オランダの農村。©agri.mynavi.jp. オランダは、第2次大戦後、生産性の高い
農業によって近隣諸国への生鮮品輸出を発展させる一方、EEC,EUの欧州共通
農業政策を主導し、九州の国土面積で世界第2位の農産物輸出国となっている。
【13】 「自由・平等・友愛」――
「自由主義」「共産主義」「ファシズム」
『自由・平等・友愛〔…〕は、歴史的に産業資本主義のなかにある〔…〕つまり、自由・平等・友愛といった観念が歴史の原動力なのではない〔…〕それらは、現実の資本制の発展のなかで出てきたもので』す。『先に、私は、自由な社会が進歩を可能にし、進歩は自由を可能にするというハイエクの考えに〔…〕疑問を述べました。それは、進歩は必要なのか、〔…〕無限に可能なのか、ということです。さらに、産業資本主義以後の社会において、何が「進歩」を強いるのか、ということです。
商人資本は、異なる価値体系の間での差異から利潤(剰余価値)を得るのですが、〔…〕産業資本〔…〕は、既成の価値体系と、技術革新が生み出す価値体系との差異によって得られる超過利潤(相対的剰余価値)によっているのです。〔…〕そのため産業資本は、それが存続するために絶え間ない技術革新あるいは社会的関係の革新を必要とします。それが進歩するのは「進歩」という観念のためではなく、資本が存続するために〔ギトン註――進歩が〕不可欠だからです。
さらに、資本制生産は信用の体系のなかでなされています。つまり〔…〕自転車操業のようなもので、少しでもストップすれば崩壊してしまいます。それは、たえず決済を先送りしている運動です。〔…〕
これが資本主義の「時間性」です。われわれは「進歩」を強いられているのです。これ以上必要がないと思っても「進歩」が起こります。それはたえず従来の生産関係を変えてしまう。のみならず、少しでも「進歩」が停滞すれば、〔…〕経済はゼロ・サム・ゲームに近づくので、たちまち「不平等」が露出します。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.93-94.
1930年代には大不況が続き、自由主義経済はこの時期に放棄されました。「市場経済を放置しておいても自動的な復元力は」なく、「不況は循環的でなく構造的なものでした。」
この「時期に執られた形態は3つあります。共産主義,ケインズ主義,さらに国家統制経済(国家社会主義)です。」これらは、経済的に見れば「いずれも国家の経済過程への強力な介入であり、反自由主義的」である点で大同小異です。相違は、「民主主義的」か否かではなく「[時間]という観点から見ることによって明らかにな」ります。(pp.94-95.)
『自由主義も共産主義も、将来のために現在を我慢するというタイプです。つまり、それらは「進歩」を信じている。他方、ファシズムとアナーキズム(アナルコ・サンディカリスム)は、未来ではなく[今ここ]を重視するものです。〔…〕
ナチズム(国家社会主義)が人を魅惑したのは、将来に向かって現在を耐えるのではなく、「今ここ」で現在の諸矛盾を解消してしまうような幻影を与えたからです。とくに、ハイパー・インフレーションで没落した中産階級(新貧困者)にとって、「待つ」ということはできません。それ〔待つこと――ギトン註〕は「ユダヤ的」ブルジョワ思想〔自由主義――ギトン註〕であり共産主義思想であるということになります。
その場合、自由と平等の矛盾を乗り超えるのは、いわば「友愛」としてのネーション(民族)以外にありません。〔…〕それは〔…〕美学的なものです。ベンヤミンは、ファシズムは政治の「美学化」であると言いました。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.95-96.
ここで柄谷氏は、日本の場合のファシズム・イデオローグ:保田與重郎と西田幾多郎について述べていますが、これらはすでに「近代の超克」論文について詳しくレヴューしているので〔⇒:(1)【3】; (2)【5】【6】 〕省略します。
『自由・平等・友愛という要素は、資本主義の現実的な局面においてさまざまなかたちで現れます。むろん今後においてもそれは現れます。なぜなら、それらの矛盾は決して解消されないからです。〔…〕
この際に注意しておきたいのは、ファシズムの言説を、粗野で無知で悪質な〔…〕軍国主義的な、国粋主義的な言説というふうに理解しないでもらいたいということです。〔…〕もし今後にファシズムがあるとすれば、けっしてかつてのようなファシズムとして出てこないでしょう。それは「民主主義」として出て来ます。さらに、そのときに抵抗しうるのは社会民主主義者ではなくて、頑固な自由主義者だけであろうということを付け加えておきます。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.97-98.
↑上に掲げた4象限の図は、どれかの方向が「進歩」だとか「退歩」だとかいうことはないし、「価値」の上下を表わすこともありません。たとえば、右端の「個」のかわりに「帝国主義侵略」、左端の「全体」のかわりに「反帝解放」と書くこともできます。「民主主義」ということで言えば、「自由主義」「共産主義」「ファシズム」「アナーキズム」、いずれも自分の流儀での「民主主義」を与えるでしょう。どれが望ましいかを決めるのは、あなたです。「民主的」という美しい言葉にだまされてはいけません。
Mario Rutelli: "Gilli Iracondi", 1910 .
Civica Galleria d'Arte .
この論文の結論は、論文の最初に書かれていたことと同じです:「自由と平等は矛盾する」。私たちは「自由」と「平等」の狭間で迷い、いずれかを掲げて努力し、争うけれども、矛盾が解消することは決して無いし、争いがやむこともない。ハイエクは、国家からの「自由」を徹底すれば、「平等」はおのずと実現されると言いましたが、もちろんそんなことはありません。ただ、「平等」と「正義」を直接掲げて求めようとすると、少数の者に「真理」が独占され、「隷従の道」へと向かってしまう。そう言い切ったハイエクは、たしかに、永遠の真理を看破していたのかもしれません。
さいごに、(4)【10】で残してあった宿題に、私なりの回答を述べます。「自由」、なかんづく「国家からの自由」が存立しうるためには、成長経済が前提条件なのか? ‥という問題です。
たしかに、“パイ” が拡大しつつある経済成長時代のほうが、分配の余裕があるので、国家の支配も寛容になり、客観的に見れば「自由」は拡大する傾向を持ちます。しかし、「自由」には、国家が与える恩恵ないし特権の側面だけでなく、国家に抵抗して闘い獲られるもの、という側面があります。国家からの「自由」とは、国家に対して「自由」を主張する闘いそのもののうちにある、と言ってもよいほどです。権力者の気まぐれで与えられた「自由」は、本物の「自由」ではない。
このような近代的「自由」の本質から見れば、成長経済か、停滞か、下降かは問題ではない。「自由」が獲得されにくい下降局面においてこそ、それを求める「自由」は真価を発揮するとさえ言えます。
もちろん、それだからといって、「自由」をもたらす経済的条件を軽視すべきではない。より多くの「自由の恵沢」を社会にもたらすのは、豊かな経済だからです。ただ、今日のように、「成長の限界」に行き当たった、ないしそれが間近に迫った時代にあっては、「成長」「進歩」に左右されない「自由」の側面にも眼を向けることが、これまでになく重要になっている。私は、このように考えます。
終戦記念日に靖国神社で素人芝居を演じる「コスチューム右翼」。©人民網.
【14】 「帝国とネーション」――
ナショナリズムの興隆か? その超越か?
3つ目に取りあげる論文は、「帝国とネーション」です。この論文は、1990年という節目の年に米国のシカゴ大学,プリンストン大学で行なった講演の翻訳原稿に手を入れて『文学界』に発表したものです。
『いわゆる冷戦構造,資本主義と共産主義の二元構造が決定的に終焉する以前から、われわれは2つの相反する動きを目撃してきました。一つは、①ソ連や東欧におけるナショナリズムの興隆であり、もう一つは、②ヨーロッパ共同体のように・一国単位のナショナリズムを超えようとする動きです。まず、①ナショナリズムは、これまで「共産主義」という理念によってネーション=ステートを超えてきたはずの地域に爆発的に起こっています。1990年の 6月〔※〕、私はサンフランシスコで文学者の世界会議に出席したのですが、その時、〔…〕ソ連・東欧の文学者が露骨に示すナショナリズムにやや驚きました。〔…〕
それに対して、②フランス代表の一人クリステヴァは〔…〕、個人よりもフランス人を、フランス人よりもヨーロッパ人を、ヨーロッパ人よりも人類を上位に置いたモンテスキューの精神に帰るべきだと言ったのです。いうまでもなく彼女は、「ヨーロッパ統合」に代表されるような理念、たかだか近代の産物にすぎないネーション=ステートを超えるべきだという理念に立っています。
すると驚くべきことにわれわれは、1990年において、西欧の 18世紀後半の啓蒙主義者とロマン主義者の対立が変奏されている光景を目撃しているわけです。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,pp.9-10.
註※「1990年6月」: この月、ロシア連邦はソ連からの独立・主権宣言を行ない、つづいて 7月にはウクライナ共和国が主権宣言を行なった。ソ連大統領ゴルバチョフは、連邦制維持の働きかけを続けたが、翌91年8月保守派(共産党守旧派)のクーデターで失脚した。
①を具体的に印象付けたのは、サンフランシスコの会議でウクライナの作家が叫んだ「私は人類である前にウクライナ人である」という言葉です。しかしこれは、200年前にドイツ・ロマン主義のヘルダーが述べた主張とそっくり同じなのです。ウクライナ共産党政権のもとで十数年獄中にあったこの作家は、ウクライナ文学の古い起源を滔々と述べ続けました。それは通常は、キエフ・ルーシ時代のスラヴ文学と言われているものです。
こうした 1990年頃以降の東欧圏に広がった思潮を「ナショナリズム」との関係で見ると、まず、ⓐ18-19世紀ヨーロッパのナショナリズム(ロマン主義)は、地域のちがいを越えてネーション=ステートとしてまとまる方向をもっていました。具体的には、ドイツ,イタリアの統一やフランスの国民的統合への志向です。しかし、20世紀末からの東欧ナショナリズム〔というより、実はエスニズム〕は、従来のネーション(たとえば、ウクライナ・白ロシアを含む「ロシア」)から分離独立する方向を示しています。ⓑかつてのロマン主義は、中世を賛美する反資本主義的・共同体的志向を特徴としていましたが、現代東欧のナショナリズム〔エスニズム〕は、むしろ “純粋” 資本主義、つまり・あらゆる国家的社会政策に反対する極端な経済的自由主義・新自由主義と歩調をそろえています。つまり、表面は「ロマン主義」に似ていますが、中身の志向は、資本主義・帝国主義の方向に向いているのです。
1991年8月、KGB議長ら保守派の起こしたクーデターでクリミアに軟禁されて
いたゴルバチョフソ連大統領は、22日、クーデター派逮捕のあと
モスクワ空港に帰還し、安堵の表情を浮かべた。 ©東京新聞。
このような現代の東欧ナショナリズムを、柄谷氏は、②「ヨーロッパ共同体派」のような主張と「相互につながっている」と見ています。つまり、①と②は逆方向を向いているかのようですが、じつは同じ根から出ている――同じ世界的状況への反応として出てきているものだと見ているのです。「こうした事態を引き起こしている」状況を、ひとことで言えば、「トランスナショナルな資本主義の発展です。」
そもそも、「資本そのものの本質はトランスナショナルです。」産業革命以前の重商主義の時代から、商人資本はネーションの枠を超えた貿易活動を本領としていました。(pp.10-12.)
『トランスナショナルという言葉は、インターナショナルとは別です。インターナショナルは、まずネーション〔国民国家――ギトン註〕があって、それら〔ギトン註――国民国家〕が交差・交通することです。たとえば、国際連合は〔ギトン註――加盟諸国の〕インターナショナルです。
しかし、トランスナショナルは、ネーションの区別なしに交差・交通することです。』近代の『産業資本主義は、ネーション=ステートと結びついて』発展しましたが、もともとの『資本そのものはべつにナショナルではありません。たとえば、商人資本はトランスナショナルです。どこからでも差額としての利潤が得られれば良いわけですから。江戸時代の商人もそうです。〔だから彼らは、ブルジョワ革命を起こしてネーション=ステートを造る必要を認めなかった。――ギトン註〕
こういう商人資本的なブルジョワしかいないところでは、ブルジョワ革命をやるのはブルジョワではなく、ナショナリストです。日本の場合は、武士〔尊王攘夷派と、維新後の自由民権派士族。――ギトン註〕がブルジョワ革命をやった。第三世界では、〔…〕社会主義的な軍人が〔…〕国民経済を保護し育成し〔…〕てきました。〔…〕「共産主義」と呼ばれるものも、そのような国家社会主義の形態です。
資本そのものの本質はトランスナショナルです。それは、利潤が得られるのであれば、自国でよりも他国で工場をつくるでしょう。つまり、資本主義は本来的にトランスナショナルであるにもかかわらず、なおどこかの「国民経済」に根をおろしていなければならないという矛盾をもっているのです。
1980年代に顕在化してきたのは、こうしたトランスナショナルな資本主義の網目の拡大です。それは、一国単位で考えられるような経済を実質的に無効にしています。そのことが、先に述べた両極的と見える事態〔↑①と②――ギトン註〕を起こしていると言えます。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.11-12.
征韓論之図 橋本周延画、1877年。©東京経済大学。「韓国侵略」を強硬に
主張した排外ナショナリストたちが下野して自由民権運動を始めた。
まず、②ヨーロッパ共同体(EU)結成のような動きは、トランスナショナルな資本の活動に対する防衛反応として出てきたものです。具体的に言えば、EU 結成によって「めざしているのは、労働力をふくむ共同市場の形成」ですが、それは端的に言えば、「アメリカと日本の資本に対する市場防衛と、非ヨーロッパ系労働者の排除を意図するものです。」
このような地域統合は、外部から見れば「ブロック化」であり、アメリカ大陸や東アジアのような他の地域にも、統合ないし「ブロック化」を波及させる可能性があります。しかし、EU 結成によって、より深刻な影響を受けたのは東欧圏です。
じつは、1980年代におけるソ連と東欧共産圏の急速な崩壊を促したのは、西方における EU 結成の動きだったのです。東欧は、EU の日程に合わせて解体したと言ってもよい。「ソ連・東欧圏の崩壊を加速させたのは、1992年に」EU によるヨーロッパ統合の「日程があったからだと言えます。それに間に合わせようとしたこと」で、中国のように・よりゆるやかに進められたかもしれない自由経済体制への移行を「一挙にやってしまうことになっ」た。それが一挙になだれのように支配体制を崩壊させたのです。またその一方で、ゴルバチョフらロシア共産党の幹部は、ロシアを連邦の他の地域から切り離してでも西欧に付けようとする傾向を見せていました。が、「皮肉なことに、このようにソ連・東欧圏が急激に西欧圏に所属しようとしたことによって、当初の」広域の「ヨーロッパ共同体の実現も困難になってしまった」。最終的には、ロシアとその周辺だけが取り残されることになって、現在の戦争事態を引き起こしていると言えます。
それとともに顕在化したのは、①「極端に細分化していくエスニック主義です。これは」旧来のナショナリズムとは異なって、「すでに確立していたネーション=ステートをも解体する〔…〕あるいは解体しないまでも統合することを放棄するものです。たとえばアメリカ合州国では、多数のマイノリティ(エスニック)を無理に統合する代わりに multi-culturalism という名でそれらを許容しようとする動きがあります。」これは、「北アメリカ共同体(北米自由貿易協定)」構想と裏腹なものです。
東欧について言うと、かつてのチェコ・スロヴァキアやユーゴスラヴィアが分裂したのは、共産主義のインターナショナリズムによって強制的に統合されていたタガが緩んだからだと言われます。が、同様の分離独立運動は、カタルニア,スコットランドや北アイルランドでも起きています。これらは共産主義とは関係が無い。むしろ、英国やスペインが「ヨーロッパ共同体に属することによって、ネーション=ステートとしての統合を必要としなくなったから」です。チェコ,ユーゴの場合も、共産主義の強制が無くなったせいではなく、従来のネーション=ステートの枠組みが維持できなくなったためと見たほうがよい。チェコ・スロヴァキアという国家は、第1次大戦後に「民族自決」主義に基いて成立した資本主義のネーション=ステートです。(pp.10-13.)
ソ連はじめ旧共産主義国の民族政策は、国内の諸民族を懐柔・抑圧して「国民国家」と「ネーション」への統合をはかるものだったと言ってよいでしょう。つまり、旧共産圏は実際には「共産主義のインターナショナリズム」を断念して「一国社会主義」に転換し、西欧と同じ「資本=ネーション=ステート」の道を歩んでいたのです。そのことは、こちらでロシアの場合について述べました。
『九州や沖縄の人たちは、現実に、韓国や台湾と経済的なつながりを深く持っています。〔…〕「日本」の中央から規制を受けたり、めんどうな認可を受けたりするかわりに、直接韓国や台湾と交流したほうがいい〔…〕その場合、九州が「独立する」と言い出すことがありうるわけです。同様の理由で北海道も、樺太やロシアの沿海地域と経済圏を作るために「独立」することが可能です。近代日本は、北海道と沖縄を植民地化し、日本のネーション=ステートのなかに統合してきたのですが、もし東アジア圏に経済共同体ができれば、「日本」(国家)にこだわる理由はありません。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.13-14.
与那国島・西崎から望む台湾の山々。©読売新聞。
これは、夢物語でも与太話でもありません。現実に今、台湾には、沖縄と合同して中国からも日本からも独立しようという主張があるのです。沖縄の側でも、台湾とのあいだで国境を越えた自由経済圏をつくる構想があったのですが、対中国の緊張と自衛隊進駐の流れのなかで立ち消えになっています。
『ここで言いうることは第1に、19世紀以来の近代国家の枠組みが揺らぎはじめていることです。日本が近代国家として出現するのは明治維新からですが、実は、イタリア・ドイツなども国民国家として統合されるのはその前後なのです。〔…〕アメリカ合州国もそうです。南北戦争を経て初めて、現在の合州国の基礎ができた〔…〕そんなふうに国民国家は、歴史的にたいへん短いものであって、それまで利害や伝統のちがった諸地域の人々が急速に統合されたわけですから、現在においてそれが分解するようなことが起こっても、べつに不思議ではないのです。
たとえばアフリカでは、それまでお互いに何の関係もなかった多くの部族が、植民地として統合され、支配者〔…〕西欧諸国が去ったあと、それぞれ国民国家として独立したわけです。〔…〕このように人為的に作られた国民国家が、独立解放運動においては一致しえたとしても、植民地支配を離れた後に〔…〕統合を継続・深化させることがいかに困難かは言うまでもないことです。彼らにとってネーションの「起源」は、彼らが否定してきた植民地支配にしかないわけですから。〔…〕
現在までに国民国家として成立してきた国家は、』現在の『トランスナショナルな経済のなかで改めて、再編成を迫られています。〔…〕ヨーロッパ共同体は、』内部的にボーダーレスになったとしても、外部に対しては新たな『ボーダーを形成しています。〔…〕ここで大切なのは、トランスナショナルな資本主義がネーション=ステートを揺るがすとしても、それが新たな共同体〔≒国家――ギトン註〕を形成することにしかならないことです。』
ヨーロッパ共同体や、イスラム圏の国家グループのような地域的連合は、『現在のトランスナショナルな資本主義が「一国」単位の経済を無効にしてしまっているにもかかわらず、なお産業資本主義が「国民経済」なしにありえないという矛盾を、中間的に解決しようとするものであるということができます。』
柄谷行人『〈戦前〉の思考』,2001,講談社学術文庫,p.14-17.
以上をまとめますと、「近代世界システム」の現在の段階では、資本のトランスナショナルな動きが大きくなっているために、ネーション=ステート(国民国家)という 19世紀以来の枠組みが揺らいでいる。東欧でのナショナリズムの抬頭も、EU のような・従来のネーション=ステートを越える広域統合も、その現れにほかならない。しかしながら、それによってネーション=ステートという従来の枠組みが解消するのかと言うと、柄谷氏の考えでは、そうではない。トランスナショナルな資本主義の現段階は、いずれかの国民国家に根を持たなければならないという・資本に課せられた制約を、解消させてしまうようなものではないからです。したがって、ヨーロッパ共同体のような “広域国家” は、あくまでも「中間的な解決」なのです。
こちらはひみつの一次創作⇒:
ギトンの秘密部屋!