受診→即入院
前回、隣の市立病院へ紹介になったところからです。
この時点でまだ、癌の可能性を考えていませんでした。父は「1人で行けるから大丈夫」と。その時点では具合が悪いわけではなく、単に全身が黄色くなっているだけなので普通に運転していきました。自分は夜勤明け、母はパート、妹は東京なので煩わせるのも嫌だったのでしょう。しかし、私がいざ仕事を終え帰ろうとしていると父から電話が入り、「なんかすぐ入院して検査って言われた。疲れてるとこ悪いけど手続きとか荷物とかお願いする」と言うのだった。ここで初めて癌が頭を過った。毎日、欠かさず酒を呑んでいる父だ。いくら年齢の割に体力があっても仕方ないかと考えていた。母は仕事が抜けられず、夕方にならないと来られないという。病院に行くと既に父は病衣に着替えて病室に通されていた。いつもは自分が説明しているような入院説明を家族の立場で聞く。不思議な感じだった。「息子も看護師なんでざっとでいいですよ」と話を切ろうとする父。内心ドキドキしていたのかあまり落ち着かない様子だった。夕方に内視鏡で処置を行うということで空いた時間で洗面用具などを揃えに近くのドラッグストアに行った。家に帰るのは些か面倒な距離だからだ。どうせまだ飯も食わないだろうと思い、最低限の物だけを買った。
処置の時間になり、父は独歩で内視鏡室に入っていった。なんとも見たことのない不安げな表情の父。励ましのつもりで笑顔で声をかけたが私だって不安だった。廊下の長椅子で待っていると市立病院に勤める父のいとこがやってきた。会うのも久しぶりで一瞬誰だか分からなかったが私を見るや手を握り「大丈夫だからな」と言い、一緒に待ってくれた。別にいいのにとも思ったが、1人よりは良かった。
内視鏡室から出てきた父の鼻からは管が出ていた。胆管チューブだ。胆道が狭窄?閉塞?していたのでチューブを通して、胆汁を体外に出している。整形外科しか経験していない当時の私は初めて見る代物だった。
とにかく、溜まっていた胆汁が抜けたことで黄疸は徐々に薄くなっていった。(ひと安心)
先生からは「これは一時的な処置です。原因の根本治療ではありません」と釘を刺された。
一通り検査は終わったが結果が全て出揃う明日、改めて説明を行うということになりました。病室にもどり間も無くして母も到着し、消灯くらいまで3人で話をした。何を話したかは思い出せないがとにかく父の不安を払拭するために楽しい話をした。
消灯時間近くに担当看護師がやってきて「寝てる間に抜かないようにこれ着けますね」と医療・介護用のミトンを出した。よく認知症やせん妄の患者にはつけていたが50代の父にも着けるんだ、と内心驚きました。
「親父は寝相悪いし、抜けたら大変だから」と冷静に看護師の立場で言いました。ミトンを着けられた父の姿はドラえもんのようでなんとも滑稽でした。
「じゃ、また明日ね」とこの日は病院を後にしました。
入院日だけでも書くと長いですね。
次回、告知。
身体の異変
異変に気付いた日、4月の土曜日だった。父は日中稲の種まきをしていた。
私が仕事から帰ると父の顔が黄色かった。日焼けではない。見ると全身が黄色かった。明らかな黄疸だった。しかし、この時私は重く捉えなかった。胆嚢炎か胆石、膵炎くらいだろうと考えた。酒を控えて、週明け病院に行くように言った。しかし、翌日母方の実家を訪ねた際祖母が「悠長なこと言って大病だったらどうする」とすぐ受診を勧めたという。
受診したのは休日診療当番になっていた60代くらいの先生のやっている市内医院だった。普段はほとんど漢方しか出さない医者で行くこともなかった。
先生は問診、触診するや手早く腹部エコーをしてくれたらしいです。そこで言われたのは「ここでは詳しく診れない。紹介状を書くから明日1番に大きな病院に行きなさい。」だったらしい。「県立病院か隣の市立病院どっちがいい」と聞かれ、父は「隣の市立病院でお願いします」と。私が住んでいた市には公立病院がなく、隣の市に行くしかありません。県立病院はさらに遠いため、どちらかと言えば市立病院の方が近場だったのが理由でした。また、市立病院には父のいとこが看護師として勤めているので何かあればお願いできると考えていたようです。
ちなみに後から知ったこと。最初に診てもらった先生は元々県立病院の内科医で化学療法等にも関わっていた方でした。市内では数少ない往診もしてくれる素晴らしい先生でした。
入院は次回。
早期発見に至った要因
1.分かりやすい黄疸
膵癌では進行するまで無症状のことが多く、父も黄疸以外は何も症状がありませんでした。症状が出た頃には手遅れであることが多いのは有名です。
2.母方の祖母
私が週明けくらいでいいかと甘く考えていたのに対し、祖母は即受診を勧めました。祖母が勧めてくれなければ混雑する平日に受診し、市立病院にたどり着くのも、さらに遅れていたでしょう。経験って大事。
3.隠れた名医
たまたま当番医だった先生が癌治療の経験のある医者だったこと。エコーひとつにしても経験がなければ、異変を感じ取ることはできません。黄疸が出ているとはいえ、専門外の医者では病気を仮定することができません。的確に見立てて紹介してくれた先生に感謝です。
家族構成
田舎の3世代同居の6人暮らし。裕福ではないものの家庭環境は概ね良好。
【私】地元の総合病院に勤める看護師。父が病気になった当時は整形外科、再発した年に内科病棟に異動。
長男。実家暮らし。独身
【父】
工業系の会社員。兼業農家。優しく子煩悩。
DIYから料理までこなし、器用。
子育てがひと段落した頃にマラソンを始めた健康体。50代でフルマラソンを4時間台で走り、東京マラソンにも二度出場。私の友人曰く鉄人。
【母】
パート勤務。几帳面、小心者。
田舎の雰囲気は好きだが、農業・生き物が苦手。
父と時を同じくしてマラソンを始めるがハーフマラソンが限界。LIVEに行ったり日常を楽しんでいる。
父が発病後やたら神経質になり、マイナス思考。
【妹】
東京の総合病院に勤める看護師。2つ下。
発病当時入職したばかり、再発後に地元に戻ってくる。ファザコン気味のため、多分一番ショックだったのだと思われる。
【祖父】
農業。怒りっぽく、父とは正反対の性格だが小心者。
息子たる父の癌にあまり向き合おうとしない。
辛いのか非協力的だった。
自身も前立腺癌で治療を経験。
【祖母】
祖父同様、父の癌に対して向き合おうとしない。
普段から自分で考えようとはせず、祖父の意見が第一。
高血圧等持病が多々ある。
【母方祖父】
同市内に在住。父方の祖父母よりも10歳以上も高齢。
読書や新聞をよく読んでいる。元公務員。
認知症はないが耳が遠く、補聴器はつけようとしない。自分の考えを曲げない頑固者。
自身も前立腺癌で通院中。
【母方祖母】
元保健師。耳が遠い祖父と会話が成り立たないことに日常からストレスを感じている。
祖父母の中では1番父の癌を理解して、周りを心配している。話を聞いてフォローしてくれる。良き理解者。
自身は股関節が悪く、手術している。