ブログ、始めました。 | 徒然なる備忘録〜リターンズ

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日々の暮らしのこと、思ったことなど を書いていきたいです

ブログというものを始めてみようと思う。
しかし、誰が見るわけでもない。また誰に見せるわけでもない。
そんな私が、何故始めようと思い立ったか。

 書くことは思考そのものである、という認識が最近自分の中で湧き起ってきた。
書くという行為は一見、頭で考えたことをそのまま表現する、というアウトプット的な行為であることは誰もが認めることであるだろうが、書くという行為そのものによって同時に「自分」というものが定義され直されるというインプット的な要素も担っている。この側面が非常に大切だ。
 
 そもそも、人が言う「自分」とはなんだろうか。人は自分の姿を鏡で見ることができる。しかし、それは光の屈折によって生み出された像を見ているにすぎず、ありのままの自分の姿を自分の目で見ることはできない。これと同じように、自分が「自分」だと思っているものは非常に曖昧だ。結局、自分とは他者の視線を通した自分でしかない。友人Aから、「君は活発な人だね」と言われればその人は「活発な人」なんだろう、しかし友人Bからは「コミュ障だね」と言われれば「コミュ障」というラベルが貼りなおされる。このように、自分の属性など人の数だけ無限にあるのだ。
 
 言いたいことがまとまらなくなってきた。何が言いたいかというと(もはや支離滅裂すぎてよくわからないが)この文章を書く、という行為を通して私は「自分」が何を考えているかを知る、そして「自分」というものを常に定義し直していくことを目指していく。いわば自分の思考そのものなのだ。
 
 人は「今何を考えていますか?」という質問にほとんど答えることはできない。なぜか。脳は省エネ気質で自動に操縦されるようにできているからである。つまり、日常の大抵の行動は自動化され勝手に行われるということだ。あなたは車をほぼ無意識に動かすことができる。服を意図せず着ることができる。それは脳の学習能力の賜物なのだ。それ故に、人は一日をほぼ無意識にでも動くことができる。新しい環境では脳はよく働くだろう。しかし、慣れた職場や環境では脳はほとんど動かない。
 そうしなければ脳は耐えられないからだ。だが、これは同時に無意識に日々を生きてしまうことに繋がっていく。書くことを「脳の排水作業」と呼ぶ人もいる。考えていることを小出しにしていくことで思考を固定化する、また実際に文章に起こすことで客観的にその文章をチェックすることができる。これは非常に大事なプロセスであると日々感じ始めている。
 
 人は「環境」や「言葉」に簡単にだまされる。「言葉」を変えることは特に大事だ。自分の発している言葉は自分に多大な影響を与える。自分も意識して言葉を変えていく必要があるだろう。

ともかく、この第一稿を終える。思考は続く。