沢山のblogの中から
出会ってくれてありがとうございます。
義実家に日帰り帰省しました。
私は、いつもmocaも連れて行きます。
単に私が一緒にいたいからです。
( 花菖蒲園をお散歩♪)
義実家で昼食を取りながら
「mocaは幼い時の我が子と同じ」
と、義母と雑談していたら。。。
「mocaが死ぬ時一緒に死なんといけんなぁ」
と義母がサラッと一言。
キター!!
mocaが死ぬ時
=喪失に耐えられず私も死ぬ(苦笑)
義母はいつも冗談のつもりですが
真顔で、強めの口調で言うので
ちょっとした嫌味、意地悪さを感じるのです。
またそんな言い方する。。。
長年の付き合いで慣れてはいますが
グサッと刺されるのは、変わりません。
(平安な昼食タイム⁈を期待して持って行った稲荷蕎麦⬆️)
人との会話で、冗談の中に入る範囲
例えば...
○経済的なこと
○容姿に関すること
(身長や体重など身体の特徴)
○学歴や年齢
○結婚や子供の有無
○病気や生死に関すること
冗談に使ってもよい言葉の基準は
それぞれ違うと思います。
私は私なりに基準を持っています。
義母には義母の基準。
(あまり考えてなさそうだけど...)
私の考える冗談の範囲
=冗談で使って良い言葉の範囲と
義母の冗談の範囲が違うことは
結婚した時から感じていました。
今更、義母が変わらないこと
私も、完全には慣れないこと
お互い様だと理解しています。
その上で、こう言う場合
どっちが正しい、間違ってる
鈍感過ぎる、敏感過ぎる
合っている、ズレている
常識、非常識
の議論ではないんだと思わされます。
以前の私は、生意気にも
分別があるはずの年長者なのに、と
義母の常識、品性を疑っていました。
(完全に自分の正しさに立っていました)
でも、今は
ただの違いなだけ、と
自分の感じた気持ちも
義母の性格も
両方受け止められるようになりました。
今日も、言われた瞬間は黙って
「悪気はないんだから」と
心の中で呪文のように⁈繰り返し
黙った私に気づいた義母は
フォローし始め。。。
結局、帰りは平安に帰れました。
⬆️この繰り返しをする私たち(苦笑)
大切なのは
違いを理解した上で
関係を保つために
歩み寄ることを諦めない気持ちがあるかどうか
なのです。
私と義母は、まさにこれでした。
過去記事(義母とのエピソード)
でも。。。違う場合もあります。
あの人がおかしい
悪気がないから別にいいじゃない
傷つけるつもりはないんだから
一生付き合うつもりはないから
と、どちらかが頑なな場合は
早く距離を取ることです^_^
人間関係は、相互作用だからです。
過去記事(関係を諦めたエピソード)
聖書にこのような言葉があります⬇️
「できる限り仲良くしなさい」
別訳では
「できれば、せめて」
神様は、優しい方ですね♡♡
何が何でも、絶対に仲良くしなさい!
とは仰らない。
結果、結論ではなくて
私たちが最大限の努力をしたかどうか
どのような心でベストを尽くしたか
を見てくださるんですね。
この言葉は
私たち人間の弱さをご存じだからこそ、の
神様の愛の言葉です。
「出来れば、せめて」
だったら、これからも頑張ってみよう!
と思える私なのです。
皆さまは、いかがですか?(^^)
長くなりましたが
最後まで読んで頂きありがとうございます。
あなたは、愛されるために生まれた人です。