とある男性看護師の備忘録
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手術前②「手紙」

感情を文字にしたのは、とりあえず今の自分の考えを吐き出すためにでした。しかし、感情はやはり伝えたくなるもので手術前夜に手紙として送りました。

父の感情や覚悟に水を注すのではないか、死亡フラグにならないか、色々な迷いはありました。

ただ万が一、手術中にもしものことがあったら気持ちを伝えなかったことをそれこそ後悔すると思い、手紙として送りました。面と向かって伝えるのはさすがに恥ずかしいし、たぶん泣いてしまうからやめました。

伝えたことは大まかに

・父への感謝、尊敬

・これまでの不敬の謝罪

・完治したら一緒にしたいこと

・生まれ変わっても父の子でありたい

・根拠はないけど手術はたぶん大丈夫


こんなの感じを便箋3枚くらいにしました。

自己満足ですが送って良かったと思っています。


当然、読んだ場面に私はいませんでしたが後から聞いた話では母と一緒に読んだそうです。病室で2人で泣いたそうです。父もあまり感情を出すタイプの人では無かったので、良かったのではないかと思います。


手術当日、手術室に向かう前に「手紙、ありがとう。頑張ってみるよ」と父は言うのでした。

手術前①「感情」

告知から手術までは1週間もありませんでした。

まだ50代の父は、医療的に言ったら若い部類。癌の進行だって早い。手術も出来るだけ早くやった方がいいに決まってます。

ただ心の準備は追いつくはずもありません。

手術は最短でも10時間前後、予後だって良いとは限らない。術中だって何が起こるか分からない。最悪の事態だって……。私のいつものプラス思考はこんな時に機能しない。できたのは人前・家族の前ではそれを出さないこと。誰かは冷静で無ければ、家族や周りに動揺が広がってしまう。父も同じ気持ちだったようで色々な手続き、連絡は1〜2日であらかた済ませていた。父はメンタル面が弱い母を気遣い、明るく振る舞っていたが側から見るとその笑い顔が悲しそうでいたたまれない。妹は当時、東京の病院に就職したばかりで帰ってこられそうになかった。家族内での重い空気感は変わらなく押し潰されそうになりながら過ごしました。家に帰って連日、悲しい感情を露わにする母親に内心イラついていました。もういろんな感情がグチャグチャで崩壊しそうでした。

そんな時、感情を吐き出すために文字にすることを思い付きました。

告知

前回から1年以上ぶりに投稿します。

昨年、急に色々書き出したら頭の整理が追いつかなくなり一旦休止しました。


改めて「告知」

今回は父が病気を告知されるところですが私は告知の日に説明の場にはいませんでした。何でかは思い出せませんが、前回入院の時は夜勤明けで一睡もせず付き添ったので気を使ってくれたのだと思いました。入院から数日後、検査結果が出たため病院から病状説明があると呼び出されました。母は「私1人でも大丈夫でしょう」と謎の自信を持ってました。私が癌の可能性を伝えなかったのがいけなかったのだと今にしてみれば思います。(一緒に行っとけば……少し後悔)
夕方くらいに母から電話があり「お父さん、膵臓癌だって……」「手術が必要だって……」。いろいろ説明はされたようだが断片的にしか理解できていないようだった。すぐに病院に行くと2人とも酷く落ち込んだ様子だった。元気な父は微笑んでいたが無理矢理なのが痛々しく感じた。私だってショックなことに変わりありませんが落ち込む人が加わっても何にもなりません。
「まだ手術できる状態なんだろ。治療できるんだから」と無理やり前向きにもっていった。でもこれは自分にもいい聞かせる意味で言った。膵臓癌なんて見つかったときにはすでに進行していることが多いと聞く。まだ治療の余地があるのは希望がある、と無理やり前を向こうとした。
2日後に改めて手術の説明を本人、母、自分、父方祖父、母方祖母で聞いた。予定としては翌週の火曜日には手術になるとのことだった。今のところステージⅡ、手術可能だが転移の可能性はある。行う手術は「膵頭十二指腸切除術」。膵臓癌の手術としてはメジャーだが予後不良になることもある。手術をしても5年生存率は20〜40%。手術時間は10時間以上。主治医のI先生は淡々と説明をしていた。無愛想な先生だったがこちらの質問に丁寧に答えてくれた。母は怖い先生と言っていたが、私と祖母は真面目な先生という印象だった。
当時の私は入職から3年目、整形外科しか経験してなかったので初めて聞くようなことばかりだった。
とりあえずこの辺まで。

次回「手術前夜」近いうちに投稿します。
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