になっていて、選手たちがひっきりなしに通過していった。この日の日中はかなり気温もあがっていて、汗だくなって走っていた。
 
選手は、トレイルランニング専用のリュックを背負って、水分、食料、あるいは雨具、ヘッドランプなどを背負って走っているのだが、背中に、その人の出身国がわかるように国旗のビブをつけるようになっていて、さまざまな国の選手をみることができる。
 
通りかかったときには、日本人にすれ違うことはなかったが、おそらく日本からもそれなりに参加をしているのだろう。
 
日はまだ高いが、時間はおよそ17時。
明日のレースに備え、応援もそこそこに、会場を離れホテルに戻った。
 
明日レースを控える身としては、消化のよい食事にしたかったので、翌朝の分の朝食も含めグロサリーストアに行って、食料を調達して、早めに寝ることにした。
 
 
8月26日朝
5時に起床しようと思っていたが、やはり緊張や、興奮もあってかあまり寝付けなかった。
 
身支度を整え、ホテルを出発。
 
スタートは、イタリアのクールマイユール。
バスで約1時間乗車しなくてはならない。
 
モンブランの直下に、10キロ以上のトンネルがあり、そこを通ってイタリアに向かう。
バスを待っているところに、マレーシア人の夫婦GOHさんに話しかけられ、しばし会話を楽しんだ。
 
ちょうどArgentièreのバス邸には20名ぐらいの選手が待っていたが、みんなやはり緊張していたのか、沈黙が続くところの陽気なGOHさんとの会話は、緊張がほぐれた。
 
 
 
 
8時すぎ、クールマイユールに到着。
すでに何千人もの選手たちでごった返していた。
 
 
スタート付近、選手のほかに応援の家族たちが大勢待ち構えていた。
 
 
 
9時ちょうどに第1陣がスタートしていった。
CCCは、ウェーブスタート(選手を何組かに分けて、時間差でスタートさせていく)だったので、目の前を選手が走り抜けていった。
 
私は、2組目だった。
長丁場のレース、スタートで勢い勇んででていっても、体力を消耗するだけだから、後ろの方に並ぼうと思っていたら、役員の人に
 
『お前のレースナンバーは、2組目だから早くならべ』
せっつかされて、スタートについた。
 
9時20分レース開始。
案の定、スタート直後は選手でごったがえし、大渋滞となった。
 
10時過ぎ
 
クールマイユールの集落を抜け、いよいよ山岳ポイントにはいってくるところ。
このあたりから道はシングルトラックになっているので、大渋滞ができていたが、あせらず、ゆっくりみんなの行動に沿って動いた。
 
トレイルランニングのコース図には平面図のほかに、縦断図がついている。
むしろ、平面図は必要ないぐらい、それぐらい縦断図を理解しておくことは重要だ。
 
CCCでは、クールマイユールからスタートしての一つ目のピークまでがもっとも傾斜がきつく距離があるようだった。
 
なので、なおさら、ここはオーバーペースにならないように心がけた。
ほとんどの選手が、折り畳みポールを持参していて、持っていないのは私一人ぐらいだったのではないか…ぐらいポール使用率がたかかったが、それも納得した。
 
これまで経験したことがない傾斜とそれが延々と続く1登となった。
 
 
 
 
上2枚の写真をみておわかりだろうか、人の列が延々とはるか先まで続いている。
山のスケール感がわかりづらいのだが、相当急な上りが延々と続いているのだ。
 
Tete de la Tronche到着
雲行きがあやしく、雷が響き渡る悪コンディション、気温もずいぶんと下がり、雨も降ってきた。
ちなみにスタート地点クールマイユールの標高は、1224m、我が地元鉢伏山の標高1221mとほぼ同じ高さのところにある。
 
そして、このTete de la Troncheの標高は2584m、わずか9キロしか移動しないのに、一機に1300mかけあがってきたことになる。
 
続く
 
シャモニーのバスターミナルに到着し、自分が目指すホテルへ移動する。
時刻は19時を過ぎていた。
 
サマータイムの影響もあってか、日没は21時頃だった。
 
バスターミナルから、自分が止まるホテルまで約25キロぐらいあることは事前情報で知っていて、また、その間をシャトルが走っていることも理解していたのだが、自分が乗るべきシャトルバスがほんとにホテルまでに行くのかいささかの自信がなかったのだが、とりあえずそれらしきバスに乗り込み移動する。
 
日本で事前に宿をを予約しようと思ってbooking.comで調べたのだが、シャモニーの中心地は、どこも高額な料金のホテルしかなく、ずいぶんとはずれのホテルであることは覚悟していたので、自業自得だったのだが、さすがに、4回のトランジットとジュネーブからの移動でかなりヘトヘトになってしまっていた。
 
ようやくホテルについたのは、20時頃だった。

シャモニーあたりでは割と安いホテルだったが、雰囲気もあってまあまあ満足いく客室だった。

窓越しに見えるモンブラン山系…

どれがモンブラン山頂かはいまいちわからないけど…。

 

窓を飾る花でかなり癒される。

 

 

 
近所のレストランで食事をする。
とりあえず、ビールを一杯、旅の疲れをいやす。
 
渡されたメニューはフランス語表記しかなく、とりあえずあてずっぽうで頼んだ料理だったが、それなりにうまくてほっとした。
 
 
 
8月24日
 
 
翌朝、割と朝早くに目が覚めてしまったので、周囲を散策することにした。
宿泊したホテル。La Couronne。
宿のオーナーらしき女性が受付にいたのだが、親切に対応してくれてずいぶんと助かった。
 
ステイしたLa Couronneのある村Argentièreの街並み
古い民家が立ち並ぶ場所。朝は基本8度ぐらいしかなくめっちゃ寒かった。
 
 
朝食はついていなかったので、別途注文する。
フランスらしく、クロワッサンやチーズ、ハムなどをいただく。
 
 
 
8時30分過ぎ
シャモニー市街地に繰り出す。
 
Argentièreとchamonixの間は、ローカル線が走っていた。
チェックインするときに、ホテルのオーナーが滞在期間中に利用できる乗り放題のチケットをもらった。
 
シャモニーの滞在は、この乗り放題チケットで、市街地に行ったり、またホテルに戻ったりすることができるようになっていて、時間がタイトでなければ、とても便利な滞在システムだなと感じた。
 
chamonix mont-blanc 駅
駅前の通り
 
何度も映像でみたUTMBのスタートゴールのゲート
朝早い時間だったので、ほとんど人はいなかった。
クールマイユールからスタートしての長い旅のまさにゴール地点。しっかりと目に焼き付けておく。
 
ゴール脇にあったステージ
 
仮設トイレがいたるところにあったが、天然木でつくられた仮設トイレがかっこいい。
 
トイレの中。
におい消しのために、おがくずを投入するようになっていた。環境への配慮が垣間見える
 
明日から始まるレースに備えて何を食うべきかいろいろ悩んだのだが、あまり胃袋にもたれるものではいけないし…ということで、日本食のテイクアウトレストランみたいなところで、マグロのズケ丼みたいなものを注文する。
 
日本食も外国人の目にうつるとこんなアレンジになるんだなと…日本人が日本で提供するフレンチやイタリアンなども外国人に映るのは、私が今目にしているような少し違和感を感じるような光景なのだろう。
 
昼食を終えたあと、シャモニーの中にある保健所のようなところに行く。
その3のところで、この時期、日本に入国するすべての人は、PCR検査の陰性証明を取得しなくては、日本行きの飛行機に乗ることができないと触れた。
 
コロナ禍でなければ、まったく立ち寄ることもなかったであろう場所だが、これも貴重な経験と思いながら受診する。
結果は、夜半にメールで通知されるということだった。
 
もし、ここで陽性が出たら…と不安はなくもなかったが、いまさらじたばたしてもしかたがないので、そこは、冷静に心落ち着かせるしかなかった。
 
続く
 

a

 

レマン湖畔すぐそばにある自転車専用レーン

ヨーロッパの自転車熱の高さを垣間見る

 
市内のトラムレーン
 
 
ジュネーブの観光名所、サンピエール大聖堂
荷物を預けるところが分からずひたすらすべての荷物を背負って移動する。
 
 
 
サンピエール大聖堂へ通ずるとおりにあったメリーゴーランド
こういうちょっとしたアイテムが絵になる街だった。
 
 
サンピエール大聖堂内
昔行ったイタリアを思い出す
 
レマン湖のほとり
写真ではわかりにくいのだが、建物の屋根のあたりに、ROLEX、OMEGA、HUBLOTなどのおなじみのブランド看板がずらりと並ぶ風景はさすが時計の国だ。
 
 
 
時間つぶしに、カフェに立ち寄る。
目の前に鳥が寄ってくる。
 
17時
ジュネーブのバスターミナルからシャモニーへ
約2時間の行程
神戸あたりから、地元を目指す感じ。
スイスからフランスを目指す。
とは言っても、国境をまたいでも入国審査があるわけではない。
シュンゲン協定と言って、ヨーロッパ圏では、それ以外の地域から一発目に入るところだけが入国審査があり、それ以外は、日本で言えば、県境をまたぐような感覚だった。
 
 
 
 
 
都市からだんだんと離れ、徐々に険しい山々が目の前に広がるようになってきた。
 
続く