大阪フィルハーモニー交響楽団 第520回定期 大植英次 ホルスト 「惑星」 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

大阪フィルハーモニー交響楽団

第520回定期演奏会

 

【日時】

2018年7月26日(木) 開演 19:00 (開場 18:00)

 

【会場】

フェスティバルホール (大阪)

 

【演奏】

指揮:大植英次

ヴァイオリン:イェウン・チェ *
女声合唱:大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導:福島章恭) #

管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団

(コンサートマスター:田野倉雅秋)

 

【プログラム】

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」 作品8-1~4 *

ホルスト:組曲「惑星」 作品32 #

 

 

 

 

 

大フィルの定期演奏会を聴きに行った。

好きなピアニスト、リード希亜奈のリサイタルと日程が重なってしまい(それについての記事はこちら)、悩んだのだが、結局もともとチケットを買っていたこちらのほうを聴いたのだった。

指揮は、大植英次。

曲目は、ヴィヴァルディの「四季」と、ホルストの「惑星」。

 

 

前半の「四季」はバロック音楽だけれど、今回はデュナーミクやアゴーギクの変化の著しい、かなりロマン派的な演奏だった。

チェンバロを弾きながら指揮をする大植英次は、かなり濃い表現をオーケストラに求めているし、自身のチェンバロも、チャラランと弾くアルペッジョ一つ取ってもきわめてロマン派的なそれであり、バロック的な印象はほとんどない。

ソロ・ヴァイオリンを担当したイェウン・チェは、私は初めて聴くヴァイオリニストだが、彼女もまたきわめてラプソディックで自由な表現をするタイプの演奏家であり、大植英次の求める演奏の方向性にぴたりと合致していた。

彼女が大植英次に合わせたのか、あるいはその逆なのか。

実際のところは分からないけれど、一方が他方に無理やり合わせているというよりは、両者がかなり近しい音楽性をもつのではないかと思わせる演奏だった。

そのためもあってか、普段このようにデフォルメされたバロック音楽は苦手な私だけれど、今回は楽しく聴くことができた。

 

 

イェウン・チェはなかなかの実力者のようで、速いパッセージであっても正確な音程で鮮やかに弾ききっていた。

音の質が比較的細身であるのも、私の好みに合っている。

ただ、モダン・ヴァイオリンによる「四季」で私の好きな録音は

 

●ユリア・フィッシャー(Vn) シリトー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ 2001年7月セッション盤(DVD

 

なのだが、これと比べてしまうと、細かいところでいくつかの音がおろそかになり、弾き飛ばされてしまっているのが気にはなった。

打撃的なきつい発音がそこここに聴かれるのは、彼女の個性ということで良いのだとしても、やや勢いに頼りすぎているきらいがあり、もう少し細部への配慮がほしい。

また、4曲とも、急速な第3楽章の演奏の鮮やかさに比べ、むしろ緩徐な第2楽章において音程の不安定さが目立ったり、ヴィブラートのかけ方にムラがあったりして、美しいメロディがすんなりと心に入ってこないことがままあった。

 

 

後半の「惑星」は、実演で全曲を聴くのは私にとっては今回が初めてである。

この曲は、惑星そのものを描写して書かれたというよりは、占星術から着想を得たとのことだけれど、私としては大宇宙が眼前に現れるかのような

 

●レヴァイン指揮シカゴ響 1989年6月セッション盤(NMLApple MusicCD

 

が好きで、このパワフルでありがならもきわめてスマートな、非情なまでに動じない、無機質な大迫力のサウンドを聴くと、ジョン・ウィリアムズのどの曲よりももっと宇宙の巨大なスケールを感じてしまうのだった。

 

 

これに比べると、今回の大植英次&大フィルの演奏は、もっと「人間臭い」印象だった。

「火星」にせよ「土星」にせよ、繰り返される特徴的なリズムが、非情なまでに安定しているというよりは、むしろ生命の拍動のように少しずつ揺らいでいる。

より顕著なのが「木星」で、突然テンポが極端に速くなったり遅くなったりする箇所が多く聴かれた。

結果的にどことなく「軽い」印象となり、宇宙的な不動の演奏を求める私の好みとは違っていた。

とはいえ、これはこれで面白い演奏ではあった。

それに、実演でこのような大編成の曲を聴くと、CDでは聴けない大音響の迫力があって、スカッとする。

また、「木星」の中間部の有名なメロディ、これも大植英次の解釈はやはり人間臭いものだったけれど、ここでの粘っこい歌い上げ方は曲想にも合っており、なかなか良かった。

 

 

なお、嬉しいことに「惑星」の首席フルート奏者は田中玲奈だった。

今回も「金星」「水星」「海王星」などで素晴らしい演奏を聴くことができた。

 

 

 

(画像はこちらのページからお借りしました)

 

 


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