大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪公演 尾高忠明 ベートーヴェン 交響曲第5、6番 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

大阪フィルハーモニー交響楽団

ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Vol.3 
 

【日時】
2018年7月20日(金) 開演 19:00 (開場 18:00)

 

【会場】

フェスティバルホール (大阪)

 

【演奏】
指揮:尾高忠明

管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団

(コンサートマスター:崔文洙)

 

【プログラム】

ベートーヴェン:交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67 「運命」

 

 

 

 

 

大フィルのコンサートを聴きに行った。

本年より大フィルの音楽監督に就任した尾高忠明の指揮による、ベートーヴェン交響曲全曲演奏会の第3弾である。

第1弾と第2弾は、私は聴きに行かなかった。

それなのに、今回なぜ第3弾を聴きに行ったのか。

それは、フルートを聴きたいがためである。

 

 

ベートーヴェンの交響曲で、なぜフルート? と訝られることと思う。

おっしゃる通りである。

ただ、以前の記事に書いたように(こちら)、大フィルの首席フルート奏者の田中玲奈、彼女のCDを聴いてそのうまさを改めて実感した私としては、彼女がいつ他の楽団に引き抜かれてしまうか、気が気でないのだった。

今のうちに、できるだけ聴いておかなければ。

それに、今回の曲目のうち、「田園」は木管の活躍度の高い曲。

彼女のフルートを聴くにはぴったりである。

 

 

ただし、「田園」のフルートを彼女が担当するかどうかわからない。

大フィルの首席フルート奏者には、野津臣貴博もいる。

彼の演奏に不満があるわけではないし、その肉厚の音色は田中玲奈よりも大フィル向きだという意見があってもおかしくない。

ただ、田中玲奈は、繊細な表現力といい、ムラのない丁寧なフレージングといい、フルートだけでなく大フィルの他楽器のメンバーと比べても群を抜いているように思われる。

彼女のフルートで「田園」を聴けるかどうか、これは当日まで分からなかった。

 

 

そして当日。

「田園」のフルートは、田中玲奈だった!

祈りが届いたのだろうか(笑)。

演奏は、やっぱり素晴らしかった。

「田園」で私の好きな録音は

 

●カラヤン指揮ベルリン・フィル 1962年2月13-15日セッション盤(NMLApple MusicCD

●アバド指揮ベルリン・フィル 2000年5月セッション盤(NMLApple MusicCD

 

あたりである。

ともに美しい名盤だが、フルートに関していうと、特にアバド盤が素晴らしい(おそらくパユではないだろうか)。

だが、今回の田中玲奈も、それに劣らない出来だった。

彼女のフルートは、パユに比べると控えめな音色だけれど、それがまた良い。

そして、パユのような独特の「崩し」がなく、より端正な様式なのだが、どちらのやり方も私は好きであり、甲乙つけがたい。

「田園」におけるフルートの聴きどころ、例えば

 

・第1楽章の最後の第1主題風メロディ、「ドッレッミーファミ、レッミッファーソファ、…」

・第2楽章の展開部開始後すぐのアルペッジョ上行音型、「ドミソドミソドー、…」

・第2楽章の再現部冒頭の第1主題、「ドレミレ、レード / ドレミド、シドレドーシ、…」

・第2楽章のコーダ、ナイチンゲールの声を模したトリル音型、「ラソラソラソラソ…」

・第4楽章の最後の音階上行音型、「シドレミファソラ、シドレミファソラシ」

(以上は階名表記)

 

といった箇所における彼女の演奏の美しさは、いずれも忘れがたいものだった。

 

 

なお、プログラム後半の「運命」のほうのフルートは、野津臣貴博だった。

彼も彼で、音が分厚く存在感があって良い。

野津臣貴博と田中玲奈は、(以前の)ベルリン・フィルでいうブラウとパユみたいなもので、それぞれが良い味を出している。

私がとりわけ好きなのは、より繊細で完成度の高い、田中玲奈やパユのほうだけれど。

 

 

最後になったが、演奏全体について。

尾高忠明の指揮は、強烈な迫力や類まれな洗練はないものの、ベートーヴェンらしい、軽すぎないズシンとした音が出ていて、なかなか良かった(オーケストラが16型編成と大きいことも、その一因かもしれないが)。

それでいて、コバケンのような濃すぎる演奏にはならず、フェルマータもその直後の休符もだれることなく譜面通りの音価を保っていたし(つまり短めということ)、「運命」の終楽章ではかなりの高速テンポが採られ、引き締まった推進力があった。

尾高忠明は、ベートーヴェンに向いているのかもしれない(以前彼の指揮で聴いたR.シュトラウスやブルックナーに比べて)。

 

 

また、オーケストラについて、フルート以外では第1ヴァイオリンが良かった。

特に、「田園」終楽章の第1主題の美しいメロディは、上記カラヤン盤やアバド盤ほど洗練されているとはいわないまでも、明るい美しさが印象的だった。

以前聴いたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章もそうだったけれど、こうしたロマンティックな明るいメロディを弾かせると、大フィルのヴァイオリン・パートの右に出る楽団は、日本広しといえどもそう多くないような気がする。

 

 

 

(画像はこちらのページからお借りしました)

 

 


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