プロローグ
私が看護師3年目の春、父が膵臓癌になりました。
最初は現実とは思えませんでした。幸いにも手術可能でしたが、予後が不良なことは当時整形外科にいた私でも知っていました。
父は手術を乗り越え、回復しましたが手術から2年が経とうとしていた矢先に再発。再発から約1年半で自宅で息を引き取りました。約3年の闘病でした。
在宅看取りは理想的ですがかなり勇気のいるものです。家族背景や住宅環境にも左右されます。私個人としては結果として良かったと思っています。
このブログは記憶を整理する目的で書きますが、同じような経験をしている方と共有できれば幸いです。
新人研修
震災の影響はあったものの国家試験の合格通知が届き、手続きも問題なく行えました。入職も予定通り行われました。入職した病院は被害なかったものの患者受け入れなどでまだ少し混乱していました。
例年通りの新人研修に加え、私たち新卒看護師は一週間の避難所奉仕活動を行うことになりました。
物資の整理や配給、傾聴など医療者としてではなく、企業の新人としてです。
看護師の国家資格はあるのに経験がないから何もできないしわからない。生意気にもフラストレーションを感じだのでしょう。この頃に災害看護への興味が漠然と芽生えました。そんな研修でした。
看護学校卒業、そして震災
実習の辛さを考えれば、国家試験の勉強はある意味単純でした。覚えることをしっかり覚えればいいんですから。(←今だから言えますが当時は必死でした。)
試験結果が出る前に卒業式、自己採点では合格圏内だったので笑って卒業できました。
卒業式の2日後東日本大震災が発生、春休みはなくなりました。私の住んでいる実家は山の中ですが関係なく停電。ただ、家が農家で良かったと強く思いました。小屋に薪ストーブがあるのでお湯を沸かして寒さは凌げました。米は1年分あり鶏もいる。物流が止まっても大丈夫でした。
しかし電気が復旧して映ったテレビには目を覆いたくなる惨状があり ました。前の月に国家試験を受けたみやぎ夢メッセも津波に浸かっていました。
春休みはガソリンスタンドに並び、借りて見たけいおんでアニオタへの道を歩み始めた。そんな記憶です。