NHK音楽祭 バイエルン国立管弦楽団 ペトレンコ ヴァーグナー 「ヴァルキューレ」第1幕 ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

NHK音楽祭2017

バイエルン国立管弦楽団

 

【日時】

2017年 10月1日(日) 開演 15:00 (開場 14:00)
プレトーク:西村朗氏(作曲家)14:30〜14:45

 

【会場】

NHKホール (東京)

 

【演奏】

指揮:キリル・ペトレンコ

管弦楽:バイエルン国立管弦楽団


バリトン:マティアス・ゲルネ*

ジークムント:クラウス・フロリアン・フォークト
ジークリンデ:エレーナ・パンクラトヴァ
フンディング:ゲオルク・ツェッペンフェルト

 

【プログラム】

マーラー:「こどもの不思議な角笛」より*

 ラインの伝説

 きれいなラッパの鳴るところ

 地上の暮らし

 原光

 むだな骨折り

 死んだ鼓手

 少年鼓手

ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第1幕 演奏会形式(ドイツ語上演)

 

 

 

 

 

NHK音楽祭2017の、ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団による公演を聴きに行った。

プログラムの前半は、マーラーの「こどもの不思議な角笛」より抜粋。

冒頭の「ラインの伝説」から、バイエルン国立管弦楽団の美しい音色に驚かされる。

特に、弦楽器。

ヨーロッパの音というべきかドイツの音というべきか、本当に馥郁とした香りに満ちた音がする。

管楽器もみな一人一人素晴らしく、オーケストラ全体の印象としては先日聴いたハンブルク響よりもさらに上(その記事はこちら)、シュターツカペレ・ドレスデンに匹敵するレベルのように感じた(その記事はこちら)。

 

 

そして、指揮のキリル・ペトレンコ。

かなり精密に各楽器のフレージングやデュナーミクをコントロールし、そのマニエリスティックなまでのこだわりが、マーラーならではの世紀末的な屈折した美しさを表現しつくしていた。

ゲルネの歌も、美声で勝負するというよりは語り口のうまさの際立った、リート歌手として名高い彼ならではの素晴らしさであった。

最後の「少年鼓手」の終わり、声と小太鼓とが消え入るようにディミヌエンド(だんだん弱く)していくのも、聴こえるか聴こえないかというほどの最弱音による、緊張感みなぎる表現となっていた。

 

 

プログラムの後半は、ヴァーグナーの「ヴァルキューレ」第1幕。

こちらの曲でも、ペトレンコは相変わらず細部までこだわっており、最弱音のクラリネットの繊細な活かし方だとか、「ノートゥングの動機」が出てくるところでのトランペットのドラマティックな表現、最後のほうの「あなたの名前はヴェーヴァルト?」の直前の休符をかなり長く取るやり方など、いずれも大変効果的な表現となっていた。

ティーレマン同様、洗練された現代風の演奏である。

ティーレマンほどには低音を強調しないけれども、そのぶんテンポの変化もティーレマンほどにはクセのあるものとはなっていない。

それでいて、「のっぺりした演奏」からは程遠い、ティーレマンにもひけを取らないほどの「ドラマ性」を感じさせる演奏だった。

 

 

しかし、である。

現代最高のヴァーグナー演奏の一つであったことは否定しないのだけれども、私のイメージするヴァーグナー像とは少し違ったのも、また事実である。

神経質なまでにこだわった表現がよく似あうマーラーとは違い、ヴァーグナーでは、もう少し「19世紀的おおらかさ」というか、どっしりと構えたスケールの大きさが欲しいのである。

ペトレンコは、ティーレマンほど極端なテンポ変化はないにしても、例えば「わが名はジークムント!」の箇所だとか、あるいは最後の最後「ヴェルズングの血よ!」のあとの後奏だとか、こういったところで急に速いテンポを採ってしまう。

私の感覚からすると、スマートすぎてどうも「軽い」のだ。

 

 

「ヴァルキューレ」において私の好きな録音の

 

●フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル 1954年セッション盤(CD

●ブーレーズ指揮バイロイト祝祭管 1980年バイロイトライヴ盤(DVDApple Music

●シモーネ・ヤング指揮ハンブルク州立歌劇場管 2008年3月12-19日ハンブルクライヴ盤(NMLApple Music

 

などは、いずれもそんなに簡単にはテンポを変えない。

テンポの設定に、ある種の「厳しさ」がある。

特に、フルトヴェングラー盤の迫力はものすごく、テンポを少しずつ慎重に変えるために「重み」があって、いざ加速したときの勢いがすごい。

先ほど取り上げた「ヴェルズングの血よ!」のあとの後奏でも、厳しいテンポでじりじりと緊張感を高めていったのち、最後の一音でその緊張を一気に爆発的に解放させる。

フルトヴェングラーは鈍重と思われがちだが、決してそうではなく、この最後の一音など、これほどキレのある、奏者全員の息がぴったりそろったすさまじいフォルテ(強音)を、私は他に聴いたことがない。

いったいフルトヴェングラーは、分かりにくいことで有名な彼の独特な指揮法で、どうやってこの音を合わせたのだろうか。

ともかくも、この「ヴァルキューレ」という悲劇的な大叙事詩を余すところなく表現しつくした録音は、これより後にも先にも存在しないと私は思う。

 

 

ブーレーズ盤では、フルトヴェングラー盤で聴かれたような分厚さ、ドイツらしさは一掃され、きわめてクリアな演奏となっている。

演奏当時は、「軽い」と言われたこともあったかもしれない。

それでも、今回の演奏などと比べるとずっと重みがあるし、スケールが大きい。

ヤング盤は、フルトヴェングラー盤やブーレーズ盤に比べると、よほどすっきり洗練されていて現代風である。

しかし、上記2盤同様、テンポ設定には厳しさがあるし、音の出し方もいかにもドイツ風で味わい深い(特に低弦の扱い)。

これら3種の録音はそれぞれ性質の異なる三者三様の演奏だけれど(録音年代もそれぞれ離れている)、雄大な表現という意味では共通している。

ペトレンコの「ヴァルキューレ」は、残念ながらその点でやや物足りなかった。

 

 

また、今回の3役の中では、やはりフォークトが素晴らしく、彼特有のリリックな軽めの声質で、音程はかなり正確、表情付けも細部までこだわられており、新時代のヴァーグナー・テノール、と言ってもいいのかもしれない。

ペトレンコの音楽性とも相性が良い印象だった。

しかし、ローエングリンやヴァルターはともかく、ジークムントについては、不幸な英雄を想起させるような、悲劇的な声が欲しい。

どうしても、フルトヴェングラー盤におけるルートヴィヒ・ズートハウスや、ブーレーズ盤におけるペーター・ホフマンが、懐かしくなってしまうのだった。

 

 

つい色々と書いてしまったが、素晴らしい演奏であったことに異論はない。

特に前半のマーラーについては、「人工美」とでも言いたいような彼のこだわりの表現が曲にマッチした、文句ない名演だった。

ペトレンコ、今後も注目していきたい指揮者である。

 

 


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