人生の転機はいつだって、自分が起こしたアクションの先にあって、
自分が行動したから、そのリアクションとして
大なり小なり返ってきたと思っている。
「いつか俺は大物になる」なんて言っていても
家で何もしないで、スマホいじっているだけだったら
チャンスはやってこない。私はそれを知っていた。
大学を卒業してから、フリーターだった私は
ミュージシャンになりたかったけど、気恥ずかしかったし
誰にも言わなかった。
だから、適当にバイトしている根無し草だと
思われていたと思う。
私の親友も同じようにフリーターだったけど、
私は、なんでか23.24歳の時に、
親友と私のアパートでダラダラしていたとき
何を思ったか
「俺、プロになるわ」って打ち明けた。
親友は「やめなぁ・・・」とだけ言った。
同じ高校大学、サークルで、ずっと同じように生きてきて
一緒にバンドもしていたけど、そいつはもう趣味に抑えていた。
私は大学卒業後も、バンドを組んでは解散してを繰り返していた。
親友の「やめな」が、何を意味していたのか真意はわからないし、
そのあとの会話も覚えていない。
でも、当時の私には侮辱に思ったし、
こいつは自分がバンドできないから
嫉妬して、俺にやめさせようとしているんだと憤慨した。
そこから数年連絡を取らなかったし、
たまにメールで遊びの誘いが来ても断った。
そのくらいにムカついていた。
嫌な奴じゃなかったし、彼は
私のことを理解して遊んでくれる良い奴だったんだよ。
でも、当時の私を見たら、それは暴挙に思っただろうし、
人生、一発逆転をしようと夢見ているだけに見えたんだろう。
その間、私は同じようにバンドをして
音楽スタジオでバイトしていて
その時も、6歳下のスタジオミュージシャンの小僧に
居酒屋で
「俺が、私さんの年齢だったら、今からミュージシャンなんて目指さないっすよ」
なんて言われた。当時私は26歳だった。
27歳で、8年付き合った彼女と別れてたが、
それは私が音楽を続けたいということで、向こうは無理ってなったからだ。
それでも、私はギターを弾いていた。
将来を考えると不安なので、バイトとギターしか生活にはなかった。
スタジオの先輩に
「PCで録音できる技術はあったほうがいいよ」って言われたので、
新しいPCでの録音技術を勉強しようと思ってimacをローンで買った。
そのうち、アマチュアバンドばかりじゃなくて、
プロの人のバンドにもギターとして誘われたりし始めて
ステップアップしていったのが今になるとわかる。
当時はそんなこと考えないでがむしゃらだった。
当時、スタジオで明日の見えないままバイトをしていた私ですが、
ある日アニソンの女王が自分のボイトレ教室を
私の働くスタジオでやることになった。
私はアニソンが好きだったので、女王にチャンスがあれば
話しかけていてたら、
「私君は、バンドしているの?バンドはダメよー、やるんだったら一人で活動しなさい」
この言葉は私の人生の転機となった。
バンドで成功するっていうのは難しいのはわかっていた。
でも、バンドしかないと思ってバンドを組んでいた。
バンドっていうのは、全員が同じ方向を向いて、
同じモチベーションと同じ、熱量でやらないと
到底売れるなんてありえない。
学生の頃は、自分はギターを弾くだけで良いと思っていたし、
チケットや、ライブの手配なんかはボーカルがやればいいと思って
私はそういうのを何もしなかった。
そいう部分って、他のメンバーにもあって、
俺はこれするから、ほかの雑務お前がしろという
精神だとバンドは途中で崩壊する。
全生活をバンドに捧げないと駄目なんだ。
成功しているバンドの多くは、家を借りて共同生活しているからね。
そういうことができなかった私には、
女王の「一人で活動しなさい」とい言葉は金言だった。
それを機に、私はバンドを組むのはやめて自分のデモ音源を
作ることとバイトに専念した。
でもライブ経験は積みたいし、コミュニティーも広げたいと思ったので、
サポートメンバーとしてだったら手伝うこともあった。
それで27歳で、女王のイベントにギャラは出せないけど、
勉強のつもりでギター弾いてもいいよと
最高の機会を頂き、初めてのプロの現場で、自分の機材で7曲演奏した。
場所はゼップ東京だった。
正直、27歳の私の実力もメンタルも、お客さんに対する気持ちも何もかも
プロの水準以下で、完全に叩きのめされた。
恥ずかしかったし悔しかった。
それでも音楽はやりたい。ギターを仕事にしたいと思った。
スタジオを使っていた、ミリオンセラーバンドのギターの人が
解散して、新しいバンドをするからよかったらどうかな?って
誘ってもらって1年ほど続けたんだけど、
バンドリーダーが千葉の田舎のチンピラで
私とは住む世界が違うと思っていた時にリーダーがライブ前に、
「私ちゃんさ・・俺たちはもっと上に上がっていくんから、いつまでも
ヘルプじゃなくて、本メンバーになることも考えてくれないとさ、
急に切らないといけなくなることだってあるんだよ」と言ってきた。
私は、このバンドに所属するというのは、嫌だったし
なによりリーダーに、パシリにされるのは目に見えていたので
笑ってごまかした。
その数か月後に、そのバンドは空中分解した。
理由は、リーダーが横暴だから(笑)
他のメンバーがやってられない!ってなったみたいだ。
リーダーは歌うだけで、曲作りも音源や雑務は
ミリオンセラーバンドのギターの人がやってたしね。
偉そうにしてかっこつけるのがリーダーの仕事で
田舎のチンピラそのものだった。
解散前のライブで、そこのベーシストに機材者の中で
ライブ前に
「私ちゃんは、もっと自分がやりたいことに向かって
真剣にやらないと駄目だよ」って説教された(笑)
私は、過去の経験から人に夢を話したり
自分のビジョンを教えても否定されるだけなので
言わないようにしていて、だから何も考えないで
チンタラバンドして満足しているように思われたみたいだ。
それは、半分当たっている。
でも、現状が私の限界だったし私は世間知らずだったから
スピードが遅かっただけだ。
当時、バイトしていたスタジオと揉めてやめることになり、
バンドもバイトも無くなって、完全な0になった。
今でも、覚えているんだけど、
バイトを辞めた次の日、彼女がアパートに来ていて
「バンドもバイトも無くなった・・・どうしよう・・・」と
相談していたら
リーダーから着信があり、外に出て
「よお、なんかバンドがさ、あいつ等がヒヨったから
ゼロから始めることになったんだけど、私ちゃんが良かったら
一緒にやらねーか?」
これには、かなり焦った。
絶対にやりたくなかったからだ。
ヤクザの下で、チンピラみたいな仕事しているリーダーと
バンドなんかしたら、ことあるごとに殴られて
そのうち、ヤバい仕事の片棒担がされるだろうって思った。
ただ、電話だったので、のらりくらりとかわしながら
ごまかして、うまく断れたと思う。
電話を切って一安心・・・と思ったら
今度は知らない番号から着信
これが2回目の転機だった。
「私君ですか?某事務所の○○です。
良かったら話がしたいから今度のライブ見に来ませんか?」
某事務所の○○っていうのは、私がバイトしていたスタジオに
きていた、高校の時にあこがれていたボンドのヴォーカルが
新しくやっているバンドで、そこの社長だった。
私はスタジオで女王以外にもいろんな人に
自分のデモ音源を配ったり、会話したり
コミニュケーションをとっていた。
実は、けっこう有名なアーティストも来るスタジオで、
米米CLUBや、ワンオクとか普通にリハーサルしていたので、
顔を売るチャンスはたくさんあった。
友達や彼女は、よく知らない人にそうやって
話しかけられるね?と驚いていたけど、
仕事上、会話は必要だし、普通のことだと思っていたので
特別なことだとは思わなかった。
そういうコミュニケーションが実を結んだ瞬間だった。
部屋に戻って彼女に話して、それから私の人生は変わっていった。
某事務所の社長からお招きいただいて
渋谷にライブを観に行って楽屋にあいさつしに行った。
それで、次のツアーのギタリストを探していて、
手伝ってほしいということだった。二つ返事でお願いしますと頭を下げた。
これ以降、ライブにはギャラが発生して、ギターを弾いてお金を頂くことになり、
私はプロギタリストになった。
私は全国ツアーを何度も回り
アルバム作成、テレビ出演、フェスに出演、外タレの前座など
有名じゃなかったけど、多くの仕事をしてきた。
親友とも連絡を取り直し、ライブに招待した。
たしか、渋谷のクアトロだった。
それから、ツアーで1か月アパートに帰らないこともあったし、
今までとは違った規模のライブやイベントに
参加して私は有頂天だった。
ここまでを努力したからその結果と言ったら
他人にはそう見えるかもしれないが、
私自信、何も努力はしていない。
やったのはいつもと変わらずギターを弾き続けたことだけ。
それを努力と思わなかったし、楽しくて仕方なかった。
某事務所の社長は
「お前が、勇気だして一歩踏み込んできた結果だ」と褒めてくれたことがある。
うれしかった。
デモテープ一つでも、なかなか渡すという行動がとれる奴は
いないということだった。だからこのギターの仕事は
お前がつかみ取ったんだと。
しかし、好きなことを仕事にするというのは
苦痛も含めてすべてを愛さないといけない。
私は30歳過ぎているのに、そのバンドでは下っ端で
つねに末っ子扱いだったし、自分もそこに甘んじていた。
リーダーは、バンドだけじゃなく舞台や声優なんかもして
音楽だけで生計を立てていたけど、
他のメンバーはバイトしたりしていて、
いつも言われたのは
「このバンドだけじゃ食っていけんから、先のこと考えないと駄目だよ」と。
私はこのバンドで、このバンドの曲をできることだけが幸せだったので
それ以上は考えないようにしていたけど、
周りはどんどん変化していく。
楽しいツアー生活だったけど、
ギタリストとして求められる要求は日に日に大きくなり、
ダメ出しばかりの毎日だった。
たまたま東北地方で良い関係になった女は、
若くて、かわいくて、Fカップで、いい女だった。
でもその女には、めんどくさい友達がいて、
そいつが私を潰して干そうと躍起になって圧力をかけてきた。
自分のお気に入りの女が、私に奪われたのが
相当ムカついたみたいで、裏でかなり陰湿なことをして
私をバンドから外そうとしていた。
私は、ストレスでアルコールがないと寝れなかったし、
毎日、安いウイスキーをボトル半分飲んでいたし、
当時合法だったハーブで暇さえあればラリってた。
私だけが、セックスドラッグロックンロールな生活をしていた。
その後、それが発端となった人間関係の問題で、私はバンドをクビになった。
半分は私の責任もあるが、音楽が嫌いになるほど最悪な状態だった。
そこから10年。
私は普通に会社員で、休日はYoutubeに投稿している。
プロになりたいという夢は叶ったけど、
最後は人間関係が嫌になり捨ててしまった。
それは、周りが私に我慢できなくなったのと、
私が周りにがまんできなくなったというだけだ。
実はこれは高校生の時に私が、見聞きして想像した
ギタリストのイメージそのものなんだよ
友達の親戚がミュージシャンだけど、食えないから
バイトして生計を立てているという話を高校時代に聞いて、真に受けていた。
それで、ミュージシャンはしょせんそういうもので
そうならないといけないと思っていたのかもしれない。
イメージするというのは重要なことで、
本当は最高の状態になるための道のりや目標を
セットしないといけなかったのが、
私は、超リアルな等身大のギタリスト像を
しっかりとイメージしていたと思う。
だから、売れている人気のミュージシャンの
生活をリアルにイメージしたら
私は今もギターを弾いていたと思う。
問題はそういう人の生活を知らなかったことと、
周りには同じように売れない人が売れないなりに
楽しんでいたのしか見てなかったから引きずられたんだな。
負けるところまで、セットで考えて
想像して、実現してしまった。
ただ、今の生活はいい感じで満足しているし、
結果オーライだと思うよ。
私は
「音楽を引退した人が太って昔の面影がない」
という設定も再現している。
71kgでも、まだ痩せたほうがいいといわれた
プロギタリスト時代。かなり細かったけど、
音楽を辞めて、3年で106kgになった(笑)
当時私を応援してくれた人は、皆引いていたし、
昔プロでしたといって信じてくれた人はいなかったと思う。
最近、ダイエット成功して85kgになって
人間の姿に戻ってきた。目標は78kgで
まだ継続中。
当時の飲酒の習慣が抜けなくて、今停滞していますが
頑張ってるよ。
健康で、かっこよくてモテている自分。
きちんと理想をイメージしています。