銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄です

 

 

音楽界の巨匠である坂本龍一さんが、直腸がんで亡くなったというニュースでもちきりです

 

 

坂本龍一さんと言えば、2014年に咽頭がんと診断され、放射線治療で根治したという経歴があります

 

 

2020年には直腸がんが見つかり治療を受けられていましたが、残念ながら帰らぬ人となってしまいました

 

 

こちらの記事に坂本さん自身が、直腸がんの闘病について細かに語られています

 

2020年6月にニューヨークで検査を受け、直腸ガンと診断されてしまいました。
 

前回、放射線治療がうまくいったので、ニューヨークのそのガンセンターのことを信頼していました。今回は放射線治療と並行して抗ガン剤も服用しました。しかし治療を始めて数ヶ月が経っても、なかなかガンが消えません。
 

同じ年の12月に日本での仕事があり、その頃、物忘れの多さに悩んでいたこともあって帰国ついでに脳の調子を調べておこうと思い、11月中旬から2週間の隔離を経て人間ドックを受けました。そうしたら、脳は正常だったのですが、あろうことか別の場所で異変が見つかってしまった。直腸ガンが肝臓やリンパにも転移しているというのです。

 

この時点で放射線治療が終わって3ヶ月は経っていましたが、なぜかニューヨークの病院では転移の事実を告げられていませんでした。少なくとも9月末には転移の根っこは見えていたはずなのに。当然、転移自体がショックなことだけど、全米でも一、二を争うガンセンターが見落としていたのか、あるいはどういう理由でか、ぼくに黙っていたことに対して、一気に不信感が芽生えました。
 

日本の病院で最初に診てくださった腫瘍内科の先生には、『何もしなければ余命半年ですね』と、はっきり告げられました。かつ、既に放射線治療で細胞がダメージを受けているので、もうこれ以上同じ治療はできないと。加えて彼は、『強い抗ガン剤を使い、苦しい化学療法を行っても、5年の生存率は50%です』と言います。きっとそれは、統計に基づいた客観的な数字なのでしょう。
 

でも、仮にエビデンスを示したとしても、患者に対しての言い方ってもんがあるだろう、と正直頭にきてしまいました。こちらに希望を与えないような悲観的な断定をされ、ショックで落ち込んでしまった。有名な先生だと聞きましたが、ぼくとは相性が悪いのかもしれないと思いました

 

6回にわたる手術

結局、坂本は別の病院を受診する。しかし、そこでも深刻な状況であるという判断は同じだった。

 

紹介先の病院でセカンドオピニオンを聞いたところ、転移があるという時点で、ステージ4に認定されてしまうそうなんですね。しかもその後の検査で、肺にもガンが転移していることがわかりました。はっきり言って、絶望的な状態です。
 

そして、年が明けて2021年1月に、まずは直腸の原発巣と肝臓2か所、さらにはリンパへの転移を取る外科手術を受けることになりました。大腸を30センチも切除するという大掛かりなものです。手術前は意外とヘラヘラしていて、そのときの写真が残っていますが、手術室へ向かうドアの前でぼくは家族に向かって『行ってくるねー』と、呑気に手を振っています。
 

当初、12時間ほどを予定していた手術は、結果的に20時間もかかりました。午前中から始まって、翌日の午前4時までかかったはずです。本人としては『俎板(まないた)の鯉』の状態ですから、手術を受ける決断をしたら、あとは医師を信頼して身を委ねるしかない。『切るのはもう少し短く、20センチくらいにしてくれませんか?』と提案するほどの専門知識を、こちらは持ち合わせていませんしね

 

公式HPで「無事手術を終え」とコメントしたのは、この直後ということになる。しかし、実際の治療はこれで終わり、とはならなかった。

 

この2年のあいだに、大小あわせて6度の手術を受け、今のところ外科手術で対処できるような腫瘍は全て取り終えたという状態です。大きなものとしては、2021年10月と12月の2回に分けて、両肺にも転移していたガン腫瘍の摘出手術を行いました。それぞれ3~4時間くらいだったはずです。


ただ、これでようやく最後だと思ったら、どうもまだ病巣は残っており、さらに増殖しているらしい。先生からそう聞かされたときは、さすがにガクッときました。あとはひとつひとつ手術で取るのではなく、薬で全身的に対処するしかないそうです。終わりの見えない闘病生活ですね

 

 

 

坂本さんの闘病記についてコメントする前に、大腸・直腸がんの標準治療について


 

 

診断当時のステージは不明ですが、放射線治療+抗がん剤で治療を始めたところ、転移が見つかったということで、上記図のような原発巣+転移巣切除を行っています

 

しかも、転移するたびに切除することを繰り返し、合計6回も手術したことになります

 

最後は手術での根治を諦めて、初めの医師に言われて避けていた、「強い抗ガン剤を使い、苦しい化学療法を行っても、5年の生存率は50%です」の治療を行ったのかどうかは不明です

 

 

先ほどの記事の最後にこう書かれていました

 

ぼくは40歳を過ぎる頃までは健康のことなんて一切考えず、野獣のような生活をしてきました。その後、視力が落ちて自分の身体と向き合わざるを得なくなり、野口整体やマクロビオティックのお世話にもなりましたが、西洋医療の薬を日常的に飲み始めたのは、60代で最初のガンが発覚してからです。きっと、ガンになったのも何か理由があるのだろうし、結果的にそれで亡くなってしまっても、それはそれで本来の人生だったんだ、と達観している部分もある。


2021年1月の手術の直後に、ぼくは『これからは“ガンと生きる”ことになります。もう少しだけ音楽を作りたいと思っていますので、みなさまに見守っていただけたら幸いです』というコメントを発表しました。“ガンと闘う”のではなく、“ガンと生きる”という表現を選んだのは、無理して闘ってもしょうがない、と、心のどこかで思っているからかもしれません。

 

 

もしかすると、抗がん剤治療は行わず、自然に任せたのかもしれませんが、”何もしなければ余命半年”から、3年生きたことになります

 

頑張ったと思います

 

 

 

直腸がんの発見があと5年遅れていて、こちらの治療が当てはまっていれば、もしかするとまだまだ生きていられたのかもしれません…

 

 

 

それにしても、はじめの医師とのやりとりが、、、

 

仮にエビデンスを示したとしても、患者に対しての言い方ってもんがあるだろう、と正直頭にきてしまいました。

 

日本の医師の悪いところが、そのままでていますね…世界の坂本に対しても同じ対応という…

 

 

 

まとまりのない文章になってしまいました

 

ご冥福をお祈りいたします

 

 

 

 

 

 

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