「俺は、本気だよ」
少しずつ、私に近づく河村さん。
どんな噂話を聞いても、動じないように覚悟をしていた。
想いも冷め始めた相手だから、それほどのダメージは受けないと思っていたのだが、そうでもない。
裏切られているかもしれない、疑惑という名のナイフは、私の胸を抉るように突き刺さったまま。
片想いの相手に恋人が出来たという、一人相撲の衝撃とはまた別の、“裏切り”という、根深く暗いドロドロとした感情が渦巻く。
「俺にしなよ。・・・いつも傍にいるから」
私を囲うように壁に手をつき、逃れられないようにする。
こんな事が、以前にも―― そう。あの時・・・。
あの時は、もっと薄暗くて、目の前には、この世で一番好きな人がいた。
頭の中で勝手に、想い出の場所へとスライドしていく。
全然違う。
そのセリフを、あの時、あの人が言ってくれていたら・・・。
顔は、何処も似ていない。低い声が、少しだけ・・・似ていない事もない。
けれど、どうしたって別人だ。
それなのに、河村さんと井沢さんが、この時一瞬だけ、私の中で重なった。
目に映っていた河村さんが、滲んで見えなくなった。
自分は泣いているのだと、ようやく気付いた。
・・・涙が伝う頬に、河村さんの手が触れたから。
手の温かさに、我に返った。でも、もう遅くて・・・。
一度隙を見せた私に、河村さんは強く出てきた。
泣き顔を胸に引き寄せられ、そのまま腕に包まれる。
私は、本当に、どうかしていた。
今回の飲み会を計画したのは、河村さんだったという話を、彼の腕の中で聞いていた。
嫌な言い方だが、以前から私を気にいっていたらしく、「彼女に・・・と思っていた」と言う。
萩野さんに相談(?)したとも言っていた。萩野さんも既婚者になる頃だったし、妻以外に由里ちゃんという彼女がいるから、そういう相談がしやすかったのだろう。
私も随分と軽く見られたものだけれど、変な感情が湧いた事も事実だった。
河原さんにとってみれば、遊び目的だという事が明白だけど、それでも、“女”という部分を求められている。――嫌悪を抱きながら、“女”の部分を少しだけ刺激された。
「堕ちる女」と、「堕ちない女」の差・・・分岐点は、この辺りだろうか。
完全な弱みを見せてしまった私に、河村さんは甘い言葉を投げてくる。
扉一枚隔てた向こうでは、本物のラブシーンをしている2人がいて・・・。
タイミリミットまで、もうあと僅か。
私はまだ、河村さんと抱き合っているだけ。でも、こんなところを見られたら、それ以上に勘違いしない方がおかしいだろう。――でも、まだ、その胸に縋ってはいない。
「私には、その気は無い」と、言葉にしなければ・・・。
解っているのに、振りほどけない。恋人の岩田さんにさえ、もう、そんな風に強く抱きしめられていない。
私は変に意地を張ってばかりで、強がって、全然可愛い彼女ではなかった。だから、愛想を尽かされるのも無理はないのかな。
弱っているところに、優しい言葉。心地が良い事には違いない。
例えば、このまま流されたとして―― 見ず知らずの人なら、束の間と割り切れるかもしれないが、嫌でも毎日会う人となど、とんでもない事だ。
一瞬の間で秤にかけ、私は、河村さんの胸を押し返した。
「私が優しくされたいのは、貴方ではないんです」
次に顔を上げた時には涙は止まり、浮かんだ言葉を、そのまま口にしていた。
河村さんは、苦笑を浮かべて、壁に凭れる。
「やっぱり、椎名さんは無理だったか。・・・残念だな」
空気を和らげようと、軽い調子で言った彼が、こう付け加える。
「でも、岩田くんとは、別れた方が良いと思うよ。――俺の勘」
「・・・うん。忠告、ありがとうございます」
フロントからの電話で弾かれ、我に返った部屋の中の2人が、私達を探しに扉を開けたのは、この直後の事だった。
・「この人誰?」と思ったら → 登場人物
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