曖昧さの哲学 | 徒然なる備忘録〜リターンズ

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 私は普段ほとんど小説や映画といった物語の類を見てこなかった。今までに読んだ小説の数など、すべて思い出せるんじゃないか?といえる程度の数でしかないし、映画もジブリだとかあと話題作となってる作品をミーハー感覚で鑑賞したことくらいしかなかった。要はそこまで興味がなかったのである。それは同時にまだ必要としていなかった、ということでもあるだろう。
 
 大学時代になり、色々な経験をすることになった。詳しくは書くことができないが、この様々な経験を通して今までの自分の価値観やら世界観を木端微塵に吹き飛ばされた。手持ちの手札では対応できなくなってしまったのだ。アイデンティティの危機的な状況に立たされた私は、自己啓発本を読んだり、音楽にさらに没頭する(私はギターを弾く)ことによってかろうじて自分を保った。さらには、ある小説家に助けを求めた。村上春樹である。

 私は前述したとおり、ほとんど小説を読んでこなかった。国語の時間は退屈であったし、活字を読んでいる時間よりもゲームをしている時間の方がよっぽど有意義であったからだ。そんな私だから、
小説の良さとか、ましてや技巧面、文学界の権威、ノーベル文学賞がうんぬんだとか、そんなことは全く気にも留めなかった。とどめることはできなかった。それでも、そんな私にもなぜか響いたのだ。
 
 村上春樹を最初に読んだのは「海辺のカフカ」だ。まだ小説初心者といってもいい位の見識しかないので、どんな物語で何が主題なのか?といった話はすることができない。しかし、家に転がっていたその本を読んだとき不思議と「癒された」のだ。
 
 村上春樹の小説を取り巻いているのはなんともいえない「曖昧さ」である。どの物語にもはっきりとした起承転結がない。オチがない。劇的な展開がない。プロットに書き出してみれば恐ろしくつまらないような展開(それは言い過ぎかもしれないが)でしかないのだ。しかし、そこには独特の美的感覚がしっかりと息づいており、なんともいえない空気感が感じられる。その空気感にやられてしまった。
 また、村上春樹は音楽にとても詳しく、特にジャズに関しては特に造詣が深い。物語の中でも頻繁にジャズが流れる。ジャズに興味を持っている私にとっては二度おいしいのだ。(「意味がなければスイングはない」という音楽エッセイは最高に楽しい。シダーウォルトンが好きになる一冊)

 曖昧さ、の話に移るが、現実の世界というのは明確に「白と黒」で分けられる事柄が非常に少ないと感じている。勉強できれば正義?いいや、受験勉強は悪だ!色々な意見が飛び交う世の中だ。この白と黒で明確に分かつことができない部分にこそ、現実の世界の複雑さがある。
きれいごとをうたう物語は多い。正義は勝つ!努力は絶対実る!夢はかなう!といったメッセージは日夜色々な媒体を通して伝聞されているが、現実ではむしろ逆のことの方が多い。
水木しげるは「努力は裏切るものと心得よ」と説いた。そんなもんだ。努力である程度まではなんとかなる。しかし、本当に努力を重ねた先に見えてくるのは、自分より遥かに才能がある人物の存在だ。

 村上春樹はそのようなきれいごとを並べない。明確なメッセージを込めない。(いや、実際はこめているんだろうけど)そのような曖昧さが時として、現実を生きる我々に力をくれるのだ。
それはまるで夢の世界のように豊潤で美しいが、そこで謳われている哲学はどこまでも厭世的で現実的だ。

 まとまらなすぎわろた。思考のメモ