昭和46年7月の大井川鉄道② | なつかしの鉄道写真館

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昭和40年代の全国の蒸気機関車・路面電車・トロリーバスから最近の復活蒸機まで、「懐かしさ」をテーマに鉄道写真をUPしています。

大井川鉄道の千頭からトロッコ列車に乗り換える井川線。もともとは中部電力のダム建設工事用に敷設された専用鉄道(現在も所有者と運営委託者は中部電力)で、軌間は大井川本線と同じ1067mmながらトンネル等の建築限界は軽便鉄道並みに小さく、さらに平成になってからはダムの新設のために途中区間が新線に移り信越本線旧線の碓氷峠越え以来のアプト式になったことでも有名です。

これからご紹介する写真は、アプト式になる遥か前の井川線の模様です。

①昭和46年7月 井川線 千頭-川根両国 山を下りて来る姿
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②昭和46年7月 井川線 川根両国駅
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③昭和46年7月 井川線 川根両国機関区 珍しいロッド式DL この当時は大小さまざまなDLが使われていましたが、現在はアプト式に対応できる1形式に統一されているようです。
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④昭和46年7月 井川線 川根両国機関区 山を登る列車 車体幅に比較して軌間の広さが目立ちます。なおこの当時は先頭にDLが付きましたが、アプト式に変わってからはDLは常に麓の千頭側となり、井川側には制御客車を配しての山登りは推進運転になりました。
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⑤昭和46年7月 井川線 尾盛-閑蔵 日本で最も高い鉄道橋の「関の沢橋梁」 川底からの高さは70.8mで、因みに高いという印象の山陰本線の余部橋梁は41.45mです。
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⑥昭和46年7月 井川線 尾盛-閑蔵 関の沢橋梁 現在でも橋梁の上で観光停車をすることはあるそうですが、この時はなんと鉄道友の会の貸切によるサービスで乗客を橋梁上で降ろしての大撮影会の実施。現在はこのような所で降りることはできず、車内または対岸からの俯瞰撮影のみで、さらに無蓋貨車もつながっている大変貴重なカットとなっております(笑)。
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次回は、路面電車シリーズに戻って「玉電(東急玉川線)①」の予定です。