今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。
前回と同じく、「もしもタイムマシンがあったなら行ってみたい演奏会」シリーズの続きを書きたい。
これまで、フルトヴェングラーの指揮によるコンサートがもし聴けたならということで、彼の振るベートーヴェン、ヴァーグナー、ブラームス、ブルックナー、マーラー、R.シュトラウス、チャイコフスキー、ストラヴィンスキーについて書いてきた。
ここ数回は、フルトヴェングラーの振った世界初演曲に焦点を当てている。
今回は、フルトヴェングラーの指揮によるヒンデミットの交響曲「画家マティス」を取り上げたい。
フルトヴェングラーによる世界初演となると、この曲に触れないわけにはいかない。
ヒンデミットの交響曲「画家マティス」、この曲が世界初演されたのは、下記の演奏会においてである。
1934年3月11、12日、ベルリン
指揮:フルトヴェングラー
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
プログラム
Hindemith: Mathis der Maler, 3 symphonic excerpts
C.P.E. Bach: Cello concerto (Paul Grümmer)
Brahms: Symphony No. 3
この世界初演自体は、成功裏に終わったようである。
ただしこの後、交響曲「画家マティス」のもとととなる歌劇「画家マティス」をフルトヴェングラーがベルリン国立歌劇場で世界初演しようとすると、ナチスは上演を禁止したのだった。
フルトヴェングラーはこれに怒り、新聞に抗議文を掲載して、いわゆる「ヒンデミット事件」が起こるのである。
その詳細については、他を参照されたい(ウィキペディアはこちら)。
このときのフルトヴェングラーの毅然とした態度、しかし彼の辞任によるベルリン・フィルの窮状やドイツ芸術の危機、そして最終的に彼が「毒を飲む」ことを決意するに至る苦悩―こうしたことを考えるたびに、私は悲しさで胸がいっぱいになる。
彼の選択を非難するのはたやすいし、同時代の人たちにはそうする権利もあるのかもしれないが、少なくとも後世の私たちが当時の彼の状況を我がことのように想像するのは、ほとんど不可能なことではないだろうか。
批判するよりも、反省のきっかけとして捉えるべき事件だろう。
一部例外はあれど、音楽家が時の権力者や資産家に頼って生きていくのは、バッハやモーツァルトの時代から現代に至るまで全く変わっておらず、それはともすると大きな問題を生ずる危険をはらんでおり、いかなる芸術家であってもその危険に対し無関心であるべきではない、ということの。
もちろん、芸術家に限らない。
一見平和な時代にこそこうしたことに意識的であるべきなのは、私たち聴衆だって同じである。
ただしタイムマシンはまだないし、またこの演奏会のライヴ録音も残されていない。
代わりとなる他の機会の録音は、ブラームスの交響曲第3番については存在するけれど、他の記事にも書いたので(そのときの記事はこちら)、今回は省略する。
フルトヴェングラーは、ヒンデミットの交響曲「画家マティス」を、上記演奏会以降再演しなかったようである。
彼にとって、苦々しい思い出の曲になってしまったのだろうか。
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