浜松に越した時だった・・
「いいか、今までみたいに仕事場に近くないからな。
これからはお前が子供達の朝飯をつくるんだぞ、いいな。」
それまでは朝食の用意から始まった私の毎日であったが・・
生活環境が変わるのを機に少し、楽な人生を目論んだ。
しかし「やはり」と言うべきか、それはあまりに淡い期待であった。

小学校二年になった長女と年子の長男を起こした。
「早く起きないと学校に送れるぞ。
     父ちゃんはもう仕事に行くからな・・。」
そう言うと長女は弟の方を向いたまま涙ぐみながら
「お父ちゃん、やっぱり朝ごはん食べてから学校行きたい!」

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「そんならいいやぁ」
「そうだね」
「お母ちゃん、どんなとこに住むんだろ・・」
子供達の反応は意外ではなかった・・・。
しかし先ずはホッと胸を撫でおろした。

通代(みちよ)は母親としては失格であった。
第一子である長女が産まれても母性が持てず・・
一歳を過ぎるまでただの一度も
赤ん坊を風呂に入れる事もしなかった。
後に夫婦で言い争いになったなると・・よく私はこの事を持ち出した。

「大体お前は愛代(まなよ)が産まれてから一歳をすぎるまで、
ただの一度も風呂にも入れなかったじゃあないか。いつもいつも
俺がどんなに遅く帰って来てもそれから・・風呂にいれてやったんだ!」

「ああもう!そんなん言われるんだったら一回ぐらい
                   入れとくんだったわぁ!」    
そんなやりとりがよくあった・・。

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一歳になったばかりの末娘を抱き上げながら
「お母ちゃんな、この家を出て行くらしいぞ」
そう子供達に事実のままに伝えた。
そうしようという事だけは決めていた事だが
一人々々の顔を見る事は出来ず・・
わけもわからずはしゃぐ末娘をあやすフリをした・・。
「えっじゃあもう・・お母ちゃんと会えなくなるの!?」
と次男坊が反応した。
一瞬七人の子供の眼が・・末娘を高く抱き上げる私の横顔に
つきささった。
「そんなわけはないよ。会いたい時には会いに行けばいいし・・
      お母ちゃんがいいっていうなら泊まりに行けばいいさ」
極々日常の会話の様に普通にこたえた。

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その年の桜もまた綺麗だった・・。
いや・・ただ格別に忘れられぬ桜となったからそう想うのかも
知れない。
すべてはあの日から始まったのだから・・・

「私、出て行こうと思うんだけどいいかな・・」
後部座席ではしゃぐ子供達の声をかきわけるように耳にとびこんで来た・・
「出て行くって・・子供達はどうするんだよ」
動揺をはっきり認識する前に即座に投げ返した。
「子供はみんな置いて行こうと思うの」
窓の外を走る桜並木をじっと見つめながら妻が言った・・
「そうか・・・そうだろうな」
努めて感情を押し殺しながらそう答えるのが
精一杯だった・・。
今の自分はどんな顔をしているのだろう・・
心の動揺を抑え、自分の自尊心を守るべく
冷静に会話を続けよう・・そう考えながらハンドルを
握る手に力がギュッと力が入った。
・・・・・三十代半ばで向かえる人生の転機であった。

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