![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180622/12/gmgwwmd0/57/42/j/o1078090114215611875.jpg?caw=800)
枠に入りきれなかったのが理由で2分割しております。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180622/12/gmgwwmd0/25/75/j/o0517036114215611881.jpg?caw=800)
貝島炭鉱の創業の地上大隈。
明治18年11月15日
大之浦鉱区を拡張し第4回目の独立経営を成す、最初の大之浦竪坑開削に着手する。
明治19年3月
深さ125尺度さにて3尺層に着炭する。
明治21年6月
上大隈村に大之浦第二坑の開削に着手。
明治22年5月26日
大之浦第二坑 竣工する。
明治26年9月
大之浦第二坑を第一大之浦坑とする。
明治30年8月
大之浦炭鉱の現状、
昇降、排水竪坑 1
人道、通風斜坑 2
明治32年4月
炭況悪化の為に4月に大之浦第二坑の採炭を中止する。
明治33年7月27日
大之浦及び桐野両炭鉱の排水用として大之浦竪坑の開削を開始する。
明治35年12月29日
菅牟田、桐野、前隈を大之浦炭鉱とする。
明治23年
大之浦開坑創業成功を確認し、厳島神社を建立された。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180622/12/gmgwwmd0/99/52/j/o1080072114215611890.jpg?caw=800)
貝島嘉蔵
貝島六太郎
園田角助
他 貝島文兵衛
桑野嘉三郎
岡藤美之助
原田勝太郎
区長 本松伝平
の写真は 発見できなかった。
その他 この上大隈地区を歩き 調査を行ったが露天坑が広大な為にほとんど残るものはないのではないかと思いながら歩いた。
とりあえず 気になっていた厳島神社の境内や周辺を歩く
、
厳島神社も露天坑内の高台にあったのだが現在の位置に
移されている。
それ以前は 鳥居の前方に大きなホッパーのような施設と境内に伸びる軌道 そして 建物などがあったと思っていた。
ホッパーのような施設は 充填ホッパーであった。
軌道は 充填鉄道軌道で充填専用坑に分岐していた事がわかった。
境内と少し離れた場所の建物は 旧竪坑、新竪坑であった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180622/12/gmgwwmd0/54/f5/j/o1080060714215611902.jpg?caw=800)
こちらは 新竪坑を塞いだ跡。
塞ぐ前は 深い竪坑が口を開けていたようだ。
塞いだ後もジワジワと下がっているとの事です…
現厳島神社位置から やはり 軌道が伸びていたらしい、
しかし 現在は この隧道は ない。
そして、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180622/12/gmgwwmd0/42/6f/j/o1080072114215611907.jpg?caw=800)
上大隈の炭鉱住宅があった場所に足を運ぶ こちらには 2棟の長屋が残っていた。
すでに 空き家となり、もうすぐ 解体なのかと危惧される。
新町、大和町の方は 廃屋が残るのみとなり 炭鉱の面影も薄くなりつつある。
高台から北側を見下ろせば 広く広がる露天坑が見える、
工事重機の轟音が響き 今後 あの広大な露天坑もどうなるのだろうか…
中央露天 中央地区 起工式。
昭和44年6月
中央露天西部地区採炭開始。
昭和46年9月
第三西部露天出炭開始。
昭和47年9月
中央露天第二西部を起工。
昭和48年11月
大之浦炭鉱 採炭中止 坑内採炭中止。
昭和51年8月 閉山。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180622/12/gmgwwmd0/10/26/j/o1080072114215611910.jpg?caw=800)
この山ノ神には 現在も参拝する方も多く 境内も綺麗に管理されている。
ここに来れば 嘗て この地が貝島炭鉱で繁栄していた事を強く感じる事ができる。
福岡県 宮若市 上大隈 第一大之浦炭鉱の動画
↓