ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

世の中には多くの雑用がある…と一般的には言われている。

 

本業があって、その主流の流れから外れる仕事はすべて雑用…

ということであろう。

 

私も一瞬、その言葉をある意味納得し、やりすごそうとした。

しかし、よくよく考えてみるに、果たしてそれはそうなのか…と思いなおした。

 

掃除などがその典型だろう。

掃除は一般的には、本業の傍らでやるものであるから、それは雑用の一つと言われることが多い。

 

では、精密機械を扱うような現場における清掃というものはどうだろう。

 

精密機械にとって、埃や塵などが、その機械に混入することは、製品上もっとも避けなければならないことになる。

 

精密機械を製造するために、工場内をきれいに保つ掃除が、雑用にしかならないのであれば、それらがもし、粗雑にやられたならば、品質上に大きな欠陥を生むことになるだろう。

 

となれば、それは雑用ではなく、重要な『仕事』となる。

 

コピーをとるような作業はどうだろう…

まあ最近では、コピーをとることの行為そのものが減っているので、それを例にすることも今となっては、死に絶えつつあるけれど、コピーをとることも、とった書類が必要だからとるのであり、もし、それが雑用でしかないのなら、辞めればいいことである気もする。

 

結局、その仕事が雑用であるかどうかは、その人がその行為をどうとらえ、どう取り組んだ結果なのかによるのだということだ。

 

コピーも、必要な人に必要な数のものが整っているからこそ、それをみて行う行為は価値あるものになる。

 

つまり、雑用としか思えないのは、その人の心の問題だ。

 

安易に雑用という言葉は使わないようにしたいと思う。

 

 
先日、私の母校である八鹿高校の同窓会の支部会合が開かれ出席をした。
 
正直、高校の同窓会の役持ちになるつもりは、まったくなかったのだが、お世話係のSさんからの半ばゴリ押し(笑)で、逃れられない状況になってしまったというのが本音である。
 
8名ほど集まったが、50代の私が最年少で、60代後半から、70代の皆様が大半を占めていた。
 
同窓会の支部では毎年発行される同窓会だよりを配るという役割が主になっている。
 
同窓会本部が発行した会報を支部に割り当てられ、そしてまたそれが各支部の役員に手渡され、各家に配っている。
 
私の割り当て分でおよそ20部ぐらいはあるだろうか…

結婚などを機に、こちらには不在となってしまった人の名前もある。
 
正直、配るのは手間もかかるので、郵送で済ましてしまう場合もある。たいがい自腹だ。だが、配る時間を考えると、そっちのほうがコスパがいいとも思えたりもする。
 
会合の中では、その配布に対する労力に対しての不満も出ていた。
 
他の支部では、それらを郵送で済ませているところもあると聞く。
 
同様に、それらの費用は誰かの寄付によるものなのだろう。
 
 
3年間在籍した母校というただそれだけなのだが、上下がつながり、そして横断的にもつながっていくコミュニティ、メリットあるなしは単純に、はかれはしないが、そこに意味がないと思えばまったくないし、あるといえば、ある…。
 
ただ、一ついえることは、確実に昔に比べてそのコミュニティの力は弱まっているということだ、いやむしろ、コミュニティの在り方が変わったというほうが正確か…。
 
SNS全盛の時代にあっては、ネット上のつながりは、むしろ強固であり、それを軸に大きな力を発揮している人もたくさんいることもまた事実だ。
 
いわゆるリアルコミュニティから、バーチャルコミュニティへ転換したとみるのが、正しいのかもしれない。
 
一ついえることは『地域』というコミュニティは確実に弱体化しているということだ。
 
 
地域コミュニティが弱体化することでおこる弊害は、やはり地方部にとっては、大きな脅威である。
 
都会は生活の機能は細分化されているが故、お金というもの介せば多くのものは解決するが、田舎では、人と人とが協働することで、生活を機能させている。
 
だから、その協働を作り出すコミュニティ形成機能が失われるということは、すなわち生活のしづらさにつながる。
 
高校同窓会という特別なコミュニティの中に、地域崩壊の萌芽を見た気がした。
今年も盆は、普通にやってきた。
 
父親が介護者になって、何年にもなり、母も墓の手入れも苦痛を感じてきていて、跡継ぎとしては、墓守を命ぜられて、なんとか墓掃除をしてはいるものの、母からの強烈なダメ出しを今年も食らい真の跡継ぎへの道はまだまだ遠いと感じる今日この頃である…。
 

 
当家の墓は、私の自宅の横の小道を100mほどあがったところにある。
 
その小道は、その奥に田畑があり、また墓への道中の両脇に、2軒の家がある生活道路だった。
 
だが、田畑は耕作放棄地となって誰も作る人がいなくなり、2軒あった家も、片方が15年ほど前に空き家となり、もう1軒は、3年ほど前に空き家になって、その小道は墓へ行くためだけのものとなってしまった。
 
これまでは、まったく意識しなかったのだが、人が道として利用しなくなると、脇の草木は、伸びて道にせり出し、コンクリート舗装された道には、落ち葉が堆積し、コンクリートの割れ目からは草が生えてくるようになった。
 
墓掃除をしたあと、その小道も落ち葉を拾い集めたり、両脇を刈り払い機で草をなぎ倒し、なんとか秩序ある道を取り戻した。
 
村の高齢化、過疎化を肌身をもって感じた一日だった。
 
私はお盆のこれらの行事は日本人として大事にしたいものだと常々思っている…(母からすれば、まともに、墓守もできていないことに鼻で笑われるかもしれないけど…)
 
ただ、これらの行事もこういった余分に手をかけることが増えてくるにつれ、その思いとは裏腹に、重荷を感じてきていることもまた事実である。
 
将来を見通してみても、年々荷が重くなることははっきりしているので、将来、これらの行事も続けられることができなくなるのではないか…
 
そんな思いもまた頭をよぎる。
一つの宗教行事にすぎないけれど、田舎を象徴する大事な行事である。
 
なんとかノスタルジーで終わることなく、ずっと続けられることを願うばかりである。
 



今日、お中元配りをしているとき、あるおうちに呼び止められ、20分ほど雑談をした。

 

そこのご子息はとても優秀な方で、某有名国公立を出ている。

以前は、とある政府組織に勤められていたそうなのだが、今は民間企業でM&Aに従事されているのだという。

 

その民間企業も、超がつく有名企業であり、M&A案件で日本中を飛び回っているそうだ。

 

僕のような大した学のないものより、頭がキレキレの彼らのような存在こそ、この地域に根をおろし、社会を変革してほしい…

そんな思いがあるのだが、どうやら、父上の話っぷりからすると、まったくそんな気配はまったくないようである。

 

父上曰くは、東京が好きだとかきらいとかではなく、そこの企業に勤め、そういうダイナミックな仕事ができることにやりがいを感じているのだそうだ。

 

確かに。

 

どんな仕事に出会って、自分というものが社会に貢献できるのかというのはまっこと重要だと私も思う。

 

この村岡の地で、日本中を飛び回ったり、世界中を駆け抜けたりということができないとは決して思わないが、一般的に言えば、確かにそういう仕事のチャンスは東京にはありそうだ。

 

だが、こうも思う。

今、日本でもっとも大きな課題は少子化である。

都会にも存在はするが、まだしばらくの間は、都会ではその問題はたいして顕在化はしていない。

 

しかし、この田舎にあっては、その社会問題は、私たちが日々生きていくことにリアリティをもって感じる。

 

だから、この田舎で生き、その問題が克服できたとするなら、日本中飛び回る仕事よりも、もっとダイナミックな仕事なのではないか

 

であるなら、もっとも優秀な人こそ、この課題にチャレンジする価値があるのではないか…

 

とも思う。

 

日本を見渡せば、課題先進地である過疎地域でイノベーションを起こしまくっている人がたくさんいる。

 

それらの地域は、もちろん地域の特性、山、川、海といった自然環境の違いなどもあるけれど、資源としては決して、特別なものをもっているわけではない。

 

しかし、そこに志ある人が集い、イノベーションをおこすと、それに触発して、また優秀な人たちが集まりといった循環を生み出している。

 

優秀な人たち=頭がよい、ということでもあるけれど、課題に真摯に向き合い、決してあきらめず、成功するまでやり続ける…そういう人が真の優秀な人たちだ。

 

ふるさとに縁があって、とてもクレバーな人はけっこうたくさんいる。

 

そんな人たちが東京よりもどこよりもここが面白くエキサイティングなのだ…

 

そう思ってもらえるよう、ここにいるものが仕掛けまくっていくしかない。

 

 

課題先進地のココ。

ココはイノベーションを起こせる最先端の場所でもある。

 

 

香美町には、かつて、全国棚田100選のスポットが2つあった。

 

小代区貫田に『うへ山の棚田』

 

そして、村岡区和佐父の『西が岡棚田』だ。

 

どちらの棚田も、そこの土地の形状に沿わせたカーブの美しい棚田だった。

 

だった…と過去形になったのは、西が岡はすでにそのような風景がなくなってしまったからだ。

5年ぐらい前だったと思う。

西が岡棚田に何年ぶりかに行ったが、そこには、かつての美しい風景はなかった。

耕作放棄地が広がっていた。

 

日本の自然は、一部には手つかずであるがゆえに長年の生態系の営みで作り出された美しい景観というものが存在するが、ほとんどは、人の営みのそばにあるがゆえに作り出されたものである。

 

上記の棚田はその典型である。

 

昨今、空き家の増加で、崩壊してしまう場所も少なくないが、これもまた人の営みが離れてしまったゆえの現象だ。

 

つまりは、日本の美しさというのは、人がそこで生きるということそのものなのだ。

 

この時期、毎年道路の草刈りがある。

行政が公共事業として実施するものもあるし、集落が独自に日役で出役し、維持されるもの…さまざまだ。

 

 

高齢化、過疎化の進行で、道路除草がままならないところも出てきている。

 

うちの村も、参加人数が減ってきて、道路除草に困難が生じるようになってきた。

 

地域の景観は人の営みがあってこそだといことを改めて思う。