2012年度青山音楽賞新人賞受賞研修成果披露演奏会
深見まどか ピアノリサイタル
〜ヨーロッパ音楽紀行〜
【日時】
2017年12月10日(日) 開演 14:30 (開場 14:00)
【会場】
青山音楽記念館バロックザール (京都)
【演奏】
ピアノ:深見まどか
【プログラム】
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第3番 作品28 「古い手帳から」
ドビュッシー:前奏曲集 第1巻
1. デルフィの舞姫たち
2. 帆
3. 野を渡る風
4. 音と香りは夕暮れの大気に漂う
5. アナカプリの丘
6. 雪の上の足跡
7. 西風の見たもの
8. 亜麻色の髪の乙女
9. とだえたセレナード
フィリップ・ルルー:DENSE...ENGLOUTI... ドビュッシーの前奏曲の思い出に包まれて(2011)~ ※日本初演
ドビュッシー:前奏曲集 第1巻 (続き)
10. 沈める寺
11. パックの踊り
12. ミンストレル
― 休 憩 ―
スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第5番 作品53
メンデルスゾーン:ロンド・カプリチオーソ ホ長調 作品14
ドビュッシー:前奏曲集 第2巻
1. 霧
2. 枯葉
3. ヴィーノの門
4. 妖精たちは艶やかな踊り子
5. ヒースの茂る荒れ地
6. 風変わりなラヴィーヌ将軍
7. 月の光がふりそそぐテラス
8. オンディーヌ
9. ピックウィック卿を讃えて
10. カノープ
11. 交代する3度
12. 花火
※アンコール
ヒナステラ:ピアノ・ソナタ 第1番 作品22 より 第4楽章
ラヴェル:「鏡」 より 「道化師の朝の歌」
以前の記事(こちら)で少し触れた、深見まどかのピアノリサイタルを聴きに行った。
彼女の生演奏を聴くのは、今回が初めて。
クライバーンコンクールやブゾーニコンクールのネット配信で感じていた彼女の演奏の特徴を、今回の実演でも再確認できた。
彼女の演奏は、甘美な情緒たっぷりというよりは、硬質な音による辛口の味わいを持ったものである。
ロマン派の音楽以上に、近現代音楽により大きな適性があるタイプの演奏様式だと思う。
今回、音楽の「近代化」が急速に進んでいた時代である、20世紀初頭の曲がプログラムの軸となっている。
プロコフィエフのソナタ第3番(1907年作曲、1917年改作)、スクリャービンのソナタ第5番(1907年)、ドビュッシーの前奏曲集第1巻(1909-10年)、同第2巻(1911-13年)を中心に据え、その約1世紀前のメンデルスゾーンのロンド・カプリチオーソ(1824年)と、約1世紀後のフィリップ・ルルーのDENSE...ENGLOUTI...(2011年)を間に挟むという、大変粋な、かつ彼女向きなプログラミングとなっている。
また、彼女のもう一つの特徴としては、テクニックのキレの良さが挙げられる。
そして、その高度なテクニックは彼女の演奏に安定感をもたらしているのだが、彼女の姿勢としては安全運転を心がけるというよりは、むしろその安定感が崩れるかどうかのすれすれのところで勝負する、というところがあるように思う。
今回、最初のプログラムであるプロコフィエフのソナタ第3番は、ブゾーニコンクールのセミファイナルのとき同様キレがあったが(そのときの記事はこちら)、今回特にコーダなどさすがに速すぎるためか、ちょっと上滑りしているというか、プロコフィエフならではのパキッとしたメリハリがあまり感じられず、表現がテンポの速さに追いついていないような印象を受けた。
それに対し、スクリャービンのソナタ第5番やメンデルスゾーンのロンド・カプリチオーソでは、速いながらもほとんど無理がなく、完成度が高かった。
彼女の硬質な音、甘美過ぎない演奏スタイルはスクリャービンの中後期の様式によく合っており、テクニック的にも概ね万全で、この曲の録音で私の好きな
●イム・ギウク 2015年浜コンライヴ盤(CD)
にも迫る出来だった。
メンデルスゾーンのほうはロマン派の曲だけれども、彼女のロマンティックすぎない、さりとて情感にも欠けないメロディの歌わせ方が、ある種の清涼感を生み出し、それがこの曲に意外と合って大変良かった。
そして、二重トリル風パッセージや幅広いアルペッジョ(分散和音)といった難しそうな箇所も、かなりの高速テンポで鮮やかに弾ききっていた。
この曲はまだお気に入りの演奏に出会っていなかったのもあって、かなり大きな感銘を受けた。
そして、ドビュッシーの前奏曲集、第1巻と第2巻。
ドビュッシーのピアノ曲きっての傑作といえるこの曲集を、全曲取り上げてくれるのは、実にありがたい。
それも、彼女のような演奏スタイルのピアニストであれば、なおさらである。
この曲集では、私はこれまでにも何度かブログに書いてきたけれど、
●アラン・プラネス 1985年セッション盤(Apple Music/CD)
の、まるでブーレーズの指揮のように極限まで誇張を排した禁欲的な姿勢、研ぎ澄まされた響きの美しさに魅了され、それ以外の演奏はなかなか受け付けないというか、呪縛されたかのようになっているのだった。
今回の深見まどかの演奏は、プラネス盤ほどの完成度は聴かれないものの、それとはまた少し違ったやり口で、もう少し局所の自由で詩的な表現を目指したもの。
それでいて、一般的にみると十分に硬派な演奏で、ドビュッシーの様式によく合った素晴らしいものだった。
「西風の見たもの」「パックの踊り」「妖精たちはあでやかな踊り子」「オンディーヌ」といった曲での、急速なパッセージでのキレの良さ。
それでいてガツガツしたり、逆に模糊としたりすることなく、しっかりと響きを美しくコントロールできている。
また、「カノープ」のような緩徐な曲においても、清澄なメロディや和声を十分に堪能させてくれる。
「交代する3度」ではさすがに速すぎて(ベロフ盤に匹敵するほどのテンポ)、やや不明瞭になってしまっていたのは残念だったけれど(なお、ベロフは急速なテンポにもかかわらず明瞭に弾けているけれど、ガツガツしていてこれはこれで私はあまり好きでない)。
最後の聴かせどころの「花火」は、あくまでクリアで明晰なコントロールを絶やさぬプラネス盤と異なり、ペダルも厚めに使いながら、花火の打ち上げ前の静けさから打ち上げ後の華やかさまで、大きく起伏を付けて表現された色彩的な演奏だった。
それでいて決して華美なショウピース風ではなくしっかり「ドビュッシー」になっており、これはこれで大変良かった。
なお、ドビュッシーの前奏曲集第1巻の途中に挟み込む形で奏されたフィリップ・ルルーの日本初演曲は、初めて聴く曲だった。
ゆったりした部分と急速な部分とが交互にやってくるような曲で、鋭い不協和音の響きも急速なパッセージの流れもよくコントロールされ、美しかった。
そして、アンコール。
1曲目は、ヒナステラのソナタ第1番のフィナーレ。
彼女はこの曲をクライバーンコンクールでも弾いているが(そのときの記事はこちら)、そのとき同様今回も攻めのテンポで、ルバート(テンポの揺らし)もあまりなく辛口のテイストで淡々と進みキレ味抜群、コーダの連続オクターヴもしっかりと決まった最高の名演だった。
2曲目は、ラヴェルの「道化師の朝の歌」。
彼女はこの曲をブゾーニコンクールのソロファイナルでも弾いているが(そのときの記事はこちら)、やはりこの曲でも彼女は攻めの姿勢であり、同音連打部分ではさすがにややテンポが落ちるし明瞭度も完全とはいえないものの、全体的に速めのハキハキした演奏でこの曲らしいし、二重グリッサンドも見事だった。
パリ国立高等音楽院に留学したという彼女だが、どういう経緯でそうなったか私は知らないけれども、彼女にぴったりの選択だったのではないだろうか。
彼女ほどのドビュッシーやラヴェル、また近現代曲が弾ける日本人ピアニストは、そう多くないように思う。
そんな彼女のコンサート、2017年12月17日(日)に平野の家 わざ永々棟というところで再度開催予定とのこと(京都市内)。
今回のドビュッシーやスクリャービンに加え、ベートーヴェンやショパンやリストを、エラールのピアノで演奏する。
興味がおありの方はぜひ(詳細はこちら)。
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