なつかしきあやめの水の行方かな
―高浜虚子
今朝の散歩は、曇り空の下を白金台の「東京都庭園美術館」の隣に、今、なお武蔵野の面影を残す“都会のオアシス”「自然教育園」の豊かな自然が息づく緑の楽園へと、初夏の花“あやめぐさ”を愛でる・・・そんな風雅な朝を過ごして参りました。
「自然教育園」の“あやめ”
この「自然教育園」とは、元は平安時代の地方豪族の館だったものが、江戸時代に入り、松平讃岐守頼重(高松藩主)の下屋敷となり、明治には、海軍省火薬庫(明治5年)や陸軍省火薬庫(同26年)とされ、そして宮内庁白金御料地(大正6年)を経て、昭和24年に「天然記念物及び史跡」に指定されて、「国立自然教育園」として一般に公開されるようになった“公園”で、昭和37年に「国立科学博物館附属自然教育園」とされました。
「自然教育園」の広大な園内には、都心の真只中の“白金台”だとは、俄かには信じられないほど、雑木林が鬱蒼と生い茂り、また静かな水辺には小鳥たちが囀り、 今なお、昭和30年代の武蔵野の面影のままに台地、湧水池、小谷、湿地などが自然の姿で保たれていて、南北朝の時代の白金長者の館跡と思われる土塁も原形に近い状態で残っています。http://home.h03.itscom.net/abe0005/sannsaku/shizenen/jizenkyouikuen.htm
そんな閑静な園内にて、古来より“いずれあやめか杜若”と、美人の形容詞にされている野に咲く美しい“紫色のアヤメ科”の花を愛でられましたが、
この優美なる「あやめ」と、これに似た“他の花”を区別することは案外難しく、「あやめ」とは元来“花菖蒲”“杜若”“鳶尾草”などを含む“アヤメ科”の総称で、植物学上では「シベリアアヤメ」を指し、“花菖蒲”“杜若”に比べれば、やや地味な花を咲かせます。
また、“花菖蒲”や“杜若”は、湿地や水辺を好んで生育しますが,一方“あやめ”や“鳶尾草”は、日当たりのよい場所を好み、乾燥にも耐えることから、昔から庭などに植栽されていますが、一般的に普段「あやめ」と言っているのは、実は“花菖蒲”のことが多く、
この「あやめ」の名の由来には様々な説が存在し、剣のような形をした葉が繁る様子が“文目(あやめ)模様”に似ているからとか、また花の付け根に“網目状の模様”があるからなどといろいろですが、
貝原益軒の「日本釈名」(1700)には「あやはあざやかなり、めはみゆるなり、たの草よりあざやかにみゆるなり」と書かれていることからも、その語源は“あざやかな目”と考える方が自然で、ちなみにギリシア語では”アヤメ科”の属名は“Iris”と“虹”を意味しますが、この由来は、きっと花が虹のように美しいことからきているのでしょう。
また万葉の時代の“菖蒲(あやめぐさ)”は、現在のサトイモ科の多年草の“菖蒲(しょうぶ)”とされていて、実に地味な花ですが、万葉集には霍公鳥と一緒に12首に詠み込まれ、この“菖蒲(しょうぶ)”は、古来よりその独特の香りから邪気を祓うと考えられてきました。
http://hirokoudai.jp/12serials/05kusabana_data/2003_06.html
京都「勧修寺」
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草あやめも知らぬ 恋もするかな ―「古今集」より
静かなる白金台の“都会のオアシス”「自然植物園」にて、“ほととぎす”の鳴き声に誘われて、初夏の優美なる紫の花「あやめ」観賞は、心身ともにリフレッシュできますから、遥か古の「古今集」の歌の如く、“あやめぐさ”に、そっと恋をする・・・・そんなよき一日をお迎え下さい。