沢山のblogの中から
出会ってくれてありがとうございます。
大分は、ここ数日
梅雨の合間の晴天が続いています。
先月、梅雨入りしてから
何故かずっとこの言葉が胸にあります。
(単に雨だから、かな⁈)
「雨天の友」
(この時期に咲く菖蒲は、雨が似合う)
昔からある慣用句と思いきや、、、
50年前の三木武夫元首相の
演説の時の言葉が出典だそうです。
(初耳!)
演説内容を抜粋すると、、、
⬇️
「人には2種類の友人がおり、
晴天の友と雨天の友」
晴れたとき(羽振りが良いとき)には
多くの方が集まってくるが、
しかし一旦雨が降る(貧乏)と、
水が引くように自分のまわりから去って行く。
どちらも友には間違いないが、
長続きする友は「雨天の友」であり、
大事にしていきたい友、
一生付き合っていきたい友は「雨天の友」である。
[雨天の友]こそ「真の友」であり、
「真逆(まさか)の友」である。
自分の人生の歩みの中で
沢山の雨天の友を思い出しました。
失恋した時、黙って傍にいてくれた友
夢を追って上京中、うまく行かない時に
応援してくれた恩師
まさかの試練が訪れた時、一緒に泣いてくれた友
1年弱の付き添い入院中、LINE等ない時代に、病院に手紙を送り続けてくれた友
↑当時祈れない私に代わって、泣きながら祈ってくれた教会の方々
人生の嵐の最中、一緒に嵐を耐えた人...
人生には晴れた日もあり
雨の日も嵐の日もあります。
私たちが過去を振り返った時
一番思い出すのは
何も問題がなく、楽しくて
充実していて、幸せな時でしょうか?
いいえ、むしろ
人生の雨と嵐の時
大変だった時ではないでしょうか。
(晴れた日の夕焼けは燃えている!)
その時にこそ、真の友
そして、何より
私を決して見捨てない神様の愛
を見出すのですね。
雨天の友、とは
何と良く表現された言葉でしょうか!
一方、聖書では
悲しみを共にすることだけじゃなく
喜びも共にすることを勧めます。
なぜなら、私たち人間は
人の不幸や悲しみには
心を寄せやすいのですが
人の喜び
=合格、成功、出世、結婚、繁栄など
には、入りにくい者だからです。
自分が満たされていない時
大きな試練や喪失感の中にいる時
は、特にそうではないでしょうか?
でも、そんな時にこそ
相手の祝福を祈ることが出来たら。。。
「○○さんを祝福します」
とても難しいことですが
この言葉を祈る時に
私たちの心の中で
愛が育っていくのです。
誰かにとっての
悲しみの友=雨天の友
喜びの友=晴天の友
両方の友にならせて頂きたいな
喜びに入りにくい
自分の心に向き合いながら
小さな願いを抱く今の私です。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。
あなたは、愛されるために生まれた人です。