洗足学園音楽大学管弦楽団 第74回定期 カンブルラン ベルリオーズ 幻想交響曲 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

洗足学園音楽大学管弦楽団

第74回定期演奏会

 

【日時】

2017年11月5日(日) 開演 14:00 (開場 13:30)

 

【会場】

洗足学園 前田ホール (川崎)

 

【演奏】

指揮:シルヴァン・カンブルラン

管弦楽:洗足学園音楽大学管弦楽団

ピアノ:加藤直子 *

 

【プログラム】

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」 序曲 K.492

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」 (1947年版) *

ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14

 

 

 

 

 

好きな指揮者のシルヴァン・カンブルランが、学生オーケストラを振る!

学生オーケストラといっても、アマオケではなく、音大生によるオーケストラである。

とはいえ学生であり、きっとオーケストラ演奏にはまだそれほど慣れていないはず。

そんなオーケストラをカンブルランが振ると、いったいどうなるか。

これは、聴き逃すわけにはいかない。

それに、曲目は「フィガロの結婚」序曲、「ペトルーシュカ」、幻想交響曲という、カンブルラン大得意の曲ばかりである。

特に「ペトルーシュカ」は、先日に大フィルの定期で同曲を聴いたときにも少し書いたけれど(そのときの記事はこちら)、私の大好きな曲のひとつ。

そんなこんなで、期待して聴きに行ったのだった。

 

 

いや、これはもう、想像以上に素晴らしい演奏だった。

最初の「フィガロの結婚」序曲からして、まさにカンブルランならではの透明感のある美しい音が出ていた。

学生オーケストラとは思えない。

 

 

そして、次はいよいよ「ペトルーシュカ」。

この曲の録音では、

 

●ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィル 1971年セッション盤(Apple Music

 

が凄すぎて、聴くとなるとそればかり聴いてしまうのだが、それ以外では

 

●カンブルラン指揮バーデン=バーデン・フライブルクSWR響 セッション盤(NMLApple Music

 

が特に好きである。

それもあって、とりわけ楽しみにしていた。

今回の演奏は、どうだったか。

あくまで学生オーケストラなので、プロとしてやっているSWR響ほどの洗練は聴かれないのはやむを得ない。

縦の線がずれそうになることもあったし、また疵も少しあった。

しかし、そんなことがほとんど気にならないほどの、凄まじいまでの名演だった。

弦も木管も金管も、あらゆる楽器がきわめてクリアに聴こえてくる。

それは、トゥッティ(総奏)による最強音の瞬間においてさえ、そうなのである。

コケオドシのやかましい大音響では全くなく、実に美しく透き通った強音。

こんなに美しくて圧倒される透明な強音というのは、上記のようなお気に入りの録音からさえ、何となくしか伝わってこない。

「録音に入りきらない」というのはこういうことを指すのだな、と強く感じた。

 

 

弱音も、もちろん美しい。

手回しオルガンを模した木管アンサンブルの箇所など、一人一人が飛びぬけた名手というわけではないのに、響きが大変美しく調和して、純なハーモニーが実現されていた。

いや、この箇所に限らない。

全ての箇所で、そうなのである。

トランペットによる「ペトルーシュカの動機」、これは意図的に耳をつんざくような書き方をされているのだが、確かに耳をつんざくような音なのに、それでも大変にクリアで、耳に障ることがない。

第3部「ムーア人の部屋」でも、荒々しい金管の咆哮でさえ、美しくて聴き入ってしまう、というありさまである。

 

 

そして、第4部「謝肉祭の市」。

各パートを細かく分けて独立した動きをさせ、べた塗りでない、透明で明るい響きを実現した、ストラヴィンスキーの書法。

それが本当に良く活かされた演奏だった。

まるで印象派の絵画における明るい光の扱いを、音によって実現したかのごとくである。

雪深いロシアの街の、活気ある謝肉祭の市に、燦々と降り注ぐ陽の光。

それが、「熊を連れた農夫の踊り」の直後の管楽アンサンブルの箇所では、もやもやした淡い光のような、やや幻想味を帯びた響きに変わる。

この箇所は、上記のブーレーズ盤の面目躍如なのだが、今回の演奏もそれにかなり迫る美しさだった。

その後、曲はどんどん活気を増していくが、演奏はあくまでクリア。

いくら高揚しても、ストラヴィンスキーがそこかしこにちりばめた対旋律だとかちょっとした動機だとかが、まるで透かし絵のように全て明瞭に聴こえてくる。

そして、人形ペトルーシュカは「死ぬ」ことになり、亡霊として出てくるのだが、ここの低弦から高弦へと順次伝えられていくトレモロの刻み、そして管楽器の断片的な音、これらの美しいことといったら!

本当に、鳥肌が立つほど美しかった。

こういうところも、録音では分かりにくい。

管楽による冒頭のトリル風動機の断片、トランペットによる亡霊ペトルーシュカの雄たけび、そして最後の不気味な弦のピッツィカート、これら一連の流れが、全て本当に美しく表現されていた。

学生オーケストラからここまでの響きを引き出してしまうカンブルラン、私には驚異としか思えない。

「奇跡的」という言葉を使いたくなる。

プロオケの演奏でもなかなか満足できない、難曲である。

いったい、どのようなリハーサルをしているのだろうか?

 

 

後半の幻想交響曲も、大変素晴らしかった。

私の好きな

 

●ネゼ=セガン指揮ロッテルダム・フィル 2010年3月セッション録音(NMLApple Music

 

の颯爽としたアプローチとはまた違った、より落ち着いた演奏だったが、これはこれでとても良かった。

第1楽章の序奏からして、弦の響きがあまりに透明で美しい。

第2楽章のワルツもそうだし、第3楽章なんて特にそうだった。

管ももちろん美しく、第4楽章の金管によるファンファーレでさえ、響きが柔らかかった。

終楽章の、激しくも濁らない充実した響きも、いうことなし。

 

 

「ペトルーシュカ」も幻想交響曲も、これまでプロのオーケストラの実演を何度か聴いてきたけれども、そのいずれよりも今回の演奏のほうがはるかにすごかった(個々の技量としてではなく、演奏全体の出来として)。

カンブルラン、恐るべしである。

とともに、洗足学園音楽大学管弦楽団の実力も、高いということだろう。

そして、きっと練習に練習を重ねた上で、たった3日ほどしかないカンブルランのリハーサルでは、指揮者の意図をできるかぎり汲み取ろうと懸命にがんばったのではないだろうか。

団員全員に、大きく感謝したい。

 

 


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