玉電(東急玉川線)① | なつかしの鉄道写真館

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昭和40年代の全国の蒸気機関車・路面電車・トロリーバスから最近の復活蒸機まで、「懐かしさ」をテーマに鉄道写真をUPしています。

東京の渋谷と二子玉川を結んでいる国道246号線のほぼ上を、路面電車の玉電(東急玉川線)が走っていました。系統は、渋谷-三軒茶屋-二子玉川園の「玉川線」と、終点の二子玉川園から単線で多摩川に沿って北上する二子玉川-砧本村の「砧線」、そして玉川線の途中の三軒茶屋から分かれて今でも残る三軒茶屋-下高井戸の「下高井戸線(現:世田谷線)」の3つです。

この玉電、元々は多摩川の川砂や砂利を建築資材用に採取し都内に運搬する目的で開設されたもので、その後に二子玉川に遊園地の二子玉川園がOPENして沿線に商店や住宅が広がったそうです。

昭和44年5月10日、東急玉川線とほぼ同じルートの地下を走る東急田園都市線の渋谷-二子玉川の着工ならびに、国道246号上の高架を行く東名につながる首都高3号渋谷線の着工のために、下高井戸線(現:世田谷線)を除いて廃止となりました。

今回は、廃止の4ケ月前の東急玉川線の様子です。

①昭和44年1月 玉川線 渋谷駅 国鉄渋谷駅から連絡通路でつながっていました。ペコちゃんの愛称で呼ばれていた200系。この頃の路面電車は単行が普通でしたが、玉電は連接車両や2両連結での運行がありました。
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②昭和44年1月 玉川線
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③昭和44年1月 玉川線 
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④昭和44年1月 玉川線 大橋車庫前
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⑤昭和44年1月 玉電 大橋車庫 現在は首都高の大橋JCTになっています
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⑥昭和44年1月 玉電 大橋車庫 2両連結車を外してジャッキアップしての点検
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⑦昭和44年1月 玉川線 大橋車庫 古豪の面構え ジャンパ栓やブレーキ管が付いており、単行も連結での総括制御も可能なことが分かります。大阪・京都・名古屋・横浜・都電の路面電車には無い珍しい装備です。
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⑧昭和44年1月 玉川線 大橋車庫 草軽電気鉄道の軽便ELを彷彿させる立ち気味の無骨なピューゲル(草軽は真下からの突き上げ式)
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⑨昭和44年1月 玉川線 三軒茶屋 分岐を左は二子玉川行、右は下高井戸行。現在は右奥の三軒茶屋から専用軌道で下高井戸へ行っています。
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⑩昭和44年1月 玉川線 中里~上馬の国道246号線沿いの専用軌道区間。廃止後に道路拡張されました。
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釜石線のSL銀河を撮影に行くため、コメントへの返信が遅れますのでご了承ください。