SS『求め合う二つの魂・4』(GS美神)
サアァァァァァッ
予約してあった某最高級ホテルの一室。その豪華なシャワールームで、美神令子はシャワーを浴びていた。
脳裏に浮かぶ様々な思考を、整理しようと務めながら。
披露宴の後、数々の雑事を片付けた美神と横島は、仲間達や身内に冷やかされながら、予約してあったホテルへと向かった。
近付くにつれて言葉少なになった彼らは、いざ部屋に着いてもしばらくは目を合わせることすら出来ずにいた。
つい先程までは、皆のバカ騒ぎにげんなりしていたのでそうでもなかったが、二人きりになると今度はお互いを過剰に意識してしまったのである。
すれているようで意外に純情なところがあるという点で、実に似たもの同士の夫婦なのであった。
そう。夫婦、なのだ。
昨日までの数年に及ぶ関係とは、全く違った新しい絆。
ぎこちない遣り取りの後、まず横島がシャワーを浴びた。
バスローブに身を包んだ彼が出てきて、入れ替わりに美神が。
どうにも気恥ずかしくて彼の顔を見ることも出来ず、そのクセバスローブの下にある彼の体を想像して真っ赤になっていたのはご愛嬌。
そして───今に至る。
(知ってたつもりだったけど。ずいぶんたくましくなったわ、横島クン)
横島が変わり始めたのは……少なくともその変化が外面に現れだしたのは、彼が高校を卒業してからのことだった。
卒業式の後挨拶にやってきた彼に、共同経営者にならないかと誘いをかけてみたら、彼はひどく驚き慌てていた。
熱でもあるんじゃ、といって額に手を当てられたときには、彼女のほうが慌ててしまったものだ。それでもって彼女の顔が赤くなり、鈍感な彼が本当に熱があるものと勘違いするというお約束をやらかした後、ようやく彼女が本気で言っているのだと理解した彼は、本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
その笑顔に見とれている自分に気がついた時、己の内に彼に惹かれる気持ちが間違いなくあることを、彼女は初めて認めたのである。
以降、彼は変わり始めた。
共同責任者になった責任感からか、なんと美神の蔵書を暇さえあれば読み漁るようになった。早い話が、勉強を始めたのである。今までは、いくら彼女が知識の欠如を指摘してもちっとも取り組もうとしなかったのに。
少々意外だったので、熱でもあるんじゃないか、と、仕返しも兼ねてからかってやると、彼は予想に反し(きっとイジケルに違いないと思っていたのだが)、軽く苦笑してこう答えたのだ。
「せっかく美神さんが俺のこと一人前として認めてくれたんですから、いつまでもバカやってるわけにゃいかんでしょ?」
そしてワザとおどけてこう言った。
「少年はこうして大人になっていくのだ!!」
彼自身は、おそらく冗談以上のつもりでは無かったのだろう。それも、直後に顔を思いっきりしかめたところを見ると、自分でも満足の行く出来ではなかったらしい。
だが、その言葉は本人も戸惑うほどに強く美神の胸に響いた。
彼女が気づかぬうちに、かつては丁稚未満でしかなかった少年は、大人への階段を上りつつあったのだ。
また、そのころから彼は急激に強くなっていった。と言っても、数年の間は気づくことすらなかったのだが。
美神と彼が二人がかりでかからなければならないほどの仕事はほとんどなく、業務効率を上げる為、たいていは他の三人のうち誰かと美神(あるいは横島)という組み合わせで出るといった具合だったし、たまに舞い込む手強い依頼には事務所の全員で向かい、その時の彼はサポート役に徹していたからだ。
誰よりも側にいた彼女だけが、彼の成長を知らずにいた。
そのことを教えてくれたのは、母、美智恵である。
たまたまその日は夕方以降の仕事が無く早めに帰宅した美神をふらりと尋ねてきた彼女は、意味ありげな目をして娘を外出に誘った。
不審に思いながら着いていった先は都庁地下。
あの悪夢の100鬼抜きを行なった霊動実験室。
彼は、そこにいた。
ちょっとピンチになると情けないほどに弱気になるおちゃらけ高校生では無く。
優しい笑顔で人を惹きつける好青年でも無く。
強靭な意志をその瞳に宿した、美神の知らない“男”が、そこにいた。
───二日に一度、ここへ来て、二時間くらい修行していくのよ。
母は言った。
───凄いと思わない? 休み無しで二時間も戦いつづける集中力、スタミナ。それも、あなたがやったのと同じプログラムで。
母は彼を誉めた。
そして、彼女の瞳を覗き込んでくる。
───彼はもう、あなたが以前バカにしていたような子供じゃないわ。どこへ出しても恥ずかしくない、立派な大人の男の人よ?
───もう、意地を張る必要は、無いんじゃない?
いつものからかうような雰囲気では無く、真摯な瞳で問い掛ける母に、美神は押し黙る。
そんな娘の肩を、母は軽くポンと叩き、その場を去った。
「あれ、来てたんスか美神さん!?」
しばらくして実験室から出てきた彼が、素っ頓狂な声をあげた。その顔には、先程までの“戦士”の面影は微塵も無い。
だが、彼の全身から滴り落ちる汗が、あの苛烈な修行が幻などでは無いことを如実に物語っていた。
「う、うん……。知らないうちに、ずいぶん強くなったわねー」
「へへ。まあ」
照れくさそうに、彼は笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どうしてこんなことしてるの?」
「へっ?」
ちょっと失礼します、と言ってシャワーを浴びに行った彼が戻ってきたので、美神はそう尋ねた。
「だから、さ……。どうしてこんな無茶な修行してるの? アンタ、もう十分強いじゃない」
“あの事件”の折、彼は美神にこの場所で勝利した。手加減など全く考えていなかった彼女が、自分のことをプログラムだと信じながらなお躊躇いを残していた彼に負けた。その時点で、彼は少なくとも単純な戦闘能力ならば、“世界最高のGS”である美神をも上回っていたのだ。
翻って今の修行内容を見てみると、彼は数字を見ただけでは信じ難い程の成績を上げている。彼女が記録機を調べてみたところ、彼はこの二時間の間になんと二百を越える数を撃破していたのである。そんな離れ業をやってのけることを可能にしたのは何か?
それは、彼の霊波刀。莫大な霊気を極限まで圧縮することで半ば物質化した超高密度の刃は、超人的な体術を見せる彼により振るわれ、本来の強さの十倍に設定された妖魔(プログラムではあるが)達を、拍子抜けするほどにあっさりと引き裂き、そして……爆散させたのだ。
“唯一の文珠使い”の称号が何かの冗談に思えてくる程のそれは、最早“世界最高”の異名をとる彼女にとってすら、次元が違うと思わせる程のものだった。
世界で対等に並ぶ者が無い程の強さを得て、なおこれほどの修行を己に課す彼の真意は何なのか、彼女は知りたかった。
──彼女の問いに対する横島の答え。それを忘れることは一生無いだろう、と、美神は今も思っている。
彼は、何の気負いも見せずにこう言ったのだ。
「“世界最高のGS”のために、世界最強の剣、最強の盾でありたいと思ったんですよ」
「えっ……?」
「ほら、俺ってバカでしょ?いくら勉強したところで、たぶん知識とかそーゆーことで美神さんを助けるなんてことはできそうにないですから。
それだったらせめて、強くなろうと思ったんですよ。
全てを切り裂く剣、全てを防ぎ、守り抜く盾になってやろうと……。
ま、まだまだっスけどね」
「横島クン……」
湧き上がる感情に邪魔をされ、彼の名を呼ぶのが精一杯。
嬉しかった。彼女の弟子の、驚異的な成長が。
嬉しかった。彼が、“彼女”の呪縛をまた一つ乗り越え、己の意思で未来へと進んでいることが。
───他ならぬ彼女自身のために、彼は強くなろうとしてくれている。
それが、思わず涙がこぼれそうなくらいに嬉しかった。
自分でも気づかぬうちに抱え込んでいた“彼女”に対する黒い想念がフッと軽くなるのを、美神は感じた。
だから。
「何なら鎧にもなりましょうかぁっ!?」
と叫んで彼が抱き付いてきたときも、いつものように邪険に払いのけたりはしなかった。
何の抵抗もされないのを不思議に思ったらしい彼が彼女の体から離れようとするのを、美神は逆にそっと抱き寄せた。そして、今では彼女よりも頭一つ分背が高くなってしまった彼の胸に、その顔をうずめる。
「えっ……? あの、美神さん?」
戸惑う、というよりもはっきりと慌てている彼を抱きしめて、美神は微かな声で言った。
「ありがとう……横島クン……」
彼の動揺が、収まる。
やがて……彼は彼女の腰に躊躇いがちに腕を回し、ゆっくりと抱きしめた。
「いえ……。大したことじゃ、ないです……」
美神が顔を上げ、二人の瞳が映し出すのは互いの姿のみ。
彼女はそっと目を閉じ───。
カタッ
………………カタ?
ギギギギギギッと、油をさし忘れた歯車を連想させる動作で音の方向へと振り向いた彼らは、そこに、困ったような顔をした美神美智恵の姿を見出したのであった。
「あ───」
右手の人差し指で、頬をポリポリと掻く母。
「うん。私のことは気にせず続けて? ね?」
彼女の意図とは全く逆に、パッと離れてしまう二人。
内心、三者三様に悔しがっていた……かどうかは、定かでは無い……。
(あれからしばらくは、小娘みたいにミョーに意識しちゃったのよね……)
大切な思い出を呼び起こした美神の顔は朱に染まっている。彼女の言葉を借りれば、今でも『小娘みたい』な美神であった。
(それにしてもママったら。いつもいつも、応援してるんだか邪魔してるんだかわかりゃしない)
とは言え、母が自分のことを常に(しかもこちらが重荷に感じない程度に)気遣ってくれているのはわかっているし、感謝しているのだが。
不意に美神は顔や耳どころか肩まで真っ赤にした。母のことに思いを馳せているうちに、先程の彼女の言葉を思い出してしまったのである。
ホテルへ向かうため、車に乗り込もうとした彼女に、美智恵はこう囁いたのだ。
「男と女の関係なんてね、なるようにしかならないもんよ。
ど~んとイッパツ、ヤられちゃいなさい♪」
(あーもう!!余計なこと思い出しちゃったじゃない!!)
そう。
彼女が先程からシャワーを浴びているのは、いわゆる「新婚初夜」に備えて体を清めるためであり。
「新婚初夜」といえば……やはり……アレするわけで。
横島のことはもちろん好きだが、その……やはり、“あんなこと”や“こんなこと”をされちゃうわけで。
(うわ~~~っ!!もうどうしよーっ!!)
実のところ、もう結構な時間が経っている。いくら変わったとはいえあの横島だ、きっと今か今かと待ち構えているに違いない(偏見、ではないはずだ……多分)。
恥ずかしさのあまり顔から火が出るんじゃないかという程にまで追い詰められた(というか、勝手に自分を追い込んだ)彼女は、母の教示(?)に従いとうとう“覚悟”を決めた。
「いっそのこと、アイツが度肝を抜くくらいにセクシーに迫ってやりゃいいのよ! 見てなさい!!」
……訂正。開き直った。
なにが「いい」のかは本人にすら謎だが、とにかく。
開き直った美神令子の行動は素早い。
乱暴に蛇口を閉めてシャワーを止めると、全身の水気をざっとぬぐって脱衣所へ出る。
生まれたままの姿で鏡(さすが高級ホテルだけあって、無駄に大きかった。しかし今はそれが役に立つ)の前に立ち、自分の裸身を確認。
キズ一つ、どころかシミ一つ無い白い肌、完璧なバランスを体現している自慢の肢体。
「よしっ!!完璧!!」
満足げにうなずいた彼女は、僅かに逡巡した後、バスローブではなくバスタオルを手に取り、体に適当に巻きつける。
「これでいいわ!」
(待ってなさい、横島クン。勝負よ!!)
何の勝負だ、と自らに突っ込む余裕すら、今の彼女は持ち合わせていなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
時はしばらく遡る。
美神がバスルームに入ったのを感じつつ、横島は冷蔵庫に向かって歩み寄った。
扉を開け、中からよく冷えたウイスキーを取り出す。銘柄などには大して興味を持たない彼ではあったが、流石にかなり値の張る品であろうことは察しがついた。
取り出したグラスに酒を注ぐと、彼は窓辺へと向かった。
眼下に広がる美しい夜景に微かに目を細めた彼は、グラスを口元へ運び、クイッと傾ける。
芳醇な酒が流れ込み、彼の喉に、次いで彼の胃に、心地良い灼熱感を生じさせた。
「っくぁーっ! いや、いい酒じゃないか……」
独りごちる彼。
その唇の端が微かに持ち上げられ、笑みを形作った。
ふと、彼は夜空を照らし出す月を見上げた。一片も欠けることの無い、見事な満月を。
そのまま、彼は魅入られたかのように月を見ていた。
月は、彼に“彼女”を思い出させる。
“彼女”と過ごしたほんの僅かなひと時の中で、月に関わる出来事は、強いて言えば植物園でパピリオを説得したあの時だけ。
月に関する思い出を“彼女”と共有した記憶は、彼にはなかった。
にも関わらず、月は確かに“彼女”のことを想起させる。
優しくたおやかな、だが一方で熱量には欠ける儚い美しさ。
月の光の持つそんな魅力が、蛍の化身であった“彼女”の本質にどこか似ているからかもしれない、彼はそう考えていた。
(なあ、ルシオラ。俺、今日美神さんと結婚式挙げたよ・・・)
今は亡きかつての恋人へ語りかける彼。
その瞳に映るのは確かに夜空に輝く月、だが、彼が“視て”いるのは“彼女”の幻影。
五年の歳月を経てなお彼の脳裏に鮮明に蘇る、“彼女”の柔らかな微笑みだ。
(俺なんぞには、もったいないくらいの女(ひと)だけどな・・・)
彼が、そっと目を伏せる。
(ルシオラ。俺は正直言って未だに自信が無い。
おまえの死と引き換えに生き長らえたこの俺が……、おまえを捨てたこの俺が、他の女性と生を共にすることが許されるのかどうか、俺はまだわからないでいる。
けど……)
彼が再び目を開く。そこに浮かんでいたのは、限り無く穏やかな光。
(おまえは、俺がこんなことを考えて迷っているのを望みはしないだろう。己の生の全てを俺のために捧げてくれたおまえが何を願ってくれていたかは、わかっているつもりだ。
だから……)
彼の唇が、開かれる。
「俺は幸せだよ、ルシオラ。今も昔も……そして未来も、な」
だから、彼は“彼女”に言った。
おまえのおかげで、俺は本当に幸せになれた、と。
ありがとう、と。
これが自身の感傷に過ぎないことを、彼は知っている。
“彼女”は既に亡く、その転生のカギとなる“彼女”の霊体は、他ならぬ彼自身の内にあるのだから。
だが。
彼は、幻の中の“彼女”が本当に嬉しそうな笑顔になったのを、確かに見た気がした……。
◆◇◆◇◆◇◆◇
グラスに残っていた酒の最後の一口を飲み干し、しばらくぼんやりしていた横島がふと我に返ると、先程までずっと聞こえていたシャワーの音が何時の間にか止まっている。
そのことの意味を悟る前に、不意に加速し始めた心臓。彼はそんな状態にありながら、自らを省みて苦笑した。
(うーむ。俺ってこんなにピュアだったのか……)
思えば高校生の時は、我ながらひどかった。彼女の体に触って殴り飛ばされ、美人に飛び掛ってはしばかれ、シャワーを覗いては突き落とされ……。
少しは進歩した、ということなのだろうか。
(いや、これでようやく普通だな)
どうやらそれが正しそうだ。
(こんな俺をずっと傍に置いてくれた美神さんに、改めて感謝だな)
そんなことを考えていた彼の思考がさらに過去へと向かおうとしていた時、彼は“気配”を感じた。
何年も慣れ親しんだ、何があっても間違えようの無い、“あの女(ひと)”の気配。
破裂しそうなほどに打つ心臓を何とか抑えつつ、彼は後ろを振り向く。
彼の“女神”が、そこにいた……。
予約してあった某最高級ホテルの一室。その豪華なシャワールームで、美神令子はシャワーを浴びていた。
脳裏に浮かぶ様々な思考を、整理しようと務めながら。
披露宴の後、数々の雑事を片付けた美神と横島は、仲間達や身内に冷やかされながら、予約してあったホテルへと向かった。
近付くにつれて言葉少なになった彼らは、いざ部屋に着いてもしばらくは目を合わせることすら出来ずにいた。
つい先程までは、皆のバカ騒ぎにげんなりしていたのでそうでもなかったが、二人きりになると今度はお互いを過剰に意識してしまったのである。
すれているようで意外に純情なところがあるという点で、実に似たもの同士の夫婦なのであった。
そう。夫婦、なのだ。
昨日までの数年に及ぶ関係とは、全く違った新しい絆。
ぎこちない遣り取りの後、まず横島がシャワーを浴びた。
バスローブに身を包んだ彼が出てきて、入れ替わりに美神が。
どうにも気恥ずかしくて彼の顔を見ることも出来ず、そのクセバスローブの下にある彼の体を想像して真っ赤になっていたのはご愛嬌。
そして───今に至る。
(知ってたつもりだったけど。ずいぶんたくましくなったわ、横島クン)
横島が変わり始めたのは……少なくともその変化が外面に現れだしたのは、彼が高校を卒業してからのことだった。
卒業式の後挨拶にやってきた彼に、共同経営者にならないかと誘いをかけてみたら、彼はひどく驚き慌てていた。
熱でもあるんじゃ、といって額に手を当てられたときには、彼女のほうが慌ててしまったものだ。それでもって彼女の顔が赤くなり、鈍感な彼が本当に熱があるものと勘違いするというお約束をやらかした後、ようやく彼女が本気で言っているのだと理解した彼は、本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
その笑顔に見とれている自分に気がついた時、己の内に彼に惹かれる気持ちが間違いなくあることを、彼女は初めて認めたのである。
以降、彼は変わり始めた。
共同責任者になった責任感からか、なんと美神の蔵書を暇さえあれば読み漁るようになった。早い話が、勉強を始めたのである。今までは、いくら彼女が知識の欠如を指摘してもちっとも取り組もうとしなかったのに。
少々意外だったので、熱でもあるんじゃないか、と、仕返しも兼ねてからかってやると、彼は予想に反し(きっとイジケルに違いないと思っていたのだが)、軽く苦笑してこう答えたのだ。
「せっかく美神さんが俺のこと一人前として認めてくれたんですから、いつまでもバカやってるわけにゃいかんでしょ?」
そしてワザとおどけてこう言った。
「少年はこうして大人になっていくのだ!!」
彼自身は、おそらく冗談以上のつもりでは無かったのだろう。それも、直後に顔を思いっきりしかめたところを見ると、自分でも満足の行く出来ではなかったらしい。
だが、その言葉は本人も戸惑うほどに強く美神の胸に響いた。
彼女が気づかぬうちに、かつては丁稚未満でしかなかった少年は、大人への階段を上りつつあったのだ。
また、そのころから彼は急激に強くなっていった。と言っても、数年の間は気づくことすらなかったのだが。
美神と彼が二人がかりでかからなければならないほどの仕事はほとんどなく、業務効率を上げる為、たいていは他の三人のうち誰かと美神(あるいは横島)という組み合わせで出るといった具合だったし、たまに舞い込む手強い依頼には事務所の全員で向かい、その時の彼はサポート役に徹していたからだ。
誰よりも側にいた彼女だけが、彼の成長を知らずにいた。
そのことを教えてくれたのは、母、美智恵である。
たまたまその日は夕方以降の仕事が無く早めに帰宅した美神をふらりと尋ねてきた彼女は、意味ありげな目をして娘を外出に誘った。
不審に思いながら着いていった先は都庁地下。
あの悪夢の100鬼抜きを行なった霊動実験室。
彼は、そこにいた。
ちょっとピンチになると情けないほどに弱気になるおちゃらけ高校生では無く。
優しい笑顔で人を惹きつける好青年でも無く。
強靭な意志をその瞳に宿した、美神の知らない“男”が、そこにいた。
───二日に一度、ここへ来て、二時間くらい修行していくのよ。
母は言った。
───凄いと思わない? 休み無しで二時間も戦いつづける集中力、スタミナ。それも、あなたがやったのと同じプログラムで。
母は彼を誉めた。
そして、彼女の瞳を覗き込んでくる。
───彼はもう、あなたが以前バカにしていたような子供じゃないわ。どこへ出しても恥ずかしくない、立派な大人の男の人よ?
───もう、意地を張る必要は、無いんじゃない?
いつものからかうような雰囲気では無く、真摯な瞳で問い掛ける母に、美神は押し黙る。
そんな娘の肩を、母は軽くポンと叩き、その場を去った。
「あれ、来てたんスか美神さん!?」
しばらくして実験室から出てきた彼が、素っ頓狂な声をあげた。その顔には、先程までの“戦士”の面影は微塵も無い。
だが、彼の全身から滴り落ちる汗が、あの苛烈な修行が幻などでは無いことを如実に物語っていた。
「う、うん……。知らないうちに、ずいぶん強くなったわねー」
「へへ。まあ」
照れくさそうに、彼は笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どうしてこんなことしてるの?」
「へっ?」
ちょっと失礼します、と言ってシャワーを浴びに行った彼が戻ってきたので、美神はそう尋ねた。
「だから、さ……。どうしてこんな無茶な修行してるの? アンタ、もう十分強いじゃない」
“あの事件”の折、彼は美神にこの場所で勝利した。手加減など全く考えていなかった彼女が、自分のことをプログラムだと信じながらなお躊躇いを残していた彼に負けた。その時点で、彼は少なくとも単純な戦闘能力ならば、“世界最高のGS”である美神をも上回っていたのだ。
翻って今の修行内容を見てみると、彼は数字を見ただけでは信じ難い程の成績を上げている。彼女が記録機を調べてみたところ、彼はこの二時間の間になんと二百を越える数を撃破していたのである。そんな離れ業をやってのけることを可能にしたのは何か?
それは、彼の霊波刀。莫大な霊気を極限まで圧縮することで半ば物質化した超高密度の刃は、超人的な体術を見せる彼により振るわれ、本来の強さの十倍に設定された妖魔(プログラムではあるが)達を、拍子抜けするほどにあっさりと引き裂き、そして……爆散させたのだ。
“唯一の文珠使い”の称号が何かの冗談に思えてくる程のそれは、最早“世界最高”の異名をとる彼女にとってすら、次元が違うと思わせる程のものだった。
世界で対等に並ぶ者が無い程の強さを得て、なおこれほどの修行を己に課す彼の真意は何なのか、彼女は知りたかった。
──彼女の問いに対する横島の答え。それを忘れることは一生無いだろう、と、美神は今も思っている。
彼は、何の気負いも見せずにこう言ったのだ。
「“世界最高のGS”のために、世界最強の剣、最強の盾でありたいと思ったんですよ」
「えっ……?」
「ほら、俺ってバカでしょ?いくら勉強したところで、たぶん知識とかそーゆーことで美神さんを助けるなんてことはできそうにないですから。
それだったらせめて、強くなろうと思ったんですよ。
全てを切り裂く剣、全てを防ぎ、守り抜く盾になってやろうと……。
ま、まだまだっスけどね」
「横島クン……」
湧き上がる感情に邪魔をされ、彼の名を呼ぶのが精一杯。
嬉しかった。彼女の弟子の、驚異的な成長が。
嬉しかった。彼が、“彼女”の呪縛をまた一つ乗り越え、己の意思で未来へと進んでいることが。
───他ならぬ彼女自身のために、彼は強くなろうとしてくれている。
それが、思わず涙がこぼれそうなくらいに嬉しかった。
自分でも気づかぬうちに抱え込んでいた“彼女”に対する黒い想念がフッと軽くなるのを、美神は感じた。
だから。
「何なら鎧にもなりましょうかぁっ!?」
と叫んで彼が抱き付いてきたときも、いつものように邪険に払いのけたりはしなかった。
何の抵抗もされないのを不思議に思ったらしい彼が彼女の体から離れようとするのを、美神は逆にそっと抱き寄せた。そして、今では彼女よりも頭一つ分背が高くなってしまった彼の胸に、その顔をうずめる。
「えっ……? あの、美神さん?」
戸惑う、というよりもはっきりと慌てている彼を抱きしめて、美神は微かな声で言った。
「ありがとう……横島クン……」
彼の動揺が、収まる。
やがて……彼は彼女の腰に躊躇いがちに腕を回し、ゆっくりと抱きしめた。
「いえ……。大したことじゃ、ないです……」
美神が顔を上げ、二人の瞳が映し出すのは互いの姿のみ。
彼女はそっと目を閉じ───。
カタッ
………………カタ?
ギギギギギギッと、油をさし忘れた歯車を連想させる動作で音の方向へと振り向いた彼らは、そこに、困ったような顔をした美神美智恵の姿を見出したのであった。
「あ───」
右手の人差し指で、頬をポリポリと掻く母。
「うん。私のことは気にせず続けて? ね?」
彼女の意図とは全く逆に、パッと離れてしまう二人。
内心、三者三様に悔しがっていた……かどうかは、定かでは無い……。
(あれからしばらくは、小娘みたいにミョーに意識しちゃったのよね……)
大切な思い出を呼び起こした美神の顔は朱に染まっている。彼女の言葉を借りれば、今でも『小娘みたい』な美神であった。
(それにしてもママったら。いつもいつも、応援してるんだか邪魔してるんだかわかりゃしない)
とは言え、母が自分のことを常に(しかもこちらが重荷に感じない程度に)気遣ってくれているのはわかっているし、感謝しているのだが。
不意に美神は顔や耳どころか肩まで真っ赤にした。母のことに思いを馳せているうちに、先程の彼女の言葉を思い出してしまったのである。
ホテルへ向かうため、車に乗り込もうとした彼女に、美智恵はこう囁いたのだ。
「男と女の関係なんてね、なるようにしかならないもんよ。
ど~んとイッパツ、ヤられちゃいなさい♪」
(あーもう!!余計なこと思い出しちゃったじゃない!!)
そう。
彼女が先程からシャワーを浴びているのは、いわゆる「新婚初夜」に備えて体を清めるためであり。
「新婚初夜」といえば……やはり……アレするわけで。
横島のことはもちろん好きだが、その……やはり、“あんなこと”や“こんなこと”をされちゃうわけで。
(うわ~~~っ!!もうどうしよーっ!!)
実のところ、もう結構な時間が経っている。いくら変わったとはいえあの横島だ、きっと今か今かと待ち構えているに違いない(偏見、ではないはずだ……多分)。
恥ずかしさのあまり顔から火が出るんじゃないかという程にまで追い詰められた(というか、勝手に自分を追い込んだ)彼女は、母の教示(?)に従いとうとう“覚悟”を決めた。
「いっそのこと、アイツが度肝を抜くくらいにセクシーに迫ってやりゃいいのよ! 見てなさい!!」
……訂正。開き直った。
なにが「いい」のかは本人にすら謎だが、とにかく。
開き直った美神令子の行動は素早い。
乱暴に蛇口を閉めてシャワーを止めると、全身の水気をざっとぬぐって脱衣所へ出る。
生まれたままの姿で鏡(さすが高級ホテルだけあって、無駄に大きかった。しかし今はそれが役に立つ)の前に立ち、自分の裸身を確認。
キズ一つ、どころかシミ一つ無い白い肌、完璧なバランスを体現している自慢の肢体。
「よしっ!!完璧!!」
満足げにうなずいた彼女は、僅かに逡巡した後、バスローブではなくバスタオルを手に取り、体に適当に巻きつける。
「これでいいわ!」
(待ってなさい、横島クン。勝負よ!!)
何の勝負だ、と自らに突っ込む余裕すら、今の彼女は持ち合わせていなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
時はしばらく遡る。
美神がバスルームに入ったのを感じつつ、横島は冷蔵庫に向かって歩み寄った。
扉を開け、中からよく冷えたウイスキーを取り出す。銘柄などには大して興味を持たない彼ではあったが、流石にかなり値の張る品であろうことは察しがついた。
取り出したグラスに酒を注ぐと、彼は窓辺へと向かった。
眼下に広がる美しい夜景に微かに目を細めた彼は、グラスを口元へ運び、クイッと傾ける。
芳醇な酒が流れ込み、彼の喉に、次いで彼の胃に、心地良い灼熱感を生じさせた。
「っくぁーっ! いや、いい酒じゃないか……」
独りごちる彼。
その唇の端が微かに持ち上げられ、笑みを形作った。
ふと、彼は夜空を照らし出す月を見上げた。一片も欠けることの無い、見事な満月を。
そのまま、彼は魅入られたかのように月を見ていた。
月は、彼に“彼女”を思い出させる。
“彼女”と過ごしたほんの僅かなひと時の中で、月に関わる出来事は、強いて言えば植物園でパピリオを説得したあの時だけ。
月に関する思い出を“彼女”と共有した記憶は、彼にはなかった。
にも関わらず、月は確かに“彼女”のことを想起させる。
優しくたおやかな、だが一方で熱量には欠ける儚い美しさ。
月の光の持つそんな魅力が、蛍の化身であった“彼女”の本質にどこか似ているからかもしれない、彼はそう考えていた。
(なあ、ルシオラ。俺、今日美神さんと結婚式挙げたよ・・・)
今は亡きかつての恋人へ語りかける彼。
その瞳に映るのは確かに夜空に輝く月、だが、彼が“視て”いるのは“彼女”の幻影。
五年の歳月を経てなお彼の脳裏に鮮明に蘇る、“彼女”の柔らかな微笑みだ。
(俺なんぞには、もったいないくらいの女(ひと)だけどな・・・)
彼が、そっと目を伏せる。
(ルシオラ。俺は正直言って未だに自信が無い。
おまえの死と引き換えに生き長らえたこの俺が……、おまえを捨てたこの俺が、他の女性と生を共にすることが許されるのかどうか、俺はまだわからないでいる。
けど……)
彼が再び目を開く。そこに浮かんでいたのは、限り無く穏やかな光。
(おまえは、俺がこんなことを考えて迷っているのを望みはしないだろう。己の生の全てを俺のために捧げてくれたおまえが何を願ってくれていたかは、わかっているつもりだ。
だから……)
彼の唇が、開かれる。
「俺は幸せだよ、ルシオラ。今も昔も……そして未来も、な」
だから、彼は“彼女”に言った。
おまえのおかげで、俺は本当に幸せになれた、と。
ありがとう、と。
これが自身の感傷に過ぎないことを、彼は知っている。
“彼女”は既に亡く、その転生のカギとなる“彼女”の霊体は、他ならぬ彼自身の内にあるのだから。
だが。
彼は、幻の中の“彼女”が本当に嬉しそうな笑顔になったのを、確かに見た気がした……。
◆◇◆◇◆◇◆◇
グラスに残っていた酒の最後の一口を飲み干し、しばらくぼんやりしていた横島がふと我に返ると、先程までずっと聞こえていたシャワーの音が何時の間にか止まっている。
そのことの意味を悟る前に、不意に加速し始めた心臓。彼はそんな状態にありながら、自らを省みて苦笑した。
(うーむ。俺ってこんなにピュアだったのか……)
思えば高校生の時は、我ながらひどかった。彼女の体に触って殴り飛ばされ、美人に飛び掛ってはしばかれ、シャワーを覗いては突き落とされ……。
少しは進歩した、ということなのだろうか。
(いや、これでようやく普通だな)
どうやらそれが正しそうだ。
(こんな俺をずっと傍に置いてくれた美神さんに、改めて感謝だな)
そんなことを考えていた彼の思考がさらに過去へと向かおうとしていた時、彼は“気配”を感じた。
何年も慣れ親しんだ、何があっても間違えようの無い、“あの女(ひと)”の気配。
破裂しそうなほどに打つ心臓を何とか抑えつつ、彼は後ろを振り向く。
彼の“女神”が、そこにいた……。
SS『求め合う二つの魂・3』(GS美神)
なんだかんだといろいろあった後。今日、唐巣神父の教会で、美神と横島の結婚式がめでたく執り行われる。
なおこの裏には、「師に少しでも収入を」と考えた某バンパイアハーフによる強烈なプッシュ(というか泣き落とし)があったとも言われているが、真相はさしあたって不明である。
ついでに言うと、大分ガタのきていた教会が美神の出資を受けて大幅に改築されたりもしたのだが、これは全くの余談である。
希代の守銭奴である弟子がその申し出をしてきた時、これは天変地異の前触れか、と100%本気で憂いた唐巣神父であったが、
「こんなボロい教会で式挙げるなんて、冗談じゃないわ。
この私の結婚式よ? もっとずっとピッカピカの、立派で豪華な建物にしなくちゃ」
という彼女の言葉を聞いて、そのあからさまな照れ隠しぶりを微笑ましく思えばいいのか、その内容について憤慨すればいいのか、しばし迷ったらしい。
……後日、美神は超有名建築家と契約を交わしたところで、
「打ち合わせは時間もないし面倒」
の一言と共に、唐巣に全てを丸投げした。彼の要望をふんだんに取り入れた新しい教会は、まるでその人柄を表すような、落ち着いた温かい空間を作り出している。
自分の宣言とは全く逆の仕上がりを見せた教会に対し、出資した美神のコメントは特にない。
穏やかな表情で礼を言う師にヒラヒラと手を振って、心なしか早足で歩き去ってしまったとか何とか。
素直じゃないのは変わらないなあ、しかしやたら素直になられても怖いからなあと、唐巣はしみじみ頷いたのだそうだ。
余談である。
──さて。
控え室では、本日の主役の片割れ、新郎の横島忠夫が、友人達となんとも心温まる会話を交わしていた。
「おいおい、なーにウロウロしてんだお前は。
まるで動物園のゴリラみてえじゃねえか。ちったあ落ち付けよ」
「雪之丞!!言うに事欠いてゴリラとは何だ、ゴリラとは!!
……てめえ、自分の結婚式でからかわれたからって、まだ根に持ってやがるな……?」
「当たり前だ! あんときゃ人を肴に好き放題……。てめえもちったあ、あの恥ずかしさを味わってみやがれ!!」
彼の姓は、既に『伊達』ではない。自らの姓にそれほどこだわりを持っていなかった彼は、婿養子となることをわりあいあっさりと承諾し昨年めでたく結婚、弓雪之丞となっていた。
彼とかおりの結婚式、その席で横島は、自分の想いになかなか決着がつけられないことの憂さ晴らしも兼ねて彼らを散々冷やかしてやったのである。
二人とも真っ赤になって怒っていたが、特にかおりの方はどこか嬉しそうでもあった……。
「まあまあ、二人とも」
「タイガーの言うとおりですよ。ホラ、仲直り、仲直り」
共通の親友、タイガーとピートの言葉で、二人はあっさり矛を収める。
「どーだ、ちったあ落ち着いたかよ?」
「相変わらず変な気の使い方しやがって……。
ま、助かった。ありがとな」
実際、不安や緊張はどこかへ溶け去った。
そんな気がするだけで、おそらくすぐにぶり返してくるのだろうが。
それでも横島は、この親友らしい気遣いに感謝していた。
男の友情の、ひとつの形であろう。
「それにしても、横島さんでも普通に緊張するんですね」
「同感ジャノ~」
「……おい、てめえら。人を一体なんだと思っていやがる……?」
まったりとコメントした二人は、突如横島の右手に生じた超高密度の霊波刀を見て、乾いた笑みを浮かべた。
じりじりと後ずさりする。失言を悟り、戦術的撤退を開始したようだ。
「あ、あはははは……そ、それじゃ、僕らはもう行きますね」
「そ、そうじゃの、ピートどん」
「俺ももう行くか。がんばれよ、横島」
「ったく……」
三人が去り、横島は大きく息を吐いた。
そこへ、これまで会話に参加していなかった西条が声をかける。
「いい友達を持ったな、横島クン」
「ん? なんだ、いたのかお前」
「……あのね、君……」
「冗談だよ、冗談」
初めて会った時から変わらないやり取り。
だが、もはや年長の方に侮蔑はなく、年少の方に敵愾心は無い。
あるのは、同じ女を想った者同士の共感、そして共に戦ってきた者同士の信頼。
「とにかく……」
そこで西条は言葉に詰まる。
何を言えばいいのかしばし考え……結局こう口にするにとどめた。
「がんばれ、横島クン」
「……ああ」
僅かにすくめられた肩をぽんと叩き、西条もまた部屋を出て行った。
これで控え室には、横島本人と彼の両親だけが残ったわけである。西条達が、気を利かせて早めに出て行ったのは明らかであった。
「しっかしまあ、なんだ。馬子にも衣装とは言うが……」
「それなりには映えるじゃない。美神さんが見立てただけのことはあるわ」
「……息子をおちょくるときだけぴったり同調しやがって。本当に親か、あんたらは!」
実の両親にあっさりこき下ろされて、さすがに少々げんなりする横島。
もともとこの両親に普通の対応なんぞ期待していないが───
(にしたってそりゃないだろ?)
自分はよくコンプレックスが強すぎると言われるが、その原点は間違いなくこの両親だ。その事実を、彼は再認識した。
「ま、なんだ……」
大樹が、照れくさそうに頬を掻く。
百合子も珍しく裏表の無い笑みを見せた。
そんな両親の態度に、横島も態度を改める。
「結婚、おめでとう忠夫」
「ちゃんと美神さんを幸せにするんだよ」
これだ。これだからうちの両親は侮れないんだ。
ちゃらんぽらんのクセにたまにこんな顔を見せるから、どうやったって憎めない。ちくしょう。
……そんなことでも考えていないと、感激で涙が出てしまいそうだった。
それにしても、横島自身とは異なる意味で常人離れしたこの両親ですら、息子の結婚にあたってはこんな平凡な言葉しか出てこないらしい。
だが、その内に込められた祝福と激励の意をしっかりと受け取り、彼は背筋を伸ばした。
「ありがとう、親父、おふくろ。必ず幸せにする。
そして、俺も幸せになるよ」
宣言する息子の顔は、既に子供のものではない。
大人の男に成長した彼に、父と母は深く頷きを返した。
◇◆◇◆◇◆
所変わって新婦の控え室。
新婦たる美神令子が、新郎とは対照的に落ち着いた様子で、集まった女性陣と言葉を交わしていた。
「美神殿、キレーでござるなあ……」
「いいなあ、美神さん……。私もこんなの着てみたい……」
「いいんじゃない?」
ただただ感嘆するシロ。
指を加えるおキヌ。
初めて出会った頃のような、そっけない感想を述べるタマモ(本当は羨ましいのだろう、チラチラと見ている)。
ここ数年、共に過ごしてきた事務所の仲間達の言葉に、美神は少しだけ笑みを浮かべた。
彼女が着ているのは、母親と二人で選んだとっておきのウェディングドレス。大方の予想を裏切り、それは豪華さよりもむしろ清楚さが際立つデザインであった。
普段はほとんどしない(する必要がないのだ、元が良すぎるので)化粧を薄く施して座る彼女の姿は、それこそ名前のとおり、女神のごとく美しい。
『素直になれてよかったですね、美神さん』
「小竜姫……。そうね、我ながら時間かかりすぎた気もするけどさ」
ふうっと息を吐く。だが、小竜姫がクスクス笑っているのを見て、自分が何気なく言った言葉の意味に気づき、彼女は真っ赤になった。
これでは自分がまるで───。
「でも、あいつが全部悪いのよ! 馬鹿だしスケベだしガキだしそれに───」
『あんまり言ってると奪っちゃいますよ?』
「……ってはい?」
にこやかな笑顔のまま言われたその言葉の意味を、美神はとっさに計りかねた。数瞬のタイムラグの後理解した美神は目を白黒させる。
そんな彼女に、小竜姫は追い討ちをかけた。
『ご存知のとおり、横島さんのことを好きなのは貴女だけじゃないんですからね』
その言葉に頷く者が数名。それを視界に収め、美神は心の中で突っ込んだ。
(まだ諦めとらんかったんかい、あんたら!!)
だがそれだけではなかった。彼女はさらに、とんでもないことを言ってのけたのである。
『私なら……たとえ愛人待遇でも……』
ぽうっと赤く染まった頬に右手を当て、最後は消え入るような声でつぶやく小竜姫。その様子は(発言内容さえ無視すれば)なんともかわいらしく、とても竜神とは思えない。
この期に及んでのあまりの爆弾発言に沸く(「私だって!!」「それなら私も!!」『ふむ……悪くないな……』)室内で一人硬直していた美神だったが、我に返ると小竜姫に食ってかかった。
「じょ、冗談じゃないわ! あいつは私の───!!」
『それでいいんですよ、美神さん。お幸せにね』
「へ……?」
気勢をそがれた彼女に、小竜姫が微笑みかける。
その、妹を見守る姉のような笑顔に、彼女は小竜姫の意を悟った。
「あ……ありがと……」
彼女達の気持ちは痛いほど知っている。冗談に紛らわせてはいるが、本当は凄く切実なもの。
いくつもの戦いを通して、横島忠夫という男の本質に触れ、惚れこんでしまった彼女達。
だが、その想いを押し込めて、彼女達は祝福してくれるのだ。
美神は結局、それだけを言った。
同じ男を想う皆へ、感謝を込めて。
◇◆◇◆◇◆
「あら、横島クン。決まってるじゃない♪」
「ど、どうも……」
美智恵の誉め言葉を聞いても、横島は上の空だった。何せこの扉の向こうには、彼の妻となる女性がいる。
後ろで両家の親が挨拶を交わしているのを気にする余裕すらなく、彼は震える手でドアノブを握り───。
そして、それを回した。
ゆっくりと。
「横島さん、素敵……」
『よく似合ってますよ、横島さん』
ドアを開くなり、おキヌ、小竜姫他、部屋にいた面々の賞賛の言葉が降り注ぐ。
だが、なんとも勿体無いことに、それらの声は横島の耳に全く届いていなかった。
そもそも、彼女達の姿は横島の眼に入ってすらいない。
彼の眼は、一言も発することなくこちらを見つめる恋人に固定されていた。
彼の眼は、頬をかすかに染めた想い人の姿しか映し出していなかったのだ。
声を出すことすらままならないまま、時が流れる。
たっぷり数十秒が経過し、もうこれは暴れてしまってもいいだろうかなどという不穏な思考が周囲の女性陣に生まれはじめた頃。
美神は不意に視線をそらし、何事か呟いた。
「え、ええと、何ですか……?」
だが、横島には、彼女がなんと言ったのかわからなかった。
聞き返す横島に、美神がどもりながらようやく言葉を搾り出す。
「だ、だから。どう、コレ……?」
どう、と言われても。彼は困ってしまった。
なにせ、今の彼女は幻想的なまでに美しく、元々乏しい彼の語彙を、遥か彼方まで吹き飛ばしてしまったのだから。
彼にしてみれば、見つめる以外にできることがない。
「き……綺麗っス……。凄く……」
我ながら芸のない、もっと他に何か言えんのか、と頭の片隅で思ってはいたが、結局捻りだせたのはそれだけだった。
ようやく少し目に入るようになった周囲の女性達が、一様にため息をつき肩を落とすのが見えた。横島はいたたまれない思いになる。
だが、その何の変哲もない一言を聞いて、どこか不安げだった美神の表情がぱあっと明るくなった。
それはまるで、大輪の花が咲き誇るかのよう。
「本当!?」
「も、もちろんっス!」
「……ありがと。嬉しい」
そう言ってはにかんだように笑う美神を見て、横島はまたしても硬直してしまう。
だから彼は、
(このバカップルめ)
という皆からの視線を全身に浴びながら、それに気づくことすらなく突っ立っていた……。
◇◆◇◆◇◆
「新郎新婦の入場です!!」
パチパチパチパチ……
一斉に皆が拍手する中、二人は進んでゆく。
彼らを見ながら、西条は傍らの愛妻に囁いた。
「ふふふ、ガチガチじゃないか、横島君は。
相変わらず実力に格が伴わない男だね」
台詞とは裏腹に、彼の口調は暖かい。
いや、台詞それ自体も、新郎・横島忠夫、今や彼の弟のような存在である横島の力を、確かに認めるものであった。
「そこが横島さんのいいところなんじゃない」
彼の妻──西条めぐみ、旧姓魔鈴──はそう言って微笑んだ。
「……まさかとは思うが。君も、彼に惚れていたクチなのか?」
「あら、妬いてるのかしら?」
いたずらっぽい笑顔でそう言われ、彼はそっぽを向いてしまった。
そんな、彼女だけが知る彼の子供っぽい部分を目にして、めぐみはクスクスと笑った。
「ねえ、あんた」
「なんだ、百合子?」
「忠夫、立派になったねえ……」
息子を見守る母の目は、常のグレートマザーぶりからすれば別人のように、慈しみにあふれている。
彼女の脳裏には、生まれたときからの彼の成長の記憶が、今鮮やかに蘇っていた。
「そりゃ、俺とお前の息子だからな」
すました様子で答える大樹。そっけないその言葉からは、だが、確かに妻と息子への愛情が感じられる。
彼は不意に百合子の耳元へ口を近づけ、囁いた。
「あんな良い息子が一人だけなんて、もったいないとは思わんか?」
「……こんなときに何言ってんのよ、アホ……」
肘打ちにも、いつもの力がない。
実際、今年48になるはずの彼女は、外見だけならどう考えても30代前半にしか見えない。まるっきり現実味のない話ではなかったりするのだ。
若さを失わぬ愛妻が頬を染めてプイッと横を向くのを見て、大樹は満足げに、ニッと笑った。
「それでは、誓いのキスを」
唐巣の宣誓に従い、ぎこちなくキスを交わす二人。
割れるような拍手の中、ついに夫婦となった二人は、照れくさそうな笑みを浮かべていた。
◇◆◇◆◇◆
披露宴。
場はすでに宴会場と化していた。
誰が最初に提案したのか、カラオケセットなんぞが持ち出され、皆で大騒ぎしている。
「ったく……。人の結婚式を何だと思ってんのよ」
少々不満げに言ったのは、無論美神(本当は“横島令子”なのだが、この作品中では今まで通り“美神”と呼ぶことにする)。
そんな彼女に、横島は苦笑した。
「他の時だったら、中心になって騒いでるクセに……」
身に覚えがありすぎるだけに、美神は黙るしかなかった。
なかったのだが、やはり面白くはない。
ふと、横島の視線が彼女から皆へと移る。
「それに、俺は嬉しいですよ」
「えっ……?」
静かな、穏やかな彼の言葉に、美神は彼の顔を見上げた。
「こんなにもたくさんの仲間達が、俺達の結婚を祝福してくれるんです。
一人も欠けることなく、ね……」
一人も欠けることなく。
そのことが、彼にとってどれだけ大きな意味を持つのか、美神ですら完全にはわからない。
だが、そのことは彼にとって、この上もなく重要なことなのだろうということは想像に難くなかった。
美神にとってだけではない。あの大戦に関わったものなら、皆そうだろう。
“彼女”を失った傷は深い。あの時から、彼は仲間を失うことをひどく恐れるようになっていた。
「本当に……。泣きたくなる位嬉しいですよ。ああしてみんなが騒いでるのを見て、本当にそう思います」
彼の顔に浮かんだえらく大人びた微笑に、美神は見とれながらも少し悔しくなった。
まったく、最初は丁稚未満だったくせに、ほんの数年で自分をも凌ぐGSになり、精神的にもすっかり大人になってしまった。
いつだって、彼は自分の知らないところで成長していってしまうのだ。
(いつもいつも置いてくんじゃないわよ、バカ……)
そんな感情が何に由来するのか、彼女は正しく理解していた。
それは嫉妬。
今は亡き“彼女”への。
彼を変えた“彼女”、彼の中に今も眠る蛍の化身への、嫉妬。
美神は知っていた。
彼が変わったのは、自分の為ではないということを。
無論、ここ数年の努力は、彼自身がこっそり教えてくれたとおり、「美神さんと釣り合う男になりたかったから」なのだろう。
だが、変わり始めたきっかけは、間違いなく“彼女”だった───。
そんな一抹の寂しさを振り払おうと、彼女は憎まれ口を叩いた。
「あんた、いつまで敬語使ってんのよ?」
「誰のせいですか、誰の……」
八つ当たりに近い彼女の言葉も、彼は苦笑して受け止める。
そんな彼の優しさに、美神は胸の鼓動が加速するのを抑えることができずにいた。
彼の笑顔を見れば、どんな不満も綺麗に溶けてしまう。
(私、幸せだわ……本当に)
「ありがと、横島クン……」
隣に座る彼の耳にすら届かぬほどの小さな声で、彼女はそっと囁いた。
なおこの裏には、「師に少しでも収入を」と考えた某バンパイアハーフによる強烈なプッシュ(というか泣き落とし)があったとも言われているが、真相はさしあたって不明である。
ついでに言うと、大分ガタのきていた教会が美神の出資を受けて大幅に改築されたりもしたのだが、これは全くの余談である。
希代の守銭奴である弟子がその申し出をしてきた時、これは天変地異の前触れか、と100%本気で憂いた唐巣神父であったが、
「こんなボロい教会で式挙げるなんて、冗談じゃないわ。
この私の結婚式よ? もっとずっとピッカピカの、立派で豪華な建物にしなくちゃ」
という彼女の言葉を聞いて、そのあからさまな照れ隠しぶりを微笑ましく思えばいいのか、その内容について憤慨すればいいのか、しばし迷ったらしい。
……後日、美神は超有名建築家と契約を交わしたところで、
「打ち合わせは時間もないし面倒」
の一言と共に、唐巣に全てを丸投げした。彼の要望をふんだんに取り入れた新しい教会は、まるでその人柄を表すような、落ち着いた温かい空間を作り出している。
自分の宣言とは全く逆の仕上がりを見せた教会に対し、出資した美神のコメントは特にない。
穏やかな表情で礼を言う師にヒラヒラと手を振って、心なしか早足で歩き去ってしまったとか何とか。
素直じゃないのは変わらないなあ、しかしやたら素直になられても怖いからなあと、唐巣はしみじみ頷いたのだそうだ。
余談である。
──さて。
控え室では、本日の主役の片割れ、新郎の横島忠夫が、友人達となんとも心温まる会話を交わしていた。
「おいおい、なーにウロウロしてんだお前は。
まるで動物園のゴリラみてえじゃねえか。ちったあ落ち付けよ」
「雪之丞!!言うに事欠いてゴリラとは何だ、ゴリラとは!!
……てめえ、自分の結婚式でからかわれたからって、まだ根に持ってやがるな……?」
「当たり前だ! あんときゃ人を肴に好き放題……。てめえもちったあ、あの恥ずかしさを味わってみやがれ!!」
彼の姓は、既に『伊達』ではない。自らの姓にそれほどこだわりを持っていなかった彼は、婿養子となることをわりあいあっさりと承諾し昨年めでたく結婚、弓雪之丞となっていた。
彼とかおりの結婚式、その席で横島は、自分の想いになかなか決着がつけられないことの憂さ晴らしも兼ねて彼らを散々冷やかしてやったのである。
二人とも真っ赤になって怒っていたが、特にかおりの方はどこか嬉しそうでもあった……。
「まあまあ、二人とも」
「タイガーの言うとおりですよ。ホラ、仲直り、仲直り」
共通の親友、タイガーとピートの言葉で、二人はあっさり矛を収める。
「どーだ、ちったあ落ち着いたかよ?」
「相変わらず変な気の使い方しやがって……。
ま、助かった。ありがとな」
実際、不安や緊張はどこかへ溶け去った。
そんな気がするだけで、おそらくすぐにぶり返してくるのだろうが。
それでも横島は、この親友らしい気遣いに感謝していた。
男の友情の、ひとつの形であろう。
「それにしても、横島さんでも普通に緊張するんですね」
「同感ジャノ~」
「……おい、てめえら。人を一体なんだと思っていやがる……?」
まったりとコメントした二人は、突如横島の右手に生じた超高密度の霊波刀を見て、乾いた笑みを浮かべた。
じりじりと後ずさりする。失言を悟り、戦術的撤退を開始したようだ。
「あ、あはははは……そ、それじゃ、僕らはもう行きますね」
「そ、そうじゃの、ピートどん」
「俺ももう行くか。がんばれよ、横島」
「ったく……」
三人が去り、横島は大きく息を吐いた。
そこへ、これまで会話に参加していなかった西条が声をかける。
「いい友達を持ったな、横島クン」
「ん? なんだ、いたのかお前」
「……あのね、君……」
「冗談だよ、冗談」
初めて会った時から変わらないやり取り。
だが、もはや年長の方に侮蔑はなく、年少の方に敵愾心は無い。
あるのは、同じ女を想った者同士の共感、そして共に戦ってきた者同士の信頼。
「とにかく……」
そこで西条は言葉に詰まる。
何を言えばいいのかしばし考え……結局こう口にするにとどめた。
「がんばれ、横島クン」
「……ああ」
僅かにすくめられた肩をぽんと叩き、西条もまた部屋を出て行った。
これで控え室には、横島本人と彼の両親だけが残ったわけである。西条達が、気を利かせて早めに出て行ったのは明らかであった。
「しっかしまあ、なんだ。馬子にも衣装とは言うが……」
「それなりには映えるじゃない。美神さんが見立てただけのことはあるわ」
「……息子をおちょくるときだけぴったり同調しやがって。本当に親か、あんたらは!」
実の両親にあっさりこき下ろされて、さすがに少々げんなりする横島。
もともとこの両親に普通の対応なんぞ期待していないが───
(にしたってそりゃないだろ?)
自分はよくコンプレックスが強すぎると言われるが、その原点は間違いなくこの両親だ。その事実を、彼は再認識した。
「ま、なんだ……」
大樹が、照れくさそうに頬を掻く。
百合子も珍しく裏表の無い笑みを見せた。
そんな両親の態度に、横島も態度を改める。
「結婚、おめでとう忠夫」
「ちゃんと美神さんを幸せにするんだよ」
これだ。これだからうちの両親は侮れないんだ。
ちゃらんぽらんのクセにたまにこんな顔を見せるから、どうやったって憎めない。ちくしょう。
……そんなことでも考えていないと、感激で涙が出てしまいそうだった。
それにしても、横島自身とは異なる意味で常人離れしたこの両親ですら、息子の結婚にあたってはこんな平凡な言葉しか出てこないらしい。
だが、その内に込められた祝福と激励の意をしっかりと受け取り、彼は背筋を伸ばした。
「ありがとう、親父、おふくろ。必ず幸せにする。
そして、俺も幸せになるよ」
宣言する息子の顔は、既に子供のものではない。
大人の男に成長した彼に、父と母は深く頷きを返した。
◇◆◇◆◇◆
所変わって新婦の控え室。
新婦たる美神令子が、新郎とは対照的に落ち着いた様子で、集まった女性陣と言葉を交わしていた。
「美神殿、キレーでござるなあ……」
「いいなあ、美神さん……。私もこんなの着てみたい……」
「いいんじゃない?」
ただただ感嘆するシロ。
指を加えるおキヌ。
初めて出会った頃のような、そっけない感想を述べるタマモ(本当は羨ましいのだろう、チラチラと見ている)。
ここ数年、共に過ごしてきた事務所の仲間達の言葉に、美神は少しだけ笑みを浮かべた。
彼女が着ているのは、母親と二人で選んだとっておきのウェディングドレス。大方の予想を裏切り、それは豪華さよりもむしろ清楚さが際立つデザインであった。
普段はほとんどしない(する必要がないのだ、元が良すぎるので)化粧を薄く施して座る彼女の姿は、それこそ名前のとおり、女神のごとく美しい。
『素直になれてよかったですね、美神さん』
「小竜姫……。そうね、我ながら時間かかりすぎた気もするけどさ」
ふうっと息を吐く。だが、小竜姫がクスクス笑っているのを見て、自分が何気なく言った言葉の意味に気づき、彼女は真っ赤になった。
これでは自分がまるで───。
「でも、あいつが全部悪いのよ! 馬鹿だしスケベだしガキだしそれに───」
『あんまり言ってると奪っちゃいますよ?』
「……ってはい?」
にこやかな笑顔のまま言われたその言葉の意味を、美神はとっさに計りかねた。数瞬のタイムラグの後理解した美神は目を白黒させる。
そんな彼女に、小竜姫は追い討ちをかけた。
『ご存知のとおり、横島さんのことを好きなのは貴女だけじゃないんですからね』
その言葉に頷く者が数名。それを視界に収め、美神は心の中で突っ込んだ。
(まだ諦めとらんかったんかい、あんたら!!)
だがそれだけではなかった。彼女はさらに、とんでもないことを言ってのけたのである。
『私なら……たとえ愛人待遇でも……』
ぽうっと赤く染まった頬に右手を当て、最後は消え入るような声でつぶやく小竜姫。その様子は(発言内容さえ無視すれば)なんともかわいらしく、とても竜神とは思えない。
この期に及んでのあまりの爆弾発言に沸く(「私だって!!」「それなら私も!!」『ふむ……悪くないな……』)室内で一人硬直していた美神だったが、我に返ると小竜姫に食ってかかった。
「じょ、冗談じゃないわ! あいつは私の───!!」
『それでいいんですよ、美神さん。お幸せにね』
「へ……?」
気勢をそがれた彼女に、小竜姫が微笑みかける。
その、妹を見守る姉のような笑顔に、彼女は小竜姫の意を悟った。
「あ……ありがと……」
彼女達の気持ちは痛いほど知っている。冗談に紛らわせてはいるが、本当は凄く切実なもの。
いくつもの戦いを通して、横島忠夫という男の本質に触れ、惚れこんでしまった彼女達。
だが、その想いを押し込めて、彼女達は祝福してくれるのだ。
美神は結局、それだけを言った。
同じ男を想う皆へ、感謝を込めて。
◇◆◇◆◇◆
「あら、横島クン。決まってるじゃない♪」
「ど、どうも……」
美智恵の誉め言葉を聞いても、横島は上の空だった。何せこの扉の向こうには、彼の妻となる女性がいる。
後ろで両家の親が挨拶を交わしているのを気にする余裕すらなく、彼は震える手でドアノブを握り───。
そして、それを回した。
ゆっくりと。
「横島さん、素敵……」
『よく似合ってますよ、横島さん』
ドアを開くなり、おキヌ、小竜姫他、部屋にいた面々の賞賛の言葉が降り注ぐ。
だが、なんとも勿体無いことに、それらの声は横島の耳に全く届いていなかった。
そもそも、彼女達の姿は横島の眼に入ってすらいない。
彼の眼は、一言も発することなくこちらを見つめる恋人に固定されていた。
彼の眼は、頬をかすかに染めた想い人の姿しか映し出していなかったのだ。
声を出すことすらままならないまま、時が流れる。
たっぷり数十秒が経過し、もうこれは暴れてしまってもいいだろうかなどという不穏な思考が周囲の女性陣に生まれはじめた頃。
美神は不意に視線をそらし、何事か呟いた。
「え、ええと、何ですか……?」
だが、横島には、彼女がなんと言ったのかわからなかった。
聞き返す横島に、美神がどもりながらようやく言葉を搾り出す。
「だ、だから。どう、コレ……?」
どう、と言われても。彼は困ってしまった。
なにせ、今の彼女は幻想的なまでに美しく、元々乏しい彼の語彙を、遥か彼方まで吹き飛ばしてしまったのだから。
彼にしてみれば、見つめる以外にできることがない。
「き……綺麗っス……。凄く……」
我ながら芸のない、もっと他に何か言えんのか、と頭の片隅で思ってはいたが、結局捻りだせたのはそれだけだった。
ようやく少し目に入るようになった周囲の女性達が、一様にため息をつき肩を落とすのが見えた。横島はいたたまれない思いになる。
だが、その何の変哲もない一言を聞いて、どこか不安げだった美神の表情がぱあっと明るくなった。
それはまるで、大輪の花が咲き誇るかのよう。
「本当!?」
「も、もちろんっス!」
「……ありがと。嬉しい」
そう言ってはにかんだように笑う美神を見て、横島はまたしても硬直してしまう。
だから彼は、
(このバカップルめ)
という皆からの視線を全身に浴びながら、それに気づくことすらなく突っ立っていた……。
◇◆◇◆◇◆
「新郎新婦の入場です!!」
パチパチパチパチ……
一斉に皆が拍手する中、二人は進んでゆく。
彼らを見ながら、西条は傍らの愛妻に囁いた。
「ふふふ、ガチガチじゃないか、横島君は。
相変わらず実力に格が伴わない男だね」
台詞とは裏腹に、彼の口調は暖かい。
いや、台詞それ自体も、新郎・横島忠夫、今や彼の弟のような存在である横島の力を、確かに認めるものであった。
「そこが横島さんのいいところなんじゃない」
彼の妻──西条めぐみ、旧姓魔鈴──はそう言って微笑んだ。
「……まさかとは思うが。君も、彼に惚れていたクチなのか?」
「あら、妬いてるのかしら?」
いたずらっぽい笑顔でそう言われ、彼はそっぽを向いてしまった。
そんな、彼女だけが知る彼の子供っぽい部分を目にして、めぐみはクスクスと笑った。
「ねえ、あんた」
「なんだ、百合子?」
「忠夫、立派になったねえ……」
息子を見守る母の目は、常のグレートマザーぶりからすれば別人のように、慈しみにあふれている。
彼女の脳裏には、生まれたときからの彼の成長の記憶が、今鮮やかに蘇っていた。
「そりゃ、俺とお前の息子だからな」
すました様子で答える大樹。そっけないその言葉からは、だが、確かに妻と息子への愛情が感じられる。
彼は不意に百合子の耳元へ口を近づけ、囁いた。
「あんな良い息子が一人だけなんて、もったいないとは思わんか?」
「……こんなときに何言ってんのよ、アホ……」
肘打ちにも、いつもの力がない。
実際、今年48になるはずの彼女は、外見だけならどう考えても30代前半にしか見えない。まるっきり現実味のない話ではなかったりするのだ。
若さを失わぬ愛妻が頬を染めてプイッと横を向くのを見て、大樹は満足げに、ニッと笑った。
「それでは、誓いのキスを」
唐巣の宣誓に従い、ぎこちなくキスを交わす二人。
割れるような拍手の中、ついに夫婦となった二人は、照れくさそうな笑みを浮かべていた。
◇◆◇◆◇◆
披露宴。
場はすでに宴会場と化していた。
誰が最初に提案したのか、カラオケセットなんぞが持ち出され、皆で大騒ぎしている。
「ったく……。人の結婚式を何だと思ってんのよ」
少々不満げに言ったのは、無論美神(本当は“横島令子”なのだが、この作品中では今まで通り“美神”と呼ぶことにする)。
そんな彼女に、横島は苦笑した。
「他の時だったら、中心になって騒いでるクセに……」
身に覚えがありすぎるだけに、美神は黙るしかなかった。
なかったのだが、やはり面白くはない。
ふと、横島の視線が彼女から皆へと移る。
「それに、俺は嬉しいですよ」
「えっ……?」
静かな、穏やかな彼の言葉に、美神は彼の顔を見上げた。
「こんなにもたくさんの仲間達が、俺達の結婚を祝福してくれるんです。
一人も欠けることなく、ね……」
一人も欠けることなく。
そのことが、彼にとってどれだけ大きな意味を持つのか、美神ですら完全にはわからない。
だが、そのことは彼にとって、この上もなく重要なことなのだろうということは想像に難くなかった。
美神にとってだけではない。あの大戦に関わったものなら、皆そうだろう。
“彼女”を失った傷は深い。あの時から、彼は仲間を失うことをひどく恐れるようになっていた。
「本当に……。泣きたくなる位嬉しいですよ。ああしてみんなが騒いでるのを見て、本当にそう思います」
彼の顔に浮かんだえらく大人びた微笑に、美神は見とれながらも少し悔しくなった。
まったく、最初は丁稚未満だったくせに、ほんの数年で自分をも凌ぐGSになり、精神的にもすっかり大人になってしまった。
いつだって、彼は自分の知らないところで成長していってしまうのだ。
(いつもいつも置いてくんじゃないわよ、バカ……)
そんな感情が何に由来するのか、彼女は正しく理解していた。
それは嫉妬。
今は亡き“彼女”への。
彼を変えた“彼女”、彼の中に今も眠る蛍の化身への、嫉妬。
美神は知っていた。
彼が変わったのは、自分の為ではないということを。
無論、ここ数年の努力は、彼自身がこっそり教えてくれたとおり、「美神さんと釣り合う男になりたかったから」なのだろう。
だが、変わり始めたきっかけは、間違いなく“彼女”だった───。
そんな一抹の寂しさを振り払おうと、彼女は憎まれ口を叩いた。
「あんた、いつまで敬語使ってんのよ?」
「誰のせいですか、誰の……」
八つ当たりに近い彼女の言葉も、彼は苦笑して受け止める。
そんな彼の優しさに、美神は胸の鼓動が加速するのを抑えることができずにいた。
彼の笑顔を見れば、どんな不満も綺麗に溶けてしまう。
(私、幸せだわ……本当に)
「ありがと、横島クン……」
隣に座る彼の耳にすら届かぬほどの小さな声で、彼女はそっと囁いた。
SS『求め合う二つの魂・2』(GS美神)
「ったく、みんな良く騒いだなー」
横島は思わず苦笑を漏らした。なにせふと気がついてみれば、彼以外のパ-ティの参加者は全て酔いつぶれるか疲れきったかして全員夢の世界に居るのだ。
途中から……というかかなり最初の段階から、バースデイパーティーにかこつけたお祭り騒ぎになっていたのは、この面子なら仕方がない。
魔鈴が、料理はもちろん酒も一切出し惜しみする事なく振舞っていたから、潰れるのが当たり前というものだ。
そう、唯一人の例外を除いて。
「あんたは全然平気そうじゃない」
それこそ全然平気そうな表情で声をかけてきたのは、長く彼の上司であり続け、現在は共同経営者であり師であり、そして……想い人である美神令子であった。
彼女は恐ろしくアルコールに強い。その酒豪っぷりは、「こいつホントに人間か?」という意味で、『美神の酒量、横島の蘇生力』と密かに並び称されるほどである。
人外の者たちまで含め死屍累々という有様の中、僅かに頬を上気させただけで済ませていた。
「俺は今日はあまり呑んでないんすよ。どうせ誰か介護役に回らなきゃならないと思ってましたし。正直、ここまで酷いとは思ってなかったんすけど……。
それより、美神さんも割と平気みたいですね」
「はぁ?私は美神令子よ?この程度で潰れるわけないでしょ?」
「はは、確かに」
それきり、両者共に言葉を発しない。
かといって、ぎこちない雰囲気ではない。
横島は店内を回って片づけをしながら、美神はワイングラスを片手に頬杖ついてそれを眺めながら。
大切な仲間達の寝息(時々呻き)の中、穏やかな時を過ごしていた。
そんな平穏を、横島はあえて破る。
「あの、美神さん?」
「何?」
「ちょっと……いえ、大事な話があるんですが」
「……今はみんな寝てるけど。それでもここじゃ話し辛いことなの?」
横島の普段通りの、それでいて明らかに解る程に緊張感を漂わせた表情に、彼女は“何か”を感じ取ったらしかった。
「えぇ、まぁ……」
言葉を濁す横島というのは珍しい。いや、セクハラを働いて言い訳に困っている姿は見飽きるほどに見ているが、そうでなく言葉を選ぶような態度を見せることは稀だ。
それで不意に、美神は彼の“話”の内容がなんとなく解ったような気がした。
自然、胸の鼓動が早まる。
それを何とか押し隠し、彼女は横島を誘った。
「じゃ、少し外で歩こうか? 身体も火照っちゃってるし、少し夜風にあたりましょ」
◇◆◇◆◇◆
「う~~ん、涼しくって気持ちイイわねー♪」
大きく伸びをする美神。
二人は、少し歩いた処にある小さな児童公園に来ていた。
もう夜も遅く、彼らの他には誰一人居ない。
「で、何なの? 大事な話って」
「え、えぇ……」
どうにも歯切れが悪い。困ったような表情が、公園のあまり明るいとは言えない電灯の下でも、はっきりと確認できた。
「あの……ですね、美神さん。
えっと、その……。お、俺はその、美神さんより3つも年下のガキですし、少しは成長したっつってもまだ時々ポカやって足引っ張っちゃうし、スケベなのも前と比べりゃマシになったけど相変わらずだし……」
それでも、ようやく横島は話を切り出した。
だが、緊張ゆえだろうか。彼の言葉はあちこちに飛び、全く要領を得ない。際限無く続く自虐的な彼の言葉に、美神は少々呆れてしまった。
(まったくコイツは……)
同時に、笑いがこみ上げてくる。そう、横島はそういうやつだ。美神はなんとなく愉快な気分になった。
彼女は一歩彼の方へ寄った。なおも喋り続けようとする彼の目の前に人差し指を立てて突き出す。
「!?」
横島はかなり動揺している。どうやら、話すのに集中していて、先程から彼女の姿は眼に入っていなかったようだ。
そんな彼に、美神は意識して仏頂面を作り、言った。
「このアホ。アンタの欠点なんて、こっちはとっくに知ってるのよ。一体何年付き合ってると思ってるの?
自分のことばっか言ってないで、さっさと言いたい事言いなさい」
そんな彼女を横島は目を丸くして見詰めていたが……ふっ、と息を吐き、吸って、改めて彼女の方へと向き直る。
「はい」
あらかじめ考えていた言葉がいくつもあったはずなのに、それらは今、彼の意識の中で、何の形も成していなかった
真っ白になった頭の中で、横島はしかし、不思議なほどに落ち着いていた。
──自分の想いを素直に伝えよう。それが一番だ。
彼の、彼女との思い出、彼女への想いの全てを込めて、彼は言った。
彼が、本当に伝えたかった言葉を。
「美神さん。俺と、結婚して下さい」
そのまま、真っ直ぐに彼女の美しい瞳を見つめる。
永遠にも思える一瞬の後。
美神の唇が言葉を紡ぐ。
「もう一声」
「……はぁ?」
体がカクンと傾く。
もう一声? なんじゃそりゃ。
彼も、ひょっとしたら断られてしまうかもしれない、ということは考えていた。融合によって知った彼女の心が、変わらないという保証はないのだ。
想像力たくましく、自分がふられる情景など思い浮かべて、悩んだりもしてきた。
だが。
完全に予想外だった。
もう一声……?
「あ、あの」
「あんたみたいのと一緒になろうってのよ? そんな、結婚して下さいって言われてすぐはいそうですねって結婚できる訳無いでしょ?」
美神は早口で捲し立てる美神に、横島は落ち込む暇すらなく呆然とした。
美神が心なしか嬉しそうな表情なのにも、彼は気づかない。まるで予想もしなかった事態に、動転するばかりだ。
「い、いや、そうかもしれないっスけど……」
意味も無い言葉を何とか挟むことに成功する。
すると美神が顎に手を当て、何かを考えるような様子を見せた。
「そうねぇ、私以外の女に声掛けたりしたら半殺し、浮気なんてしたら魂ごと抹殺されても文句は言わないって約束できるなら別にいいわよ?」
あんまりといえばあんまりな内容に、美神が結婚を承諾したことにも気づかずに、横島は憤然とした。
「ちょ、ちょっと、美神さん!! 俺を一体何だと!?」
「横島忠夫。三界一の色欲魔人。永遠の煩悩少年」
間髪入れずに放たれたあまりにも厳しくあまりにも正しすぎる評価に、横島はグサッとダメ-ジを受けてしまう。
そのまま、彼は美神に背を向け地面に座り込んでいじけ始めた。
「ど~せ。ど~せ俺なんか……」
プロポーズなんていう人生の一大事においてすらあまりにも自分達らしい光景に、美神は幾分苦笑した。
そして彼に近づくと、後ろからそっと抱きしめる。
ビクッと横島が反応するのを、服ごしに感じながら、美神も自分の本心を伝えた。
「でも。誰よりも強くて、誰よりも優しくて。
私の、最高のパートナー」
「み……か……?」
「ホラ、立ちなさいよ」
美神は横島を立ち上がらせると、続ける。今日の今日まで頑固に認めず、ようやく素直に出せる、自分の想いを込めて。
「凄いことだと思わない? 千年前、魔族として生まれた私の最初の客が偶然あんたの前世で。
ホントに偶然一緒に行動することになって、あんたのこと好きになって。
千年も経ってから、まったく同じ時代、同じ場所に生まれて。その上、偶然あんたに逢えて、何年も一緒に馬鹿やってきて……」
「…………」
「そして、こうしてプロポ-ズしてもらえて……」
またしても予想だにしていなかった彼女の言葉に、横島はただ黙って聞き入っていた。
「こんな奇跡に近い幸運……。絶対に逃がさないわよ!?」
その言葉はどこまでもカッコ良く、あくまでも彼女らしかった。
「それじゃ」
ようやく彼女の言葉を理解した横島の顔が、喜びに彩られる。
そんな、誰よりも愛しい彼へむかって、美神ははにかんだような笑みを浮かべる。
「これからよろしくね、横島クン」
「その、本当に良いんですよね?」
「……あのね。この私にここまで言わせといて、まだそんな事言うの、あんたは?」
「いやだってほら、なんか今一つ信じられなくって……」
横島のコンプレックスも相当なものだ。美神は苦笑した。
(ま、全部とは言わないまでも、かなりの部分私が悪いんだけどね)
改めて自分が彼にしてきたことを思い出すと、正直酷いことをしてきたなと思う。
それでも着いてきてくれた彼への感謝の念が込み上げた。
ただ、言葉にするのは流石に抵抗があった。一度区切りがついてしまったので素直に気持ちを口にすることに致命的に不慣れな彼女は、今までありがとうと言うことすらできない。
仕方がない。彼女は行動で示すことにした。
……それだって、かなりの勇気を必要としたのが。
「美神さんがホントに俺なんかの……んむっ!?」
突如唇を塞いだやわらかな感触に、横島は固まってしまった。
22歳と25歳にもなってどこかぎこちない、二人のファ-スト・キス。
ワタワタと意味も無く動かしていた横島の両腕が、やがて想い人の背へと回される。
一度離れた後、今度は彼の方からキスを返した。
想いを確かめ合う為に。
「……これで信じた?」
「……はい」
照れくさそうに微笑みあう二人を、月の光が優しく照らし出していた。
◇◆◇◆◇◆
「そ、それじゃ、そろそろ戻りましょっか」
「そ、そうね。そろそろ誰か起きてるかもしれないし……」
今更ながらに自分達の会話を思い出し、真っ赤になってしまう二人。
お互いの顔もろくに見られないまま、公園を去ろうとした、その時。
「その必要はね-ぜ、お二人さん!!」
「「え?」」
彼らは顔を見合わせた。どうやら彼らの知り合いの雪之丞の声のようだが、そんな筈はない。彼は、未だ店で眠っているはずだ。
してみると、これは極度の緊張から引き起こされる幻聴か何かなのか?
それとも、自分達とは関係ない人物が、自分達とは無関係な話題の中でたまたま叫んだだけなのだろうか。うん、むしろその方がありそうだきっとそうに違いないあははははー。
そうやって二人は一生懸命現実を否定しようとしていた。
だが、自分を騙そうとする行為は大抵の場合なかなかに困難であるし……結局のところ、まるで無意味だったのである。
二人は、強制的に現実を認識させられた。
「「「『『『婚約おめでとう(ございます/でござる/なのね~/etc、etc……)!!!』』』」」」
その場にいた全員が、綺麗に声をそろえて祝福する。
そう、全員。
横島の誕生日のパ-ティに参加した者達が、一人の例外もなく集まっているのだ。
「ちょ……一体何なのよ!」
「お、俺にも何がなんだか」
混乱する二人。どうして酔いつぶれていた皆が、この場に居るのか?
いや、それはともかく、ひょっとして───。
「アンタの文珠、やっぱ凄いわねー」
「タ、タマモ!?」
「タマモの幻術を先生の『幻影』の文珠で強化して、皆が酔いつぶれたように見せかけたんでござる!!」
「シ、シロ!?」
「その後、『陰形』の文珠で気配を隠してついてきたんですよ」
「おキヌちゃんまで……」
それで、彼らは知りたくなかった事実を知った。
「……ってことは何か?」
「全部見てたわけ?一番初めから?」
こくっ
またしても全員がそろって、今度は頷く。
人の悪い笑みを浮かべる者、申し分けなさそうにする者と、その表情は必ずしも一致していなかったが。
恥ずかしさのあまり真っ赤になりながらも、横島は仲間達を問い詰めた。
「ちょっと待ってくれ!!俺は誰にも今夜の事言ってね-ぞ!!」
『私の目は誤魔化せないのね~』
そんな横島を、クスクス笑いながら見ているヒャクメ。
「「こんな時だけ役に立つなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」」
「あら、息ピッタリ」
横島と美神、二人の絶叫。美智恵がのほほんとコメントするが、気にするだけの精神的余裕などどこにもないのである。
何といっても、あれほどの場面を見られてしまったのだ。
ウブな二人にしてみれば、もう地面に穴を開けてその中へ入ってしまいたいという心境だった。
だが、まるでそれを合図にしたかのように、仲間達が容赦無く駆け寄ってくる。
『美神さん、ようやく素直になれましたね』『フン、やっと収まる所に収まった訳か』
「横島、良くやった!! 流石は俺のライバルだ!!」「横島サン、わしゃあ感動ですジャ-!!」
「横島さん、お式はぜひ先生の教会で挙げて下さいね!!」「おめでと~令子ちゃん~。お式には~ちゃんと呼んでね~?」
「これからは“GSエミ・極楽大作戦!!”だから。安心して引退するワケ。」
「ふっふっふっ。マリア。またしてもタダ飯にありつけそうじゃのう?」「ドクタ-・カオス。それは・問題・発言・です」
もうこうなったら誰も止められない。祝福の嵐と、どう考えてもそれをダシに騒いでいるとしか思えない友人達の態度。
その真ん中で。
「何でこ-なるのよーっ!!」
「こんなんばっかしやがなーっ!!」
千年の時を超えてようやく心を通じあわせた恋人達の、かなり本気で泣きの入った魂の叫びが、上がった。
横島は思わず苦笑を漏らした。なにせふと気がついてみれば、彼以外のパ-ティの参加者は全て酔いつぶれるか疲れきったかして全員夢の世界に居るのだ。
途中から……というかかなり最初の段階から、バースデイパーティーにかこつけたお祭り騒ぎになっていたのは、この面子なら仕方がない。
魔鈴が、料理はもちろん酒も一切出し惜しみする事なく振舞っていたから、潰れるのが当たり前というものだ。
そう、唯一人の例外を除いて。
「あんたは全然平気そうじゃない」
それこそ全然平気そうな表情で声をかけてきたのは、長く彼の上司であり続け、現在は共同経営者であり師であり、そして……想い人である美神令子であった。
彼女は恐ろしくアルコールに強い。その酒豪っぷりは、「こいつホントに人間か?」という意味で、『美神の酒量、横島の蘇生力』と密かに並び称されるほどである。
人外の者たちまで含め死屍累々という有様の中、僅かに頬を上気させただけで済ませていた。
「俺は今日はあまり呑んでないんすよ。どうせ誰か介護役に回らなきゃならないと思ってましたし。正直、ここまで酷いとは思ってなかったんすけど……。
それより、美神さんも割と平気みたいですね」
「はぁ?私は美神令子よ?この程度で潰れるわけないでしょ?」
「はは、確かに」
それきり、両者共に言葉を発しない。
かといって、ぎこちない雰囲気ではない。
横島は店内を回って片づけをしながら、美神はワイングラスを片手に頬杖ついてそれを眺めながら。
大切な仲間達の寝息(時々呻き)の中、穏やかな時を過ごしていた。
そんな平穏を、横島はあえて破る。
「あの、美神さん?」
「何?」
「ちょっと……いえ、大事な話があるんですが」
「……今はみんな寝てるけど。それでもここじゃ話し辛いことなの?」
横島の普段通りの、それでいて明らかに解る程に緊張感を漂わせた表情に、彼女は“何か”を感じ取ったらしかった。
「えぇ、まぁ……」
言葉を濁す横島というのは珍しい。いや、セクハラを働いて言い訳に困っている姿は見飽きるほどに見ているが、そうでなく言葉を選ぶような態度を見せることは稀だ。
それで不意に、美神は彼の“話”の内容がなんとなく解ったような気がした。
自然、胸の鼓動が早まる。
それを何とか押し隠し、彼女は横島を誘った。
「じゃ、少し外で歩こうか? 身体も火照っちゃってるし、少し夜風にあたりましょ」
◇◆◇◆◇◆
「う~~ん、涼しくって気持ちイイわねー♪」
大きく伸びをする美神。
二人は、少し歩いた処にある小さな児童公園に来ていた。
もう夜も遅く、彼らの他には誰一人居ない。
「で、何なの? 大事な話って」
「え、えぇ……」
どうにも歯切れが悪い。困ったような表情が、公園のあまり明るいとは言えない電灯の下でも、はっきりと確認できた。
「あの……ですね、美神さん。
えっと、その……。お、俺はその、美神さんより3つも年下のガキですし、少しは成長したっつってもまだ時々ポカやって足引っ張っちゃうし、スケベなのも前と比べりゃマシになったけど相変わらずだし……」
それでも、ようやく横島は話を切り出した。
だが、緊張ゆえだろうか。彼の言葉はあちこちに飛び、全く要領を得ない。際限無く続く自虐的な彼の言葉に、美神は少々呆れてしまった。
(まったくコイツは……)
同時に、笑いがこみ上げてくる。そう、横島はそういうやつだ。美神はなんとなく愉快な気分になった。
彼女は一歩彼の方へ寄った。なおも喋り続けようとする彼の目の前に人差し指を立てて突き出す。
「!?」
横島はかなり動揺している。どうやら、話すのに集中していて、先程から彼女の姿は眼に入っていなかったようだ。
そんな彼に、美神は意識して仏頂面を作り、言った。
「このアホ。アンタの欠点なんて、こっちはとっくに知ってるのよ。一体何年付き合ってると思ってるの?
自分のことばっか言ってないで、さっさと言いたい事言いなさい」
そんな彼女を横島は目を丸くして見詰めていたが……ふっ、と息を吐き、吸って、改めて彼女の方へと向き直る。
「はい」
あらかじめ考えていた言葉がいくつもあったはずなのに、それらは今、彼の意識の中で、何の形も成していなかった
真っ白になった頭の中で、横島はしかし、不思議なほどに落ち着いていた。
──自分の想いを素直に伝えよう。それが一番だ。
彼の、彼女との思い出、彼女への想いの全てを込めて、彼は言った。
彼が、本当に伝えたかった言葉を。
「美神さん。俺と、結婚して下さい」
そのまま、真っ直ぐに彼女の美しい瞳を見つめる。
永遠にも思える一瞬の後。
美神の唇が言葉を紡ぐ。
「もう一声」
「……はぁ?」
体がカクンと傾く。
もう一声? なんじゃそりゃ。
彼も、ひょっとしたら断られてしまうかもしれない、ということは考えていた。融合によって知った彼女の心が、変わらないという保証はないのだ。
想像力たくましく、自分がふられる情景など思い浮かべて、悩んだりもしてきた。
だが。
完全に予想外だった。
もう一声……?
「あ、あの」
「あんたみたいのと一緒になろうってのよ? そんな、結婚して下さいって言われてすぐはいそうですねって結婚できる訳無いでしょ?」
美神は早口で捲し立てる美神に、横島は落ち込む暇すらなく呆然とした。
美神が心なしか嬉しそうな表情なのにも、彼は気づかない。まるで予想もしなかった事態に、動転するばかりだ。
「い、いや、そうかもしれないっスけど……」
意味も無い言葉を何とか挟むことに成功する。
すると美神が顎に手を当て、何かを考えるような様子を見せた。
「そうねぇ、私以外の女に声掛けたりしたら半殺し、浮気なんてしたら魂ごと抹殺されても文句は言わないって約束できるなら別にいいわよ?」
あんまりといえばあんまりな内容に、美神が結婚を承諾したことにも気づかずに、横島は憤然とした。
「ちょ、ちょっと、美神さん!! 俺を一体何だと!?」
「横島忠夫。三界一の色欲魔人。永遠の煩悩少年」
間髪入れずに放たれたあまりにも厳しくあまりにも正しすぎる評価に、横島はグサッとダメ-ジを受けてしまう。
そのまま、彼は美神に背を向け地面に座り込んでいじけ始めた。
「ど~せ。ど~せ俺なんか……」
プロポーズなんていう人生の一大事においてすらあまりにも自分達らしい光景に、美神は幾分苦笑した。
そして彼に近づくと、後ろからそっと抱きしめる。
ビクッと横島が反応するのを、服ごしに感じながら、美神も自分の本心を伝えた。
「でも。誰よりも強くて、誰よりも優しくて。
私の、最高のパートナー」
「み……か……?」
「ホラ、立ちなさいよ」
美神は横島を立ち上がらせると、続ける。今日の今日まで頑固に認めず、ようやく素直に出せる、自分の想いを込めて。
「凄いことだと思わない? 千年前、魔族として生まれた私の最初の客が偶然あんたの前世で。
ホントに偶然一緒に行動することになって、あんたのこと好きになって。
千年も経ってから、まったく同じ時代、同じ場所に生まれて。その上、偶然あんたに逢えて、何年も一緒に馬鹿やってきて……」
「…………」
「そして、こうしてプロポ-ズしてもらえて……」
またしても予想だにしていなかった彼女の言葉に、横島はただ黙って聞き入っていた。
「こんな奇跡に近い幸運……。絶対に逃がさないわよ!?」
その言葉はどこまでもカッコ良く、あくまでも彼女らしかった。
「それじゃ」
ようやく彼女の言葉を理解した横島の顔が、喜びに彩られる。
そんな、誰よりも愛しい彼へむかって、美神ははにかんだような笑みを浮かべる。
「これからよろしくね、横島クン」
「その、本当に良いんですよね?」
「……あのね。この私にここまで言わせといて、まだそんな事言うの、あんたは?」
「いやだってほら、なんか今一つ信じられなくって……」
横島のコンプレックスも相当なものだ。美神は苦笑した。
(ま、全部とは言わないまでも、かなりの部分私が悪いんだけどね)
改めて自分が彼にしてきたことを思い出すと、正直酷いことをしてきたなと思う。
それでも着いてきてくれた彼への感謝の念が込み上げた。
ただ、言葉にするのは流石に抵抗があった。一度区切りがついてしまったので素直に気持ちを口にすることに致命的に不慣れな彼女は、今までありがとうと言うことすらできない。
仕方がない。彼女は行動で示すことにした。
……それだって、かなりの勇気を必要としたのが。
「美神さんがホントに俺なんかの……んむっ!?」
突如唇を塞いだやわらかな感触に、横島は固まってしまった。
22歳と25歳にもなってどこかぎこちない、二人のファ-スト・キス。
ワタワタと意味も無く動かしていた横島の両腕が、やがて想い人の背へと回される。
一度離れた後、今度は彼の方からキスを返した。
想いを確かめ合う為に。
「……これで信じた?」
「……はい」
照れくさそうに微笑みあう二人を、月の光が優しく照らし出していた。
◇◆◇◆◇◆
「そ、それじゃ、そろそろ戻りましょっか」
「そ、そうね。そろそろ誰か起きてるかもしれないし……」
今更ながらに自分達の会話を思い出し、真っ赤になってしまう二人。
お互いの顔もろくに見られないまま、公園を去ろうとした、その時。
「その必要はね-ぜ、お二人さん!!」
「「え?」」
彼らは顔を見合わせた。どうやら彼らの知り合いの雪之丞の声のようだが、そんな筈はない。彼は、未だ店で眠っているはずだ。
してみると、これは極度の緊張から引き起こされる幻聴か何かなのか?
それとも、自分達とは関係ない人物が、自分達とは無関係な話題の中でたまたま叫んだだけなのだろうか。うん、むしろその方がありそうだきっとそうに違いないあははははー。
そうやって二人は一生懸命現実を否定しようとしていた。
だが、自分を騙そうとする行為は大抵の場合なかなかに困難であるし……結局のところ、まるで無意味だったのである。
二人は、強制的に現実を認識させられた。
「「「『『『婚約おめでとう(ございます/でござる/なのね~/etc、etc……)!!!』』』」」」
その場にいた全員が、綺麗に声をそろえて祝福する。
そう、全員。
横島の誕生日のパ-ティに参加した者達が、一人の例外もなく集まっているのだ。
「ちょ……一体何なのよ!」
「お、俺にも何がなんだか」
混乱する二人。どうして酔いつぶれていた皆が、この場に居るのか?
いや、それはともかく、ひょっとして───。
「アンタの文珠、やっぱ凄いわねー」
「タ、タマモ!?」
「タマモの幻術を先生の『幻影』の文珠で強化して、皆が酔いつぶれたように見せかけたんでござる!!」
「シ、シロ!?」
「その後、『陰形』の文珠で気配を隠してついてきたんですよ」
「おキヌちゃんまで……」
それで、彼らは知りたくなかった事実を知った。
「……ってことは何か?」
「全部見てたわけ?一番初めから?」
こくっ
またしても全員がそろって、今度は頷く。
人の悪い笑みを浮かべる者、申し分けなさそうにする者と、その表情は必ずしも一致していなかったが。
恥ずかしさのあまり真っ赤になりながらも、横島は仲間達を問い詰めた。
「ちょっと待ってくれ!!俺は誰にも今夜の事言ってね-ぞ!!」
『私の目は誤魔化せないのね~』
そんな横島を、クスクス笑いながら見ているヒャクメ。
「「こんな時だけ役に立つなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」」
「あら、息ピッタリ」
横島と美神、二人の絶叫。美智恵がのほほんとコメントするが、気にするだけの精神的余裕などどこにもないのである。
何といっても、あれほどの場面を見られてしまったのだ。
ウブな二人にしてみれば、もう地面に穴を開けてその中へ入ってしまいたいという心境だった。
だが、まるでそれを合図にしたかのように、仲間達が容赦無く駆け寄ってくる。
『美神さん、ようやく素直になれましたね』『フン、やっと収まる所に収まった訳か』
「横島、良くやった!! 流石は俺のライバルだ!!」「横島サン、わしゃあ感動ですジャ-!!」
「横島さん、お式はぜひ先生の教会で挙げて下さいね!!」「おめでと~令子ちゃん~。お式には~ちゃんと呼んでね~?」
「これからは“GSエミ・極楽大作戦!!”だから。安心して引退するワケ。」
「ふっふっふっ。マリア。またしてもタダ飯にありつけそうじゃのう?」「ドクタ-・カオス。それは・問題・発言・です」
もうこうなったら誰も止められない。祝福の嵐と、どう考えてもそれをダシに騒いでいるとしか思えない友人達の態度。
その真ん中で。
「何でこ-なるのよーっ!!」
「こんなんばっかしやがなーっ!!」
千年の時を超えてようやく心を通じあわせた恋人達の、かなり本気で泣きの入った魂の叫びが、上がった。