まだだ、まだおわらんよ・・・ -25ページ目

聖林寺の十一面観音菩薩立像、まほろば安寧号展示レプリカの実物に会いに行く

河内国分から近鉄電車に乗って、

 

桜井駅北口、今回の目的地は駅の南側にあるので、

 

そのまま跨線橋を渡って南口へ、

 

バス乗り場の案内があります、3キロ弱くらいの距離なのでいつものごとく歩いて行きます、

 

この中で一番上と下の

大神神社と長谷寺については以前ここで紹介していますが今回はそのどちらでもなく…ってすでに表題に行き先を書いちゃってますけど。

 

そういえば最近バスにはほとんど乗らないですね、以前の阪急ちいかわラッピングといった車内装飾のある車両でもなければ、

 

以前は距離の長短にかかわらず現地まで自家用車で直接乗り付けていましたが運動不足の解消とともに途上の見落としがちな風景、川や橋、道端にある碑、花に昆虫、ときには美味しいカフェや新たな電車の撮影ポイントといった小さな発見があることに味をしめた今は歩くようになりました。

 

現実的な部分でもひとり移動で高速代+燃料費と電車賃を天秤にかけた場合座席指定に乗ってもお釣りがくること、また現地に停めるスペースが無かったり満車や渋滞の心配もない、そんなわけで今では専ら家から概ね10キロ圏内の駅前パーキング(駅は行き先によって適宜変更)から電車移動というスタイルになっています。

 

南口の方に出ました、JR万葉まほろば線のホームが南側にあるためかこちら側は近鉄の文字が極小に、

 

場面は一気に飛んで2キロほど進んだところで

奥に大きな鳥居が見えてきました、お寺なのに鳥居?

 

この鳥居は聖林寺とは関係なくこちらもバス乗り場の案内にあった談山神社の大鳥居、

こちらの談山神社まではここからまだ5キロ先とずいぶんと離れています。

 

聖林寺橋、川の名前は大和川支流の寺川、橋の袂に石灯篭、愛宕山とあります

 

万葉歌碑、椋橋の山を高みか夜ごもりに出で来る月の光ともしき、

 

椋橋山(倉梯山)が高いので月が出るのも遅く光も乏しく心細いといったことを詠んだ歌、

詠み人は奈良時代の女性歌人である間人宿禰大浦、

 

宿禰は八色の姓という当時の階級に応じた敬称で、上から真人、朝臣、宿禰…

ここで思いつくのが真人に両面宿禰、呪術廻戦の呪霊のネーミングはここからきているようですね。

 

横には以前朝倉小学校の校門前で見た柿本人麻呂のこもりくの歌碑にもあったロマンラリーのワードの立て札も、

 

門の前まで来ました、石垣の上にあって山城の城門のような佇まいです。

 

門をくぐると正面に十三重の石塔、

 

中庭も奇麗です、

 

山号である霊園山、真言宗室生寺派のお寺、

開山したのは定慧、藤原鎌足の長子で俗名が中臣真人、大宝律令編纂の藤原不比等は弟。

 

天気がよかったので周囲の山を眺めながら

 

受付でパンフレットと帰りに受け取る朱印の番号札を受け取りいよいよ堂内へ、

 

本堂内はほぼ撮影禁止なのでここからは撮影可のパネルやパンフレットを混じえて、

 

ご本尊は子安延命地蔵菩薩、

国宝に指定されている、そしてまほろば安寧号にレプリカ展示されていた有名な十一面観音像がご本尊ではないんですね、

 

お地蔵様のサイズは一般的に祀られている地蔵様よりもかなり大型、さらによくある石の地の色じゃなくて海外のお寺のようなフル彩色、

 

製作時期は享保年間くらいということで意外にも最近、

石像だけにその重量から床が抜け落ちないよう床下の地面から直接据えられていて、台座は周囲を囲むように後付けされているのだそう、一見台座に乗っているように見えて実は地面から生えているんですね。

 

となりの間に十一面観音像、撮影可となっているだけにこちらは写真、

ただ写真の入っている厨子はかのフェノロサから寄進されたもので昭和32年までは実際にこの中に本物の観音像が祀られていたのだそうです。

 

そしてその移された先、観音様が現在保管されているのはこの階段の先、

 

上がる途中で見えるお寺の屋根、

 

現在の収蔵庫は2022年に改修されたばかりの新造、

フェノロサの厨子から移設されてからでもすでに60年経過しており耐震基準などの問題から、

 

 

こちらも撮影厳禁なのでパンフレットから、

 

木像だけに温度や湿度など保管環境にも配慮した結果、高気密性のガラスで覆われ庫内は観音堂というよりもルパン三世などに出てきそうな厳重警戒の美術館のような様相でした。

そんな中で現物を、特に右手をまじまじとしっかりと目に焼き付けてきました。

 

収蔵庫を出て階段を下ってすぐ横に、

 

観音像関連の展示のコーナーがありこちらは撮影可能、

 

先にご本尊は観音様ではなくて地蔵様の方だと言いましたがその理由は、

十一面観音立像はもともとここ聖林寺にあったものではなくかつて三輪にあった大御輪寺(だいごりんじ)の本尊でした、

 

大御輪寺の仏堂の沿革についての解説、

 

こちらに展示してある縮小版の模刻には現物には付いていない光背が再現されています。

 

光背とは仏像の背後に後光が差しているようなエフェクトですね、この模刻はその復元のために残欠をもとに作られたものでした。

復元実装されれば高さ4メートルにも及ぶと言います。

 

この再現についてはパネルだけでなく口頭でも詳しく解説いただきました。

 

当時のトレンドであった宝相華唐草紋様で構成された光背、あの金色の右手と特急まほろば号のシンボルマークがここで繋がりました。

 

特急まほろば安寧号のギャラリースペースにあった手と比較、

大阪・関西万博のフランスパビリオンで見たロダンの手とともに今年は手に魅せられた年でもありました。

 

また観音立像がもとあった大御輪寺は大神神社の若宮社である現在の大直禰子神社の場所にあり、若宮神とともに祀られていたのですが明治期の廃仏毀釈により廃寺となりこちらに移されたという経緯があります。

 

大直禰子神社といえば

今年の正月に大神神社に初詣をした際に立ち寄った場所。

たしかに鳥居の奥にある社殿は神社のものではなく寺院の様式になっています。

大直禰子神社の本殿は観音様が祀られていた大御輪寺の本堂だったということです。

 

特急まほろば号のギャラリースペースで見たレプリカがご縁で訪れた地とそれを知るより前に巳年という理由から思い立ちお詣りした地がここで繋がるいう偶然、何かご縁を感じるものがありました。

 

続いてラストに見たのは期間限定の企画展である曼荼羅展ですがこちらも撮影禁止、

 

数ある中で印象に残ったのは黄道十二星座を表した和洋折衷な曼荼羅、東西文化の融合を象徴するようなものもありました。

当時日本では一般に知られていない動物などは想像上の神獣のように描かれていて興味深く見学しました。

 

帰りに御朱印とお守りを賜って、

 

城門のような山門を出て桜井駅まで来た道を戻りました。

 

 

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