9世紀の日本列島の地震や富士山噴火はどうだったのだろうか? | 地球変動を受け入れる愚人の備忘録

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個人的な考えだが、人為的炭酸ガスによる温暖化などには全く同意しない。これは欺瞞であり、詐欺であり、カルトだ。しかし、遠くない未来、地球は大きく変動すると直感している。そして、愚人は何を考え、どう行動していくのか、趣味と生活を含め、その備忘録とする。

過去に起きた事は未来にも起きる。と、私は考えるのですが、9世紀に起きた地震が現在の地震活動と似ているのではないかと考える学者も居るようです。


大地震、震源と活動が9世紀と酷似 専門家が警鐘(2011/8/19神戸新聞) 

 日本国内で起きた現代の大地震と、9世紀の大地震の発生場所が似ていることに注目が集まっている。9世紀には東日本で地震が続いた後、太平洋沖で大津波を伴う「貞観(じょうがん)地震」が発生。西日本はその18年後、南海地震に見舞われた。今年3月の東日本大震災後、一部の活断層では地震の発生確率が上昇したとの指摘があり、近い将来、南海地震の発生が予測される中、専門家は警戒を怠らないよう呼び掛けている。


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 独立行政法人産業技術総合研究所関西センターの寒川旭(さんがわ・あきら)招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)が、文献や地層などから推定される9世紀の大地震の発生場所を日本地図に落とし、現代と比較した=図。


そのほかにも、9世紀には富士山の噴火もありました。


富士山の噴火史(wiki) より

864年(貞観6年)
貞観大噴火 864年6月~866年初頭にかけて活動青木ヶ原溶岩を形成した噴火で、山頂から北西斜面約10Kmの(現在の長尾山)から大量の溶岩流出とスコリア噴火とを起こす。


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貞観噴火の推移 以下は、当時の歴史書『日本三代実録 』の記述による。



貞観6年5月25日(864年7月2日)、駿河国の報告
富士郡正三位浅間大神大山火、其勢甚熾、焼山方一二許里。
光炎高二十許丈、大有声如雷、地震三度。歴十余日、火猶不滅。焦岩崩嶺、沙石如雨、煙雲鬱蒸、人不得近。大山西北、有本栖水海(みずうみ)、所焼岩石、流埋海中、遠三十許里、広三四許里、高二三許丈。火焔遂属甲斐国堺。

(※ここでいう1里は6町=約650m。「~許里」は「~里ばかり」の意)

現代語訳
「富士郡の正三位浅間大神大山が噴火した。その勢いは甚だ激しく、1、2里四方の山を焼き尽くした。火炎は20丈の高さに及び、大音響は雷のようで、大地震が3回あった。10日以上経過しても、火の勢いは未だ衰えない。岩を焦がし峰を崩し、砂や石が雨のように降る。煙や雲が鬱々と立ち込め、人は近づくことができない。富士山の西北にある本栖湖という湖に焼け石が流れ込んだ。焼け石の流れは長さ約30里、広さ3、4里、高さ2、3丈に及ぶ。やがて火は甲斐国との境に達した」



約2ヶ月後の7月17日(8月22日)、甲斐国の報告
駿河国富士大山、忽有暴火、焼砕崗巒、草木焦殺。土鑠石流、埋八代郡本栖并剗両水海。水熱如湯、魚鼈皆死。百姓居宅、与海共埋、或有宅無人、其数難記。両海以東、亦有水海、名曰河口海;火焔赴向河口海、本栖、剗等海。未焼埋之前、地大震動、雷電暴雨、雲霧晦冥、山野難弁、然後有此災異焉。

現代語訳
「駿河国の富士山が大噴火した。峰を焼き砕き、草木は焦がれ死ぬ。土や石くれが流れて、八代郡の本栖湖と剗の海を共に埋めた。湖水は熱湯になり、魚や亀の類は全滅してしまった。民家は湖と共に埋まり、残った家にも人影は無く、そのような例は数え上げることもできない。ふたつの湖の東には河口湖という湖があり、火はこの方角にも向かっている。湖が焼け埋まる前に大地震があり、雷と豪雨があり、雲や霧が立ち込めて暗闇に包まれ、山と野の区別もつかなくなった。しかる後に、このような災厄が訪れたのだ。」


河口浅間神社
富士山大噴火を鎮めるため勅令により建立され、河口湖・富士山を今もなお静かに見守る。

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貞観6年(864年)の富士山大噴火を鎮める為に、翌年、富士山と対峙する河口の地に富士山の神を祀った。これが通称河口湖浅間神社である。河口浅間神社は古くから鎌倉街道沿いに位置し交通の要衝として栄えた河口地区の神社としても信仰を集めた。


神社まで建てて富士山の噴火を鎮めようとした所からも、当時の人達にとっても富士山噴火は脅威だったのではないでしょうか?



もう少し9世紀の地震に関して、同様の図が無いか探して見ました。


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9世紀の地震と現代と比べると、その順序や間隔に関して、多少の前後はあるのですが、相当する地震それぞれを並べて見ますと、868年の播磨地震は1995年の阪神・淡路大震災に、869年の貞観地震は2011年3月11日の東日本大震災に匹敵するのではないかと思えます。また、863年には2004年の新潟中越地震に相当する地震があったのではないでしょうか?


現代科学は測定手法や理論(間違ったプレート理論)に偏りすぎていると思っています。最新の機器や理論よりも、事実の方が勝っているのです。そして、過去に起きた事実は科学や理論でもねじ曲げようも無いのです、、、科学や理論は歴史的事実から学び、そこから逸脱しない謙虚さも重要だと考えます。。。違いますかね?


事実は科学や理論に勝ると言う、、、私の考えは最新の科学から遅れているんでしょうかね(笑)。



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