バンド回顧録 第2回 | Dream Lights

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ハーじゅう〜ツェ〜

もう、2年以上も前に『バンド回顧録 第1回』という記事を書きました。

今頃になって、続きの第2回です(笑)
実はこの回顧録、あと2つほどネタ帳に原稿が書いてあるんです。

特に思い出に残っているセッションをネタにしているのですが、今回は当時ジャズ界の大御所と言われるお二方のジャズメンとのセッションです。

ボクが20代前半のころ、1977年あたりだったかな~
杉浦良三さん(故人)は日本を代表するビブラホン奏者。
『サルサの夕べ』というライブ(というかディナーショー!?)をやるので、エレキベースで参加してほしい、というオファーでした。

このディナーショー、場所は忘れましたが、都内の一流ホテルの大ホールを使って立食パーティー式で行われ、杉浦さんがジャズ以外にも当時流行りの『サルサ』を含めてラテン系の音楽をやる、という触れ込みで催されていたようです。
ちょうどマイケル・フランクスの『アントニオ・ソング』あたりが流行っていた頃でしたね。

この演奏に集まったミュージシャンは大勢いて、ギターは高柳昌行(故人)さん、キーボードは中富雅之(たしか故大友柳太朗さんの息子さん)さん、ほかにウッドベース、ドラム、パーカッション2名、で7人くらいの大所帯だったと思います。

一応スタジオリハーサルがありましたが、当然1回だけ。。。

杉浦さんのリーダーセッションであるにも係わらず、リハーサル時には中富さんが実質的な音楽監督をされていたようです。

杉浦さんも高柳さんも当時ボクから見れば、相当なオジサンであり、親子ほどの年齢の差と、あまりのオーラと、話にならないレベルの差に、ボクは冷や汗ダラダラ流しながらリハーサルしたことを覚えています。
言葉遣いも失礼のないよう気を遣い、難しい音楽用語もわからないのだけど、わかったような顔をして(笑)、でも本当にわからないところは素直に教えてもらったりもしていました。

リハーサルでボクの演奏する曲は数曲だけで、あとはウッドベースの方が担ってくれて、出番がないときはリハーサルを見ているわけですが、まさに別世界の出来事のような、ボクは何でここにいるんだろう、みたいな気持ちでしたね。
サルサでも特にリズム感のある数曲をボクがエレキベースでエントリーしましたが、オヤジばかりのジャズメンに混じって、若いニイチャンが一人エレキベースをチョッパーで弾くのも、なんか浮いてしまい、自重気味に弾いた記憶があります。
高柳さんには弾くたびに『ニイチャン、いいネ~!』と言ってもらえるのですが、それがどういう意味なのか、逆にプレッシャーがかかってしまった・・・(汗)

この時はじめてトップジャズメンと演奏できたわけですが、リハーサルでは、どれも曲の途中、アドリブになると、尺がいいかげんになってきて(と思うのはボクだけか!?)、あとはその場の成り行きで!みたいな感覚が常にあり、サルサやったとは言え、基本はジャズですから、よくわからないままリハーサルが終わったような気がします。
もうひとつ言えることは、ジャズメンの演るラテン系や16ビートは、なんだかちっともノリがなくて、ボクからすると、ぜんぜん面白くもなんともない演奏だったような気がします。

『ノリ』というか『グルーブ』って言うんですか?、それにビートの観点が少し違うような気がする・・・

と、心の中で思っていても、他のメンバーが大御所すぎて、さらにそのときはテンパっていたのでそれどころではなく、ついていくのが精一杯でしたけど。。。

しかし、あのイイカゲンな?リハーサルにもかかわらず、ホテルで催された本番では、後で録音されたカセットテープを聴くと、完璧と言っていいほどの演奏、構成でしたから、あらためてトップジャズメンの力量を知りました。
杉浦さんも高柳さんももう故人となられ、でもその大御所と言われるお二人とご一緒できたことは、ボクにとっても、とても名誉なことで、あらためて考えてみると、スゴイことだった!!

この時のことは決して忘れちゃいけない!と、言い聞かせていましたが、今度は自分が歳になってきたので、やっぱり忘れてる(笑)