クレア・フアンチ ピアノコンサート
千葉公演
【日時】
2017年9月30日(土) 開演 14:30 (開場 14:00)
【会場】
多古町コミュニティプラザ 文化ホール (千葉県)
【演奏】
ピアノ:クレア・フアンチ
【プログラム】
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
ショパン:2つのノクターン op.27 (第7番 嬰ハ短調、第8番 変ニ長調)
スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第2番 「幻想ソナタ」 嬰ト短調 op.19
ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 op.22
ショパン:ノクターン 第2番 変ホ長調 op.9-2
ショパン:ノクターン 第13番 ハ短調 op.48-1
ショパン:ポロネーズ 第7番 「幻想」 変イ長調 op.61
※アンコール
プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」からの10の小品 op.75 より 第6曲 「モンタギュー家とキャピュレット家」
グリーグ:抒情小曲集 第8集 op.65 より 第6曲 「トロルドハウゲンの婚礼の日」
映画音楽 「アメリ」 より
モーツァルト/ファジル・サイ:トルコ行進曲
クレア・フアンチのリサイタルを再び聴きに行った(1回目のリサイタルの記事はこちら)。
何というか、色々と勉強になる演奏会だった。
まず、今回のホールは、千葉県多古町という、東京駅から高速バスで2時間弱のところにあった。
気軽に行けるロケーションではないが、立派なホールだった。
それに、このような演奏会を企画してくれるだけでもありがたい。
ただ、残念ながらここのピアノの質は、3日前に名古屋で聴いたピアノとは、比較にならないものだった。
名古屋ではスタインウェイ、今回はヤマハのピアノだったのだが、そういうメーカーの違いによるものというわけではなさそうである。
というのも、フアンチ自身による2006年浜コンでのライヴCDや、2010年ショパンコンクールでのライヴ動画では、ともにヤマハが使用されているけれども、音はスタインウェイに遜色ないからである。
おそらくはメーカーの問題ではなく、個々のピアノの問題だろう。
今回のピアノは、弱音は艶消ししたような地味な音、強音は詰まったような硬い音で、特にプログラムの前半の曲は名古屋と同じ曲目だったのもあって、音の違いに愕然としてしまった。
やはり楽器は大事であるという、おそらく演奏家の方々にとっては当然のことを、思い知らされた。
他の楽器と違って容易には持ち運びできず、普段弾き慣れない楽器を弾くしかないピアニストの方々のご苦労は、推して知るべし、である。
しかし、それでもフアンチの演奏はやはりすごかった。
このようなピアノから、どうにか美しい音を引き出していた。
ピアノの弾きにくさも、ほとんど感じさせない演奏だった。
ほんのときどき、弾きづらいのかなと感じる部分もあった。
例えば、スクリャービンの第1楽章、再現部冒頭のクライマックスにおけるフェルマータ直前の三連符は、名古屋公演では最強音から少しだけディミヌエンド(だんだん弱く)して、幻想的で美しい効果をもたらしていたのだったが、今回は3音ともがっつりフォルテ(強音)で弾いていて、余裕のある美しいフォルテの出しにくい楽器だからかな、と思ったりした。
しかし、そのような箇所は決して多くはなく、例えば同じスクリャービンの第2楽章など、かなり楽器を選びそうな難曲だと思うのだが、全く問題のない名演を聴かせてくれた。
今回はペダルが見やすい座席に着いたのだが、無窮動的な動きをするこの楽章、多少はペダルでつなげたくなりそうなものを、各小節一拍目に少し踏むだけで後の拍はペダルなしで通すことで、左手のオクターヴによるスタッカートの躍動感をしっかりと活かしつつ、右手であれほど自在で軽やかな指の動き、滑らかで生き生きとした音楽の流れを実現していたのには、驚愕させられた(もちろん、小節によってはペダルをもっと踏んでいたけれど)。
そして、後半のプログラム。
前半と違って、後半は名古屋公演では演奏されなかった曲ばかりだった。
後半最初の「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」、この曲の録音では、私は
●クレア・フアンチ 2010年ショパンコンクールライヴ動画(こちら)
がもう「これしかない!」というほど大好きで、この演奏のおかげでこの曲の魅力を知ったと言ってもいい。
今回の演奏会も、この曲を聴きに来たようなものである。
演奏は、期待通りの素晴らしさだった。
「アンダンテ・スピアナート」は、あまり抑揚をつけず流すように茫々と弾く演奏が多いように思うが、フアンチが弾くと一音一音が実によくコントロールされ、抑揚がくっきりと美しくつけられて、まるで「歌って」いるかのように聴こえる。
いったん音を出したらあとは減衰するしかないピアノという楽器で、「歌わせる」というのはいったいどういうことなのかということの、一つの好例だと思う。
メロディの頂点(再高音)へ向けて豊かにクレッシェンド(だんだん強く)していき、いざ頂点ではむしろふっと力を抜いて繊細きわまりない音を出す。
こういった歌わせ方が、彼女は抜群にうまい。
今回の実演でも、このような彼女のセンスが心ゆくまで味わえた。
そしてさらに、動画では気づきにくかったこと、例えば左手のアルペッジョ(分散和音)で主和音から減七の和音に移るときだとか、あるいは夢心地の主要主題から少し落ち着きのある副主題に移るときなんかに、彼女がいかに絶妙に音の色彩を変化させるかということにも、気づくことができた。
会場の空気までがらっと変えてしまわんばかりである。
いったいどうすれば、このように音色を自在に操ることができるのだろうか?
そして、その後の「華麗なる大ポロネーズ」では、上記動画よりもいっそう生き生きとしたテンポで奏され、彼女の両手は活きのいい魚のようにぴちぴちと自在に鍵盤の上を飛び跳ねていく。
楽器の問題を忘れさせるほどの、最高の名演だった。
ノクターン第2番、13番は、私の好きな録音は
第2番
●コルトー 1949年11月4日セッション盤(NML)
●フアンチ 2016年セッション盤(NML/Apple Music)
第13番
●ポリーニ 1960年ショパンコンクールライヴ盤(NML/Apple Music)
●プーン 2015年ショパンコンクールライヴ動画(こちら)
あたりである。
第2番でのフアンチのテンポ・ルバート(テンポの揺らし)は、コルトーのべったりしたものとはまた違った、現代風のからっとしたさわやかなものだが、それでもコルトーに劣らぬロマン性にあふれている。
今回の実演では、上記セッション録音よりもさらに絶妙なルバートが聴かれ、夢のような演奏だった。
第13番では、特に再現部以降の堰を切ったような劇的な表現にかけては、上記ポリーニやプーンの演奏に勝るほどの迫力があった。
ところで、ノクターン第2番では左手のバスに一音ミスタッチがあったのだが、彼女はそのまま普通に弾き続けるのではなく、間違えた音からうまくルバートをかけて一時的にテンポを速め、足早に次のバスの音へと進んでいた。
そうすることで、間違った響きをできるだけ短くし、正しい響きへと早めに戻っていた。
同じ「間違える」にしても、ただ単にそのまま間違えっぱなしにするのではなく、工夫して少しでも違和感をなくす「うまい間違え方」というのがあるのか、と感心した。
最後は、「幻想ポロネーズ」。
この曲のCDでは、私はトリフォノフ盤やケイト・リウ盤が比較的好きなのだが、前者では音色が大変美しいけれども細部はところどころやや粗く、後者では細部の表現は極められているけれども少し神経質に過ぎる、という難点もないではない。
CDではないけれども、結局私は
●フアンチ 2010年ショパンコンクールライヴ動画(こちら)
が一番好きである(音質はやや硬めだけれど)。
細部に気を配りながらも全体として自然な流れを失わない彼女の演奏は、ショパンにぴったりだと思うのである。
今回の演奏でも、やはりそう感じた。
さらに、例えば序奏が終わった後の主部の第1主題において、右手はもちろんのこと、左手のバスの動きがいかにさりげなく、かつ美しく歌われているかということも、動画で聴くよりもずっとよく分かった。
アンコールでは観客の拍手に応えて、多彩なレパートリーから4曲も披露してくれた。
それでも拍手は鳴りやまず、最後は両手を合わせて「ごめんね」のポーズをしていたのが面白かった。
今回の演奏会では、楽器の重要性、ペダルの使い方、音色の変化、「うまい間違え方」など、色々なことが勉強になった。
そして、多古町への小旅行や、「See you next time!」と朗らかに言ってくれたサイン会でのフアンチなど、様々な事柄が相まって、私にとってはかけがえのない思い出となった。
いつか、彼女の「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」を、最高のピアノで聴いてみたいものである。
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