ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

だんだん年齢が上がるにつれ、自分でもゾンザイになっていることに気づく。

 

昔自分が若かったころ(いや今でも若いと思っているのだけれど…)そういったおっさんたちを疎ましく思っていたが、自分がその立場になってくると、ついついそんなことを忘れてしまう。

 

近所の知った連中にさすがに、敬語で話しかけることはしないけど、だけれど、やはり心の中では若者をきちんとリスペクトできるようにしなくてはいけないと思う。

 

今、デジタル時代の申し子と呼ばれる彼らは、とても優秀だ。

 

おっさんたる我々はやはり、能力は低い。

ただただ長く生きて、たまたま経験値は少しだけ高いのかもしれないけど、人間的なトータルの能力ということでいえば、やはり彼らは優秀である。

 

そして、SDGsとかそういう社会問題への関心も高く、崇高だ。

自己欲求の塊みたいな我々とは雲泥の差である。

 

もう少し自分の身をわきまえ、キチンと対峙できるおっさんにならねばと思う今日この頃。

 

 

ここ数日の世界中の話題は、バイデン氏当確ということだろう。

 

それと同時に、トランプ大統領の動きもメディアは頻繁に取り上げている。

 

集計やり直しとか、提訴するとか、確かに不正がもしあったとするならそれは大きな問題だけれど、それにしても凡人の私がみても、ふるまいとしてどうなのかなぁと思ってしまう。

 

最近のツイートでみつけた記事に私自身は大いに共感をした。

 

 

選挙だけにとどまらず、世の中には多くの勝負事が存在する。

 

オリンピックなどは、平和の祭典だとは言うものの、突き詰めれば勝負の世界である。

 

一つの競技種目には数十人の選手がノミネートされ、そして勝つのは一人である。

だから、ほとんどの人は『勝負』ということで言えば、敗者である。

 

今回の大統領選挙にしても、拮抗した結果だというのだから、それを支持しなかった半分は敗者ということになる。

 

勝負ごとということだけを言えば、一握りの勝者と大多数の敗者でなりたっているのがこの世の中なのだ。

 

しかし、負けたものがグチをまき散らしたり、ましてや暴力などをふるって怒ってみるなどというのは、愚の骨頂である。

 

負けたものは勝者をたたえ、素直にその事実を受け入れ、なぜ負けたのかの敗因をしっかりと分析し、次なる人生にむけて一歩を踏み出す。

それが負けた者の正しいふるまい方だと私は思う。

 

確かに人生をかけて臨んだことへの失望は大きい。

しかし人は生きている限り、いや本当にそれで死んだとしても、次なる世界へ一歩踏み出すことが、世の中をすばらしいものに変えていく。

 

私はそう信じている。

 

 

 

世の中で成功した人を見ていると、その成長の過程においては、決してベストの環境ではなかったということがあるように思う。

 

むしろ、そういう何らかの条件の欠如を補うために、知恵を出し、工夫をし、乗り越えたことが、後々その人の強みとなったりして、他にはない圧倒的な個性につながっていることが多いように思う。

 

もっと、こうだったらいいのに…。

条件の欠如をみて、嘆いてみてもきりがない。

 

スポーツ選手であれば、恵まれた練習環境かもしれないし、企業であれば、資金や人脈かもしれない。

 

成功をつかんだ人というのは、どんな条件であれ、まずはそこで最善を尽くし、決して不満を吐き出さない人だ。


むしろ、どんな状況であれ、ポジティブにとらえられる人だけが成功をつかむ。

 

うむ。

昨今、働き方改革が叫ばれ、定時帰宅とかがだんだんと定着してきている。

 
働きやすい職場が猛烈に推進されており、それを逸脱するとブラック企業だと叩かれる…
 
古い考え方と言われるかもしれないが、思うことを一つ。
 
私が以前経験した現場のことだ。
それは某ショッピングモールの島状になっている店舗の改修をすることになった。
 
島状というのは周囲4周にすべて通路になっている場所である。だから、営業時間にその現場に資材をいれたり、現場の準備すらできない。
そのショッピングモールは年中無休だったので、現場に入るのは営業が終了した22時以降、明け方の8時には現場作業は止める必要があった。
 
工期は2週間…、がんじがらめの時間制約があった。
 
他の現場も掛け持ちしていたので、日中仕事をし、わずかな仮眠をとって、またその現場に入るという感じだった。
 
ちょっとの作業遅れがすべての計画狂わせしまうので、失敗も許されなかった。
 
工事に入るまでに綿密な打ち合わせを業者と行い、何度も何度も工程を作り直す。
 
改修工事ということもあり、解体をはじめれば、当初想定されたこととは状況が異なっていたりして、そこで即座に判断し、代替え案を構築する。
 
体力的にも精神的にもホントに限界な仕事だった。
 
ただ、その体験を経て、自分にとっての『普通』のハードルはずいぶんと下がった。
もし、自分の実力の範囲の中だけでやっていたら、確かに失敗はしないかもしれないが、成長はしたのだろうか…と今でも思う。
 
スポーツなどが特にそうだが、自分を成長させるために、限界を超える体験ということが必要なときもある。
 
根性論を称賛するつもりはない。
だけれど、人が大きく成長するために必要な経験は、ありきたりの状況でできるものではないと思うがいかがだろうか?

日本電産という会社を知っている人は多いと思う。

 

京都に本社のある、あらゆるモーターをつくっている、売上1兆円越えのすごい企業だ。

 

そのCEO永守重信さんは、猛烈に働くCEOとして有名なのだが、一方で、私財百億以上を投入し、京都先端科学大学の理事長も務める。

 

永守さんが京都先端科学大学の理事長に就任する前、京都学園大学という大学だった。

 

『日本が国際的な競争に勝つためには、世界水準の実戦力を備えた人材を育てる教育機関を自分の手で作らなければならない』という考えのもと大学改革に乗り出しそして改名までしたのだが、そのときに京都学園大学をつぶさに見学して回っていたらしい。

 

学生が授業中に居眠りをする風景をみて永守さんは

 

『教授の授業がつまらないから学生は寝てしまうのだ』

と思ったのだそうだ。

 

私は、はっとした。

私が、同じ立場で学校をみてまわったら、きっとこう思うだろう。

『学生は何やってるんだ、しっかりと授業を聞け!』


 

会社の業績があがらないのも、地域が生き生きしていないのも、家庭がうまくいっていないのも、すべては自分。

人に責任をなすりつけた時点で、言い訳しか出てこなくなる。

 

しかし、すべてが自分の中にあれば、どうすれば業績があがるように努力できるのか、どうして地域が生き生きとできるようにできるのか、家族が円満にいくのか…

 

解決策は自分の中にあり、努力をするだろう。

 

 

その違いに、私自身の情けなさに愕然とした。