2008年  12月半ば。



高度医療センターにお願いしていた“診療記録”が郵送されてきた。


大学病院での診察予約も17日に決まった。


近医の先生がとても丁寧な“紹介状”を書いてくれた。

紹介先の教授に宛てて、直接診てくれるよう明確に書かれていた。



両肩、お尻のあたりが硬結し、ぶつぶつ・イボイボが残っているものの

かなり元気な状態の吟。


咳は相変わらず出ていたけれど、有名な専門医に診てもらえると思うと、

このままあっさり原因がわかって治ってしまうんじゃないかと期待してしまう。



完全予約制とはいえ、だいぶ待つ気配。


駐車場に停まっている車は他県ナンバーのものが目立つ。


高度医療センターにもかなり遠くから通ってきている人がいた。

ここも同じような感じだ。


自宅から1時間そこそこで来れる我が家は、決して遠くはないようだ。



待つこと1時間強。 ようやく呼ばれた。


診察室に入ると、教授が座っていた。

後ろには助手とみられる先生が2人。

一人は40前後の男の人。もう一人は20代の女の人。


教授が丁寧なあいさつをしてくれた後、吟をざっと診た。


そして第一声

“これは見たことありませんね。わからないです。”


・・・  は?


そして次に、

“病変のある皮膚を少し採らせてください。組織の検査をしてみましょう。”


2針くらい縫うと聞かされ、正直“え?”と思ったけど、

それで原因と病名がわかるなら・・・と了承した。


数時間後、右の脇腹に大きなガーゼを貼った吟が元気に戻ってきた。


血液検査やレントゲン、その他“今日の所見”の説明があるようだ。


気がつくと、教授の後ろに数人の学生。

数秒後には“もう入れませ~ん”というくらいたくさんの学生が診察室に入っていた。


教授は笑いながら

「レアな症状なので、学生たちに勉強のため見学をさせてください。」

と言った。


たまに医療ドラマなんかで見る“○○教授の回診”みたいだった。



2008年  12月初め。



ついに動き出した。


予約の日時に高度医療センターに行き、セカンドオピニオンを切り出した。



担当医はあっさり了承し、今日までの“診療記録”を作成してくれることになった。

あまりに記述する内容が多いので、10日前後時間が欲しいと言われた。


ただし、紹介状は1次医療機関の近医で書いてもらうようにと・・・


獣医間の取り決めで、2次から2次への紹介は基本的にしないということになっているという。

どこで診察を受けるのも自由だけど、1次医療機関に紹介状を書いてもらわないと

2次医療機関である大学病院へは行けないですよ・・・

と冷ややかに言われた。




この日の診察は、あちこちにある“しこりとブツブツ”の確認。

それから、数ヶ月間ずっと出続けていた咳が悪化しているということでレントゲンを撮ること。

あとは毎度の血液検査。


いつも通り2時間程待たされて、ようやく呼ばれて診察室に行くと

白っぽく写った胸部のレントゲン写真がモニターに映し出されていた。


予想通り悪化している。


ずいぶん前から“咳がひどい”“タンがからむ、鼻水が出る”と訴えていたのに、

吟が落ち着きなく、リードをグイグイ引っ張るから首が締まっているだけ・・・

とそっけなくあしらわれていた。


聴診器で聞く限り異常は感じられないと・・・



薬の飲みすぎ・副作用で“間質性肺炎”になっているのではないか?

と聞いてみたけど、

「う~ん、それは・・・ どうですかねぇ・・・」

と全く答えとは言えない返事でごまかされた。



高度医療センターの帰りその足で近医に寄り、すぐにでも大学病院の

予約と紹介状の作成をして欲しいとお願いをした。


今すぐにでも病院を変えたい・・・

そんな心境だった。





2008年  11月半ば。



高度医療センターに通い始めて半年。

通院は20回を超えた。


毎回のように血液検査をし、時にはレントゲンや麻酔をかけるような大きな検査もしてきた。


改善した点といえば、下痢を“しにくくなった”ということだけ。


悪化した点は、薬の量が驚くほど増えたこと。

新しい症状が次から次へと出てくること。



転院したとはいえ、元々かかっていた近医には時々経過報告をしに行っていた。

時には処方された薬を持って、飲み合わせや処方の意味なんかを聞いたり、

今後どういう治療をしていったらいいのかなどの“医療相談”をしていた。


ここしばらくの吟の尋常じゃない症状と、薬の多さ。

現担当医の専門と今必要な治療。

いろんなことに???がつきはじめ、思い切って私の考えていることをぶつけてみることにした。


近医の先生は、いつもと変わらずしっかり話を聞いてくれた。

そしていくつかの提案をしてくれた。


そのうちの一つに“セカンドオピニオン”があった。


どんなに優れた獣医でも、どんなに高度な医療でも、吟に合っていなければ意味がない。


今現在吟に出ている症状は皮膚に関してだから、他の先生の意見を聞くなら

皮膚科の専門医だろう・・・と。


先生も自分の恩師などの意見を聞き、“皮膚ならここ”という病院を見つけてくれた。


府中市にある大学病院。

ここの皮膚科は国内1・2で、教授は有名な人らしい。



吟の病気が良くなるなら・・・

何度だって転院するし、どこへだって連れて行く覚悟はとっくにできていた。


2008年 11月初め。



10月末に腫れあがった両肩とお尻の腫れがようやく引いてきた。


が、尻尾の付け根からタマタマまで小さなイボが連なってできたようなラインがくっきり浮かんだ。

左右両側にある。

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両肩とお尻の腫れのあとは硬くしこって、板か何かが入っているかのようになった。


さらに数日後には前足の付け根あたりに赤みを帯びた新たな腫れが出た。


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しこりができたところを中心に3ミリ前後のイボのようなボツボツがいっぱいできた。




再び高度医療センターに電話をし、指示を仰いだ。



結果はステロイドの追加投与。

体の反応を見て、薬の効き具合をみながら自己判断でするように言われた。


はじめはこの症状が出る前に飲んでいた倍量。

それでも落ち着かない場合は更に追加。


元の4倍量まで飲ませろと言う。


ものすごく不安だった。


肝臓にも相当負担がかかる。

でも今はこれしかない。



この頃から担当医に対し、不信感というか、いまいち納得のできない思いが募っていた。


というのも、この病院で初めから診察を担当してくれていた先生が

9月の末に突然辞めてしまったのだ。


代わって10月から肩書きのついた偉い先生が担当になっていた。


今までの先生と違い、診察の際明らかに面倒くさそうな態度を時々とる。

時にはうすら笑いを浮かべ、吟を心配する私を小馬鹿にした。


免疫抑制剤を処方したのもこの先生。


担当医が代ってからどんどん薬の種類が増え、

抑制剤を含め、1日当たり9種類・19錠の薬を服用していた。


吟を治したい一心で医者の指示に従い、1日も欠かさず投薬してきた。


医者への不信感の芽生えとともに、このままでいいのか・・・

という思いが大きくなっていった。

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