続編、
排気坑の所に戻り見たい所があるので敷地内の企業に許可をいただきに行く。
社長さんが、
「全部がうちの土地やないんよ」
「結構な人が見に来にきよるよ」
との事。
「荒らしたりせんかったらよかやろ」
では 拝見させていただきます。
ここも 当時のままで残っているものが多く この柵などもそのままである、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120829/10/gmgwwmd0/15/7b/j/o0640048012160941784.jpg?caw=800)
反対側から、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120829/10/gmgwwmd0/be/77/j/o0640048012160941975.jpg?caw=800)
驚く事に坑口の扁額の跡形も残っている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140420/02/gmgwwmd0/b7/8a/p/o0551048012914091970.png?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130809/22/gmgwwmd0/a3/b0/j/o0479064012641048011.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20130809/22/gmgwwmd0/b7/e8/j/o0640047912641051477.jpg?caw=800)
(直方石炭記念館 所蔵)
扁額に漆生坑と書かれているのが気になる、
少し調べると、
昭和36年11月、
山野 炭鉱 坑口と設備一切を襲用し(株)漆生 鉱業所 第一漆生 炭鉱として操業を開始。
昭和38年6月10日、
坑口の使用の許可を得る。
(杉谷本卸、連卸、漆生排気坑)
(漆生 鉱業所 炭鉱資料から)
なるほど…
そして 西側、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140420/02/gmgwwmd0/f4/83/j/o0720047312914091773.jpg?caw=800)
(直方石炭記念館 所蔵)
選炭場らしき建物が昭和40年代の航空写真で確認できる。
このような選炭施設だったのだろうか?
現在は 坑口から選炭場があっただろう場所は、広大な空き地へとかわっている。
漆生地区には 新旧合わせて多くの遺構が残っていました。