ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

 建設業をしていることもあり、日常の会話の中にしょっちゅうインフラという言葉が登場する。

 

インフラストラクチャーについて辞書で調べる。

 

 

 

「社会や経済の活動を支えるための基本的な施設や設備、サービス」

とある。

 

我々が通常言うインフラとは、道路、橋、下水道などで、最近では、携帯などのモバイルサービスネットワークもそうなのだろう…。

 

先日長野に行くことがあって、いつもは車でいくのだけれど、時間を節約しようということで、北陸新幹線を利用することとした。

 

乗車場所は敦賀駅。


2024年に新幹線駅が開業したまだピカピカの駅である。

 

駅周辺には、ホテル、飲食店などが立ち並んでいた。

人の動きは少なめに感じたけど、都市機能がそこにドンとできた感じだった。

 

敦賀周辺の人にとっては待ち望んでいたモノなのだろう。都市はやはり人を飲み込む。

 

新幹線駅も各地にあるが、東海道新幹線や山陽新幹線は、もうすでに何十年も経っているので、駅舎はどことなく古びた印象も受ける。


しかし、敦賀の新駅は、ピカピカすぎるぐらいだ。


今のところ、敦賀以西のルートは決まっておらず、思い切り政争の具だ。


湖西ルート、湖東ルート、それらが通るか否かで、経済的な影響がまるで変わるわけだからそれも当然のことだ。


地元で多少、山陰新幹線構想などの話がフツフツと出てきたりもするけど、相当現実的でないから、ハナっから期待もしていない。

 

しかし、ふと足元をみれば、僕らのマチムラにも偉大なるインフラがある。

そう、田んぼと畑だ。

 

田んぼや畑は日本人の食を支える強力なインフラだ。

しかし、それは今どうなっているのか…

 

うちの村の多くは耕作放棄地となり、ボロボロの状態といっていいだろう。


しかも、この人口減少の昨今

到底復活できると語れるものでもない。


放棄地になって、インフラとしての機能を果たせなくなっているのが、景観を損なっていることだ。


優れた景観は、インフラの重要な要素といって差し支えない。

 

都市というインフラは、年数を経ると老朽化し、みすぼらしさが増していく。


もちろんメンテナンスを行えばいつでも新鮮な都市を維持することができるが、限界がある。


一方、地方の景観を形作る田畑は、磨けば磨くほど、つまりは手をかければかけるほど美しさが増していく。


田畑は食料生産の根本ではあるが、それ以外にも、水を蓄える滋養的作用、地方が地方たるアイデンティティを放つ存在でもある。


新たなインフラの整備以上に今あるインフラを最大限活かすことが何より大事だ。

 

 インフラインフラと声高に叫ぶならば、政治家も我々も、もっとそこら辺を見なければなるまい。

 

 

 
『まちづくり長野』さんに、研修をお願いし、長野市のまちづくりについてお話を聞く機会を得た。
 
まちづくり長野さんで行っている9軒長屋の廃屋群を再生し、商業施設に再生した案件などについて説明をいただいた。
 
今、全国中空き家問題はあり、長野市も例外ではない。
 
 
さまざまな工夫やご努力で、その廃屋群は今は元気に商業施設としてのにぎわいを取り戻していた。
 
二つ印象に残ったことがある。
 
一つは、まちの再生には、地域に住む人が、どういうマチをつくりたいのかという明確な意思をもつ必要がある
ということ。
 
9軒長屋を復活させるにあたり、苦労したことの一つがそのエリアを旗振る人がいなかったことらしい。
 
まちづくりの再生においては、建築士や、大工などのいわゆる物理的な仕事をする人は大勢いる。
 
しかし、彼らには、自分たちがこの建物をどうしたいのか、コノマチをどうしたいのか…という意思は通常もたない。

というより、もてないといったほうがいい。
 
やはりそこは、建物オーナーや、地域住民の意思というものが必要だ。
 
昔、農耕が中心だったころは、封建的な社会だった。そこを納める大名がいて、その中に小作人がいたが、大名は、自分たちの納める場所をこんな場所にしたいという強いリーダーシップがあったがために、その人の旗のもとに、まちづくりが強力にすすめることができたという一面もあったという。
 
民主主義社会になり、誰もが平等なチャンスを得たとしても、このマチをどうしたいのかというリーダーがいなければ、逆に誰もこのマチに責任をとらないという事態がおきていく。
 
だから、旗を振る強力なリーダーがそこに必要なのだ。
 
もう一つ。

まもなく長野では郊外に巨大なショッピングモールが誕生するらしい。
 
どの地方もそうなのだが、やはり、大きなショッピングモールの存在は強大で、経済はかなりそこに吸い取られ、中心市街地は必ずダメージを受けるという。
 
ショッピングモールを展開する大資本も、自分たちのプレゼンスを強力に発揮し、本気で顧客を取りに行く。

当たり前と言えば当たり前だ。
 
しかも、そこは素人の烏合の衆ではなく、百戦錬磨の兵(つわもの)ときている。
 
ここ10年ぐらいは、そちらに顧客が流れをとめることはできないだろう。
そんな彼らに普通に戦ったとて勝てるわけがない。
それは必然の理としても、ではそれでもとうやって戦っていくのか。
 
それは、歴史と文化を紡ぎ、丁寧に一つづつ作り込んでいくしかないのだそうだ。
 
 
ある意味、地方での戦いの定石であり、結局、戦いかたにそんな目新しさはないということだ。
 
ただ、その定石どおり忠実に愚直に行っているかどうか、そこはその人やマチの本気度が問われる。歴史と文化を紡げるのは、やはり地元の人間しかいないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
3人の子供が夏休み自宅にいたのだが、2人はすでにそれぞれの場所に散っていき、残りは1人となった。
 
僕自身めったにない何もない休日、どこかに出かけたくなり、あまり期待はしてなかったが息子に提案すると、行くという。
 
ついでに(というと叱られるだろうが…)母も誘ってみると行くという。
 
母、私、次男の3人で出かける。
 
あるポッドキャストで島の暮らしについて語った番組を聞いたのがなんとなく耳に残っていたのが、記憶の片隅に残っていたのだろう。
 
ふいと瀬戸内に出かけることを思いつく。
昔、娘がまだ小学生の低学年の頃、二人きりで芸術の島、直島に行ったことがある。
 
直島の周辺にはそれ以外にもいくつかの島があり、同じようにアートが楽しめる場所がある。
 
そうだ!
なんか天井にぽっかり穴の空いた場所があったはず…。
 
調べてみると豊島美術館らしい。
今回のターゲットはそこに決まった。
 
夏休み期間で人が多いだろうと早めに行動するのが私流。
 
暗がりの中家を出る。
豊島には9時ぐらいに着く。
 
美術館は10時オープンでそのタイミングで入ろうと思った。
ところがそこで気づく。
美術館は予約が必要で、しかも専用アプリをダウンロードしなくてはならなかった。
 
こう見えて、アート巡りは結構好きだ。というより正確に言うと、アートがあるマチの成り立ちに思い巡らせるのが好きというか、そこに最大の関心があるというのが正解だ。
 
職業病に近い。つまり、どうやったらマチのにぎわいって生まれるのだろうとまちづくり文脈で美術館を巡って、あーこうやって人寄せしてるんだーとか、こーやって、まちづくりしてるんだーと勝手に想像を膨らませながら、自分の仕事に何とか置き換えようとする行為に突き動かされているだけなのだ。
 
だから、実はアートそのものは見てるようであんまり見てないかもしれない…
 
そもそも、絵心がない。
でも、やはり、アートで心揺さぶられるものはあるからその気持ちだけは大切にしている。
 
さて、内藤礼の作品である。
 
 
 
何百メートルかの通路があり、美術館スタッフの誘導に従って歩く。
 
芝地を過ぎ、森に入ってしばらくするとスカッと森が切り取られ、海が一望できる場所にたどり着く。
 
 
 
瀬戸内の海の中に防波堤が一文字に見える。
これも作者の意図なのだろう。
 
防波堤はアートの一部に見えた。
 
そうして、イントロダクションを終えた先に、内藤礼の作品がある。
 
そこは写真撮影禁止だし、ネタバラシをすると面白くないので、そこで見たものはここでは割愛する。
 
しかし、不思議な空間と、不思議な仕掛けに翻弄されて、あー、これがアートなのだとわからないなりに解釈をした。
 
さて、今日のブログは、瀬戸内芸術祭で見た私なりのb面(ゲイジュツそのもの以外)の話である。
 
それは何かということなのだが、自然とアートが一体となるところにここのゲイジュツの、妙味がある気がした。
 
滝や、岩など、自然の造形美もある意味アート的なのだが、ここは、海や島などの瀬戸内本来の自然と、人の手によって作られた里地里山と、そして人為的であるアート作品が融合することによって多くの感動を呼びおこすところだと思った。
 
しかし、少し残念だったのは、芝地には雑草が生え、作品のある場所は棚田の場所だが多くが耕作放棄地になっているところだった。
 
なので、その部分は少しがっかりとした。

絵画や彫刻物などは、作品が完成されてから手を加えるようなことはないのが普通だが、ここのアートがアートとして成り立つには、日常の暮らし、つまり人の営みがなによりも大事だと思った。
 
日本の風景は、やはりそこにくらしがあってこそ美しい。
豊島は、それに加え、ゲイジュツカのインスピレーションがあってなお際立つものだと思う。
 
ご多分に漏れずこの島も、過疎化の波にのまれ、人口減少にあえいでいるという。
 
ここに訪れる半分ぐらいの人は外国人だった。

日本以上に多くの人に紹介され、また口コミで広がっている場所なのだろう。
 
瀬戸ゲーが、これからも瀬戸ゲーとして世界を魅了するために、島の暮らしが、脈々と生き続けることを願う。
 
 

 

8月23日は、地蔵盆。

 

私の地元大笹では、毎年地蔵盆は、地蔵堂でお菓子まきが行われた。

 

お盆になるまでの49日間、念仏を唱えるという「子ども念仏」とセットの行事だ。

 

子ども念仏では最後の49日目である8月14日に子どもたちが各家々を棚経よろしく、回って念仏を唱える。

 

各家々は、その49日の安泰に感謝し、お布施を子どもたちに渡すのだ。そして、そのお布施で集まったお金は子どもたちの労をねぎらったことに対する報酬、つまりお小遣いと、この地蔵盆のお菓子まきのお菓子購入の原資となる。

 

今、この行事を支える子どもは2人、タナカくん、ニシムラくんだ。

 

私がその世代だったころ、10名はいたと思う。

そして、さらにさかのぼれば、もっと多くの子どもがいたはずだ。

 

幼児になると、もっと数が減り、あるときぷっつりと対象となる子どもがいなくなる。

 

今もそうなのだが、

『子どもがいないから仕方ないよね』

という言葉で済まされることが多くなっている。


担う人がいなければ続かないのは当然のことだ。

そして、これら伝統行事はそれをしなかったからといって直接的に困りごとが発生するわけでもない。


ある日突然、すーっと消えていくのだ。


しかし、このある日突然、すーっと消えていくことが実はかなり危険なのだと思う。


これらの伝統行事はなぜ起きたのだろう。

子ども念仏は、昔、原因不明で男の子が多数なくなることが続いた。


そこで、地蔵さんに念仏を唱えたところそれらが治まった。


それからこの行事は何百年も続いてきた。


非科学的といえばそれまでだが、世の中には未だ、科学では解明できないことは多数存在する。


いやむしろ、それらが行われることで、そこに子どもたちのコミュニティが形成されたり、その集まりが地域のコミュニティの強さにつながったりして、地域住民が思わぬ力を発揮することに寄与してるかもしれない。


だから、すーっと消えてはいけない。


少子化は日本全体の課題である。

夫婦が子どもを産み育てる数が減ったからからなのだが、ある意味、連綿と続く過去からの歴史を人々が考え、まだ見ぬ未来のことを考えていたら、もしかしたらそれは起こらなかったかもしれない。


そこには科学では片付けられない哲学、宗教も関与してくるのだろう。


今年もこの行事が無事に終えていただいたお地蔵様に感謝し、我々は、再び日々念じながら生きていこう。





日本に帰国中の次男が、夏休みを利用して、教習所に通っていて、本日、運転免許試験に合格してうれしそうに帰ってきた。

 

確かにそれわかる!

 

世の中には免許と言われるものは数あれど、いわゆる仕事に関係する資格試験などもうれしいには違いないのだが、車の免許ほどうれしいものは実はないような気がする。

 

それは、移動の自由を手に入れることができるからだ。

都会ぐらしの人なら、あまり実感がないかもしれない。

 

まわりには、電車、バスなどの網が、張り巡らされている。

だから移動の自由はそれで確保される。

 

田舎住まいは、自動車免許一択なのだ。

しかも、全国どこにでも、自分の意思でどこでもいける魔法のような免許。

 

そりゃーうれしいに決まっている。

僕自身もそうだった。

 

社会人になり、マイカーなど手に入れれば、もう有頂天だ。

 

うきうきの横顔を見ながら、自分のかつてのあの高揚感を重ね合わせて見ていた。

 

トヨタ自動車が日本最強企業であるのも、移動の自由を提供する会社だからということなのだ。


現代人が人生にとって、もっとも価値あるものを手に入れた瞬間なのだと改めて気づいた。