先日、サラリーマン時代尊敬する上司だった方の奥様と十年ぶりくらいに電話でお話しすることができて、ボクのほうが少し年齢的に下になりますけど、歳をとるということは大変なことなんだという話で。。。
当時の直属の上司御夫妻や、そして取締役会長の奥様も御健在でいらっしゃることもわかって、本当に嬉しいお話しを伺うことが出来ました。
今思えば、居心地の良い素敵な会社だったな~。
先輩方が素敵だったし、そういう人たちがいたおかげで入社してくる後輩もいい子たちばかりでした。
そういう子が自然と集まってくるんだね、時代もあるのかも知れませんが、ボクもこの会社にいられたことは幸せなことだったと思い出します。
時代に呑まれて、もうその会社はありませんが、退職してからすでに20年が経ちます。
退職後、環境が変わったことに端を発して、ついに封印していた音楽活動を再開し、ブログも始めたしSNSも次々と参加しています。
しかしさすがに『ア〜じゅうオクタ〜ブ』
もちろん体力的にもそうですし、大半の同い年がおそらくリタイアしているだろう現実や、周りの人たちが自分より年下であること、それらもありますが、その周りの人たちから自分が思っている以上に年寄りだと思われている、と気付く年齢になったということでしょう。
年寄りのつもりじゃなくても、ああそうだったのかと思い知らされます。
つまりはもう自分たちの時代ではなく子供や孫たちの時代になっていて、いつの間にかボクらが参加する場所も無くなっていたんですね。
そういう意味での孤独や世代の格差に気付くんです。
彼らとの会話がなくなってきた、話し相手になっていない、話しかけられなくなってきた。
まあ、それはいつの世も同じことで、じゃあ自分たちが若い頃は進んでお年寄りに話しかけましたか?ということですよね。
必要があればともかく、たわいのない世間話をするためにわざわざお年寄りに声掛けなんかしなかったですよね。
話が合わないだろうと思っていたし、確かにそうなのかも知れない。
いざ自分が逆の立場になってみると、そういうことがだんだんわかってきます。
もう数十年も前のことですが、ボクの母が自宅で胸が苦しくなり救急車を呼んだ際、救急隊員の方々そして病院の先生やナースさんたちが
『おばあちゃん、おばあちゃん大丈夫?』と呼び掛けてくれるのですが
その時に母が思ったのは
ああ、私はおばあちゃんだったんだ・・・と。
もちろん若い彼らに悪気があるわけではなく、親しみを込めて『おばあちゃん』と呼んでくれたわけですが、言われた母はそんなことを思ったらしい。
だから、自分が思っていなくても周りからは年寄りに見えるかもしれないし、自然と、年寄り=奥へ引っ込んでろ!、という図式が成り立っているのかもしれません。
年寄りは年寄り同士、同じような境遇の世代が集まって分かち合う、本当は年寄り相手にそんなことしたくないのかもしれないけど、一人でいるよりは気が晴れていいんじゃないかなとか。
そんなこともわかってきました。
なかなかたいへんなんですよ、歳をとるって。