お米の通帳 | Dream Lights

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セブンスじゅう〜

前回の『ワルチング・マチルダ』の記事に引き続いて、懐かしい時代の思い出をもう一つ記事にしておこうと思います。

 

『米穀配給通帳』あるいは『米穀通帳』というもので、70歳以上の方でしたらたぶんご存知かと思います。

 

亡くなった母は『お米の通帳』と言っていました。

 

昔『お米の通帳』を持っていなければお米が買えない時代があったんです。

 

戦時体制になっていった頃から、農家の働き手が減って農作物の生産量が減ってしまったことで米を配給制にする法律が出来て、『米穀配給通帳』がなければお米を買えない時代が続きました。

調べたら制度自体は1981年まで40年間も続いていたという今じゃ考えられないですけど、そんな制度があったんです。

 

父は国家公務員で全国を転勤していく『転勤族』だったんですが、ボクが小学校の5・6年の2年間は鹿児島に住んでいました。

そこで初めて母から『お米の通帳』のことを聞くわけですが、おそらく転勤のたびにお米を買う際には『お米の通帳』を気にしていたんだと思います。

 

時が経つにつれてこの制度は形骸化されていき、事実上、通帳がなくともお米が買えるようになっていったのですが、地域によってその度合いは違っていたのだと思います。

ボクが小学校5年生というと10歳、1964年頃になるわけですが、戦後20年も経ったその当時でも母は『お米の通帳』を持って、米穀店でお米を買っていたそんな記憶があります。

 

ですので、子供心にお米は通帳がなければ買えないんだ、という観念が生まれ、その後もずっと母はお米の通帳を持ってお米を買っていたのだと思っていました。

一人暮らしを始めるようになって、やっとお米を買うのに通帳が要らないことがわかりましたが、それでも最初は大丈夫なのか不安でしたね。

 

もうそんな時代を知っている人も少なくなっていると思います。。。

 

ちなみにですが、そのことと関連しているのかしていないのかわかりませんが、前述の通り小学校5・6年生は鹿児島に住んでいたと書きました。

小学校6年生のときには『修学旅行』があって、市内から同じ県内の『霧島』までバスで一泊の旅行です。

 

詳しい事情は知りませんが、旅行に行く際、全員が一定量の『お米』を持参し、それを集めて宿泊した旅館に渡したことだけは覚えています。

なぜそんなことをしたのか今となってはわかりません、それが普通のことだったのか、費用の補填だったのか『お米』に対する配慮だったのか、いずれにしてもおそらく2食分くらいのお米をビニール袋に入れて旅館で全員分を集めたことだけは覚えていまして、大人になって友人にそのことを話しても『何だそれ!』と言われ、そうか都会ではそんなことしなかったのか、と。

 

鹿児島という僻地?と時代も関係していると思いますが、まだそんな時代だったんですね〜