「J.ブラームス」
【日時】
2018年7月18日(水) 開演 20:00 (開場 19:30)
【会場】
カフェ・モンタージュ (京都)
【演奏】
ピアノ:松本和将
【プログラム】
ブラームス:創作主題による変奏曲 ニ長調 op.21-1 (1857)
ブラームス:ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調 op.5 (1854)
※アンコール
ブラームス:間奏曲 op.118-2 (1893)
カフェ・モンタージュのコンサートを聴きに行った。
松本和将による、ブラームスのピアノ曲。
大変素晴らしい演奏だった。
最初のプログラムは、ブラームスの創作主題による変奏曲。
ベートーヴェンの晩年の変奏曲、特にソナタ第30番や第32番の終楽章あたりを範にしたと思われる(最終変奏での長いトリルも共通している)、静かな祈りのような変奏曲。
ブラームスのピアノ・ソロ曲の中で、私の最も愛する曲である。
この曲で私の好きな録音は
●シュミット=レオナルディ(Pf) 2004年7月13日セッション盤(NML/Apple Music/CD)
あたりである。
この演奏は、夜空の星々のように音がきらきらと輝いている。
今回の松本和将の演奏は、それよりはもう少し落ち着いた滋味深いもので、かつ情感の豊かさにおいては少しも劣らなかった。
例えば、冒頭主題の繰り返しにおいて、シュミット=レオナルディは内声部をかなりはっきりと強調して歌わせるのに対し、松本和将の内声の扱いはもっとそこはかとないものだったが、それでも十全に美しい歌になっていた。
次のプログラムは、ブラームスのピアノ・ソナタ第3番。
この曲で私の好きな録音は
●フアンチ(Pf) 2016年7月22日ニューヨークライヴ(動画)
あたりである。
実演では、第1楽章だけではあるが、高御堂なみ佳による名演が忘れがたい(そのときの記事はこちら)。
今回の松本和将の演奏は、男らしく情熱的な、大変力強い熱演だった。
ブラームスはかくあるべき、といった演奏。
ダイナミックな打鍵は、腹の底にこたえるほど(彼がブラームスのピアノ協奏曲を弾いたら絶対に合うと思う)。
一方、上記の高御堂なみ佳の演奏は、より端正でシュッと引き締まった、それでいて美しいロマン性が曲の隅々にまで込められたものだった。
演奏の特徴は異なっているが、どちらも「ブラームスのソナタ」はかくあるべしというような大変な名演であり、私には甲乙つけることができない。
そして、アンコールはブラームスの間奏曲op.118-2。
これが奏され始めたとき、私は嬉しい驚きを覚えた。
というのも、この曲の録音で私の最も好きなものは
●松本和将(Pf) 2016年5月29日横浜ライヴ(動画)
なのである。
彼の弾く同曲が、生で聴けるなんて。
期待通りの素晴らしい演奏だった。
和音の連続した曲であり、音の重なりに負けてぐしゃっとつぶれたような響きになりがちだが、彼が弾くとそうはならず、常にメロディが生きている。
なおかつ、それらはブラームスらしい、重心の低い情感を湛えているのである。
ブラームスは、「トリスタン和音」を考案したヴァーグナーのようには和声法を拡張しなかったけれど、和声へのこだわりや鋭い感性という点では、ヴァーグナーに少しも劣らない人だった。
この間奏曲op.118-2では、「ミ↘レ↗ファ ミ↘レ↗ド」(階名表記)という単純なメロディにつけられた和声が、1回目はサブドミナントであるのに対し、2回目は属調のドミナントになっている。
この、ごくわずかな和声の違い。
あるいは、内声部の半音階的な動きを利用した、ちょっとした和声の移ろい(属七が減七に変化するなど)。
ヴァーグナーのような大それた和声を用いなくても、こうしたほんの少しの和声変化で、どれだけ大きな効果を得ることができるか、どれほど人の心を強く打つことができるか。
こういったことに感性を研ぎ澄ませ、自身の生涯を捧げた―ブラームスとはそんな人だった。
松本和将の演奏は、このことをさりげなく実感させてくれる。
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