ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN ティーレマン ヴァーグナー 「ラインの黄金」 | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN
ホール・オペラ
ヴァーグナー:楽劇『ラインの黄金』
-舞台祝祭劇《ニーベルングの指環》序夜


【日時】

2016年11月20日(日) 16:00開演(15:20開場)

 

【会場】

サントリーホール 大ホール

 

【出演】
ヴォータン:ミヒャエル・フォッレ
フリッカ:藤村実穂子
フライア:レギーナ・ハングラー
アルベリッヒ:アルベルト・ドーメン
ミーメ:ゲアハルト・ジーゲル
ローゲ:クルト・シュトライト
ドンナー:アレハンドロ・マルコ=ブールメスター
フロー:タンセル・アクゼイべク
ファーゾルト:ステファン・ミリング
ファフナー:アイン・アンガー
ヴォークリンデ:クリスティアーネ・コール
ヴェルグンデ:サブリナ・ケーゲル
フロスヒルデ:シモーネ・シュレーダー
エルダ:クリスタ・マイヤー

指揮:クリスティアン・ティーレマン
管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン

舞台統括:デニー・クリエフ

 

【プログラム】

ヴァーグナー:「ラインの黄金」

 

 

 

 

 

この公演は、先日のウィーン国立歌劇場による「ヴァルキューレ」に比べ、大きな感銘を受けた。

その理由は、第一に、ホールにあると思う。

演奏会形式のため、オーケストラの音がホール中に響き渡るのだ。

東京文化会館のピットでは、響きが全く広がらず、ヴァーグナーもつの音楽のスケールが全く実現されていなかった。

そして、第二の理由は、指揮者にあると思う。

ティーレマンは、ヴァーグナーを振らせるとやはりうまい。

とはいってもティーレマンは、巷で言われているほど旧時代のスタイルではなく、むしろ例えば(当時としては洗練されていた)ブーレーズの「指環」などと比較しても、フレーズの表情付けなどさらに洗練されており、その点ではいかにも現代の指揮者らしい。

ぶわーっとした大音響で攻めたり、ごつごつした武骨なスタイルをみせたりすることなく、むしろ流麗なほどであり、古臭い感じはしなかった。

ラインの黄金が夜明けとともに姿を現すシーンなど、輝かしい大音響でくるかと思いきや意外とおとなしく、むしろもっと迫力のある表現でも良いのに、と感じたほど。

しかし、である。

現代的に洗練された彼の指揮だが、現代の他指揮者たちに比べてヴァーグナーに合っていると感じる瞬間も、やはり多々あった。

その理由はおそらく、比較的ゆったりとしたテンポ、大きなフレージング(ころころと表情を変えたり、急に音が飛び出したりといったことがなく、もっと大きな波で盛り上がったり収まったりする)、そして充実した低音部、といったところにあるのだろう。

低音に関していうと、チェロやコントラバスといった低弦、またチューバやヴァーグナーチューバ、トロンボーンといった低音部の金管楽器、これらがこれ見よがしではなく、自然に柔らかく強調され、大変充実した響きとなっていた。

こういった特徴は、例えばモーツァルトであれば重すぎるだろうし、面白みにも欠けるだろうが、ヴァーグナーにはとてもよく合うと思う。

この彼の特徴により、例えば第2場から第3場への転換、神々の天上の世界から地底のニーベルング族の世界へと下っていくところの音楽が、まるで地獄へでも下りていくかのように壮絶な響きをもった、恐ろしいまでの迫力で聴き手を圧倒するのである。

ここでは彼も、ここぞとばかりに大音響を発する。

しかし、ここは大音響を出しさえすれば迫力が出る、というわけでもない。

焦らず慌てず、少しずつ少しずつ迫力の頂点へと持っていく、その持って行き方、そしてまた、このときの低音が、自然に柔らかく、かつ地の底から湧き上がるように悠然かつ圧倒的な響きでもって奏されること、こういったことが必要なのである。

例えば、ヤノフスキ&ベルリン放送響のCDでは、非常にきびきびした演奏で充実し、音質もとても良く感動的なのだが、こういった劇的な箇所では、ティーレマンと比べるとやや物足りなく感じてしまう。

ティーレマンには、ドラマトゥルギーの表現への鋭い感性がある、といえるかもしれない。

そういった意味においては、彼は往年の巨匠たち、例えばかのフルトヴェングラーにも肉薄する点を、確かに持っているんだと思う。

他の面、例えばテンポ・ルバート(テンポを揺らすこと)に関しては、あまりに人工的、恣意的な感じがして、私にはあまり好きになれない場合が多いのだが。

ただ、ことこの「ラインの黄金」に関しては、その恣意的なルバートがほとんどなく、全編にわたって自然に感動できた。

 

なお、歌手に関していうと、粒ぞろいで皆すばらしかった。

ヴォータン役のフォッレは、大音声の出るタイプではないと感じたが、先日のウィーン国立歌劇場の公演におけるコニエチュニーなどと比べても、その落ち着いた声色はヴォータンによく合っていた。

フリッカ役の藤村実穂子も、こういった役柄において世界に名の通った大ベテランだし、CDでは他役で出演しているドーメンやアンガーも、今回の役でも大変充実した歌唱を聴かせてくれた。

こういった贅沢な配役によるヴァーグナーを日本にいながらにして聴けるなんて、嬉しい限りである。

 

オーケストラについては、やはり伝統あるシュターツカペレ・ドレスデンだけあって、コクのある味わい深い音色だった。

特に、男にとって女に勝る価値を持つものがないことをローゲが力説するシーン(「フライアの動機」といわれることもある)や、アルベリヒから指環を奪ったヴォータンのところに他の神々が集まってくるシーンでの、あまりにも美しい弦の音色は、「とろけそうな」という言葉が似あうほどのものであった。

木管楽器ももちろん美しかったし、金管楽器も、冒頭の前奏曲ではやや不安定な感じがしたが、その後は全編にわたって安定しており、充実した響きを聴かせてくれた。

全体的に、例えば先日聴いたバンベルク交響楽団や、あるいは日本のオーケストラと比べ、さらに上のレベルを行くオーケストラだと感じた。

ただ、ティーレマン指揮ウィーン国立歌劇場のCDを持っている身としては、ウィーンだったら弦・管ともにさらに美しかったかもしれないと思ってしまう瞬間もないではなかったが、まぁこれは贅沢というものだろう。

 

演出については(当公演は、演奏会形式ながらも、ちょっとした舞台・演出がされていた)、日本風の小さな舞台を用いた、やや抽象的な一風変わったものだった。

演出については私は全く詳しくないのだが、演奏会形式にもかかわらずこのように少しでも演技をしてくれるというだけで、私としては有り難く、歌唱の妨げとなるような妙な振り付けも特になく、十分である。

大蛇やガマガエルについては、まるで小学校の学芸会のようなシロモノだったが、まぁこれはご愛敬ということで。

 

全体的に、きわめて充実した現代随一のヴァーグナー公演であり、大変満足できた。

来年3月には、同じ「ラインの黄金」をびわ湖ホールで京響が演奏するらしい。

今回と比べてどうなるか、楽しみである。