鯛中卓也 講演会 古今東西におけるショパンの演奏スタイルについて | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

鯛中卓也 講演会

―古今東西におけるショパンの演奏スタイルについて―

 

【日時】

2018年9月8日(土) 14:30~17:30

 

【会場】

松田楽器サロン (兵庫県尼崎市)

 

 

 

 

 

好きなピアニスト、鯛中卓也の講演会については、以前の記事にも少し書いた(その記事はこちら)。

もともとクローズな会のようであり、参加は諦めていたのだが、なんとブロ友さんが紹介の労をとって下さり、鯛中さんのご厚意によって参加させていただくことができた。

この場をお借りして御礼申し上げたい。

 

 

ピティナのサイトに膨大な参考音源リストを作成している彼の、過去の名盤に関する知識量は、想像を絶するものがある(そのページはこちら)。

今回は、そんな彼がたくさんの名盤を紹介しながら、各国におけるショパンの演奏スタイルとその変遷について論じてくれた。

大変勉強になる、貴重な講演だった。

 

 

彼の講演内容を簡単に書くと、以下のようなものであった。

 

 

 

 

 

◇イントロダクション ―私の音楽鑑賞のはじまり―

 

・エチュード 変イ長調 Op.10-10

 ポリーニ(1972、DG) → 幼少期に聴いた、音楽体験の原点の一つ。イタリアの照りつける太陽のような演奏。

 

・幻想ポロネーズ 変イ長調 Op.61

 ポリーニ(1975、DG) → 中学生の頃は退屈な演奏に思えた。

 ホロヴィッツ(1966、SONY) → 音色や語り口の多彩さに夢中になり、中高男子に多い「ホロヴィッツ中毒」になった。

 

・ピアノソナタ第2番 変ロ短調 Op.35 第1楽章

 コルトー(1933、EMI) → スケール、深さが桁違い。音が深く、精神が燃えている。コルトーを知るとホロヴィッツも霞むように思えたほど。

 

・タランテラ 変イ長調 Op.43

 コルトー(1935、EMI) → リズム感の良さ、色彩感が段違いで、マイナーな曲なのに一流の傑作に聴こえる。

 

 

 

 

 

◇ポーランドの演奏家 → ピアノをいかに美しく効果的に扱うかを重視する。イマジネーションを大事にする。指使いやペダリングがきわめてpractical。

 

イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860-1941)

・パデレフスキ:メヌエット ト長調 Op.14-1(1937、映像) → 一般的にイメージされているよりも、クリーンでしっかりしたテクニックを持つ。ポーランドの伝統的な奏法。

・ショパン:マズルカ 変イ長調 Op.59-2(1924) → 洗練よりは素朴。フランスでなくポーランドのショパン。

 

アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)

・ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op.21(1974、映像) → 重量奏法として理想的。小指が強く、恵まれた体格を利用した奏法。ペダルが多い(フランスでは少ない)。

 

ミエチスラフ・ホルショフスキ(1892-1993)

・即興曲第1番 変イ長調 Op.29(1987、RCA、映像) → ルービンシュタインのような雄大さはないが、自身の音楽を追求。タッチやペダルはルービンシュタインより色彩的(ハーフペダルで淡い色彩を出すなど)。

 

クリスティアン・ツィメルマン(1956-)

・バラード第3番 変イ長調 Op.47(1987、DG、映像) → レントゲン写真のようなクリアな演奏。手の形が美しい。

 

ピョートル・アンデルジェフスキ(1969-)

・バラード第3番 変イ長調 Op.47(2003、EMI) → 響きに色彩がある。実演をツィメルマンと同じ会場で聴いた際、ツィメルマンは音の立ちあがりが、アンデルジェフスキは響きの広がりが印象的だった。

 

カタジーナ・ポポヴァ=ズィドロン(1948-)

・バラード第3番 変イ長調 Op.47(2017、映像) → ストイックだがパッションのある豊かな世界。呼吸が大きく、力強い。なお、彼女は留学時代の師匠。レッスンは気が遠くなるほど緻密(ペダリングやテンポ設定など)。

 

 

 

 

 

◇ロシアの演奏家 → 広大な大地を思わせる雄大な演奏。教育、音楽院が充実。とはいえ、奏法に厳密というよりは、やはりイマジネーションを重視する。

 

ゲンリヒ・ネイガウス(1888-1964)

・ノクターン ホ長調 Op.62-2(1951) → 右手のメロディラインの息の長さと、それにぴったりと寄り添う左手の伴奏。

 

ヴェラ・ゴルノスタエヴァ(1929-2015)

・ワルツ 嬰ハ短調 Op.64-2(1994、映像) → ポーランドでは4の指(薬指)を避けることが多いが、彼女は4の指を美しく使う。ポーランドより音楽的な指使いかも(ポーランドはより合理的)。

 

エミール・ギレリス(1916-1985)

・ピアノソナタ第3番 ロ短調 Op.58 より 第1楽章(1977、映像) → 悠揚迫らぬ演奏。音の息が長く、格調が高い。ロシアの鐘のような音。この音があってこそ、この遅いテンポ、息の長さが可能となる。

 

スヴャトスラフ・リヒテル(1915-1997)

・マズルカ 嬰ハ短調 Op.63-3(1976、映像) → 音の効果に頼らない、何も足さず何も引かない演奏。安易な表情付けをしない。感覚的な美を求めず、厳粛。玄人的な味わい。本人は気恥ずかしさもあったのかも。

 

ヴラディーミル・ホロヴィッツ(1903-1989)

・マズルカ ロ短調 Op.33-4(1987、DG、映像) → 音で聴かせる芸術家。リヒテルは音楽を奏するのであって、ピアノは媒介物でしかないが、ホロヴィッツはピアノと切っても切り離せない。短調部では抑制された、長調部ではたっぷりとしたペダリング。フレージングは常にディミヌエンドしていく傾向にあり、これはショパン的というよりはロシア的。

 

 

 

 

 

◇イタリアの演奏家 → 重量奏法というよりは指の独立。

 

アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ(1920-1995)

・スケルツォ 第2番 変ロ短調 Op.31(1962、映像) → 鍵盤から指が離れない。歌がある。音の立ちあがりがロシアと全然違う。

 

マウリツィオ・ポリーニ(1942-)

・ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 Op.11 より 第1楽章(2016、映像) → ミケランジェリと同様、鍵盤から指が絶対に離れない。ただ、より激情的でロマンティック。感情のスペースは狭く、つんのめりもある。スカラ座で実演を聴くと、特長が手に取るように分かった。

 

アルド・チッコリーニ(1925-2015)

・ノクターン ロ長調 Op.62-1(2010、映像) → 実演で最も感動したピアニスト。実演で印象的だったのは「イゾルデの愛の死」。音がゴージャス。ただし、どんなに豊かな音でも、その背後には静けさが、穏やかなたたずまいがある。最後に聴いた実演は大阪のフェスティバルホールでサン=サーンスの協奏曲第5番。オーケストラに埋もれることなく、たった一人のピアニストのユニゾンが大ホールの最後席まで光線のように響いた。

 

 

 

 

 

◇フランスの演奏家 → ギャラント様式の名残。装飾的、色彩的。装飾的な音型を、ペダルを使わずレッジェーロに奏する。ただし1970年頃からは前衛音楽の影響を受け、より冷静な様式に変化した。

 

アルフレッド・コルトー(1877-1962)

・幻想曲 ヘ短調 Op.49(1952、RCA) → ヴァーグナー風の濃厚なロマンティシズムと、フランス風のギャラント様式との、最高の化学反応。指が回らなくなった晩年でも、ペダルでごまかさない。ミスは気にせず、リズム感を重視し、音楽を大局的に見る。19世紀の即興的で気ままなスタイルとは一線を画している。

 

サンソン・フランソワ(1924-1970)

・ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op.21(1966、映像) → 気ままな様式で、コルトーよりむしろ古風。表現が瞬間的に終わっていく。

 

ディヌ・リパッティ(1917-1950)

・ワルツ 変ニ長調 Op.64-1(1950、EMI) → 本当に必要な表現を選び抜いている。俗っぽさが全くない。フランスの奏者たちとは違った存在。ただ、音色にはフランス風の気品がある。

 

 

 

 

 

◇その他(番外編)

 

ヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)

・ノクターン 変ニ長調 Op.27-2(1953) → 19世紀以前に根付いていた即興演奏の名残がある。センチメンタルな要素を嫌悪していたが、それでもショパンもうまい。音楽の持つ自然な味わいがある。ベーゼンドルファーのピアノも味わい深い。

 

マルタ・アルゲリッチ(1941-)

・ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 Op.22(2010、映像) → どこの国や流派の奏法というよりは、良いとこ取りのテクニック。強靭な打鍵を持ち、あらゆる音が出る。広島の多目的ホールで聴いたベートーヴェンの協奏曲第1番がとても良かった。このショパンの協奏曲でも、超絶技巧の部分以上に、第3楽章のユニゾンによるポルカ風エピソード主題の個性的な弾き方が味わい深い。

 

津田裕也(1982-)

・舟歌 嬰ヘ長調 Op.60(2018、Fontec) → 白寿ホールでのメンデルスゾーン・リサイタルで感動。柔らかい音で、フレージングが美しい。室内楽的な安定した拍感と、ハーモニーに対する繊細な感覚がある。

 

 

 

 

 

講演後の質疑応答で、私は2つの質問をし、お答えいただくことができた。

 

・アメリカや東アジアのショパンについては?

→ まだそれほど多くの演奏家を聴いていないのと、音楽の大衆化や人種などあまりに多くの要素があるので、一口には言えない。また、例えばダン・タイソンはロシアの先生のもとで学んだが、その後自身で奏法を模索した面もあったようであり、そういった点も重要なのかも。

 

・自身のショパンの奏法、様式については?

→ 自分はまだまだ研鑽中なので何も言えないが、伊藤恵先生のもとでドイツ流を学び、その後留学してポーランド流を学んで、2つの要素を知れたのは良かった。ドイツ流はピアノそのもの以上に音楽を重視し、「芸術」として考える傾向があって勉強になった。

 

 

 

 

 

講演内容については以上である。

大変興味深い内容だった。

彼の知識と経験はきわめて豊富で、かつそれらに基づく知見と考察は正確で理にかなっており、さらにその説明は明快で分かりやすい。

一流の音楽家の多くはインテリでもある、という好例である。

また、彼の「聴き手」としての志向は、彼の「演奏家」としてのそれと全く同様に、往年の伝説的な巨匠たちの方を向いている、ということがよく分かった。

どちらかというと現代の演奏を好む私とは異なっているが、そうした違いもまた大変面白い。

ヨーロッパからアメリカへ、東アジアへと広がる現代のショパン演奏に対しても私は大いに興味があり、それについてはまた回を改めて書いてみたい。

 

 


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